2009年10月13日
ファルサルス(歴史)
デュラキウムでカエサルの軍勢を退けたポンペイス・マグヌスにとってギリシアは自分の支持基盤であり、カエサルに与する都市もないではなかったが補給の面で圧倒的に優位にある点では変わらない。このまま持久戦に出て相手の消耗を待つつもりでいたが、元老院議員たちには大いに不満だった。ポンペイウスに賛同する者はカトーたち少数派で、大半は弱ったカエサルにとどめを刺そうと決戦を主張する。単に首都に帰りたかっただけかもしれないが、もともと彼らは総司令官ポンペイウスが元老院議員に命令を下すことに忸怩たる思いを抱いていた事情もあったろう。「まるで王の中の王だ」とポンペイウスを揶揄する声も上がり出す。
大勢に押されたポンペイウスは、デュラキウムを出るとエニペウス川に面したファルサルスの平原でカエサルに追いつき両軍が布陣する。カエサルの陣営では先の敗戦にも司令官は兵士を罰しようともせず、平然と笑っている姿に皆が雪辱戦の思いを強くしていた。一方でポンペイウスの陣営では戦いは司令官に任せてカエサルが持つ官職の後任に誰がつくかを延々と言い争っている。遅れてギリシアに到着したキケローもこの雰囲気ではコウモリ野郎扱いがせいぜいで、冗談を言ってなごませようとする程度のことしかできないでいた。
信頼できない味方の状態はポンペイウスも心得ている。だがカエサルの軍勢およそ23,000に対してポンペイウス軍は50,000、騎兵では1,400のカエサルに対して7,000を数えていた。堅忍不抜を体現するカエサルの兵士に対抗すべく、偉大なるポンペイウスは大軍を背景に充分な勝算を持って軍勢を並べる。特に騎兵の指揮官にはカエサルの腹心として活躍したラビエヌスを指名しており、ポンペイウスの信頼に応えるべくラビエヌスも「勝利するまで戦場を離れない」との誓いを立てた。
カエサルはエニペウス川を左に、ポンペイウスは右に見る場所に布陣する。数に勝るポンペイウスは騎兵のすべてを川と反対側の左翼に集め、アレクサンダー流の側面攻撃を図る腹積もりだった。カエサルもこれに対して右翼に騎兵を並べるが、その後ろにはカエサル自身が選抜した小隊を控えさせる。
紀元前48年8月9日、両軍は激突する。高揚する戦意のままに突撃するカエサルの軍勢に対して、ポンペイウスは歩兵を待機させてラビエヌスの騎兵を出撃させた。より長い距離を走らせてカエサルの歩兵を疲れさせると同時に、正面と左から包囲して川に叩きこもうとする作戦だ。ところがカエサルの兵士たちは相手の意図を察すると、司令官が何も言わずとも戦場の半ばまで来たところで全軍が停止、隊列を揃えると槍投げ戦に切り替えての前進を再開した。ポンペイウスが最も恐れる、百戦錬磨のカエサル兵はここまで臨機応変に動くことができるのだ。
相手に突出させての包囲戦が難しくなったポンペイウスだが、騎兵で相手の側面を突けば同じことである。ラビエヌス率いる7,000の騎兵が突撃するとカエサル軍の騎兵を追い払うが、すかさず後ろに控えていた小隊がこれに立ちはだかった。カエサルが彼らに与えていた司令は二つ、恐れず逃げないことと馬の足ではなく顔に向けて槍を突き出せということである。馬は本来臆病な生き物であり、人間を踏み潰してまで走ろうとはしない。突き出される槍の林に飛び込んだラビエヌスの馬は混乱するとたちまち離散してしまう。カエサルは騎兵を追わずに予備兵力まで投入すると、がら空きになったポンペイウスの左翼を突いた。
頼みの騎兵を失い、前と左から包囲されて敗北を悟ったポンペイウスはエジプト方面へと逃走、追撃したカエサルが空になった陣営地に入ると祝勝会用の料理がところ狭しと並べられていたという。内乱の犠牲を嫌った司令官の厳命によって、ポンペイウス軍の兵士のほとんどは逃げ出すか捕虜となった。
崩壊した元老院派で、ラビエヌスやカトーは北アフリカへの逃亡に成功する。先のパルティア戦でシリアに逃げ出していたカシウスやカエサルの愛人セルヴィリアの子ブルータスらが降伏、キケローやテレンティウス・ウァロといった知識人はポンペイウス派を離脱してローマへと向かった。カトーはキケローの変節を口を極めて罵ったが、もともと彼らはポンペイウスへの忠誠心で団結していた訳ではない。カエサルへの明確な反感を持つカトーはともかく、この期に及んで内乱を泥沼化させるべきではないというのは知識人としては当然の考え方だろう。初志貫徹するためにはローマがどれだけ傷ついても構わない、という考え方をする者は憂国の士ではあるが知識人とはいえないのだ。三国志などでも民に戦火を及ぼさないために主君に降伏を勧める知識人がたびたび登場する。
内乱は事実上終息し、後は戦後処理と再建の労苦が残されているだけである。後にプルタルコスが曰く、ポンペイウスとカエサルが協力していればパルティアどころかインドまで手にすることができたろうにという言葉が今は残されているだけだ。
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