2009年10月27日


クレオパトラ(歴史)

 世界三大美女に数えられ、パスカル曰く彼女の鼻がもう少し短かったら歴史は変わっていただろうという言葉でも知られているクレオパトラ七世フィロパトル。とはいえ実際に残されているクレオパトラの肖像を見るに類まれなき美女とはいえないし、かのプルタルコスも彼女の知性は称賛しながら美貌についてはそれほどでもないと断じている。哲学者パスカルの言も現在とは些細な事情で変わりうる奇跡的な結果の上に立っている、という例えにクレオパトラを使っただけというのが実情だろう。
 弟王プトレマイオス13世とエジプトを共同統治していたクレオパトラだが、エジプトの王族はギリシア人で彼女も見事な金髪を持ったギリシア女の容姿をしていた。ちなみに世に知られる黒髪はエジプト王家伝統のカツラであり、祭事に出るときにはこれをかぶることになっている。

 当時のエジプトは内紛状態で、弟王がクレオパトラを追放して統治権を独占していた。姉と弟による共同統治は先王プトレマイオス12世の遺言であり、それを助けたのは殺されたポンペイウスである。エジプトに上陸したカエサルは両者を和解させて、クレオパトラを復位させるが弟王派は反発してこれに蜂起した。宦官ポティノスや王の姉でクレオパトラの妹であるアルシノエらが加担、民衆もローマへの反抗心から蜂起に加わる。

 カエサルがクレオパトラを助けたのは女王にたらしこまれたからだと言う意見もあるが、論としてはいささか強引だろう。女たらしのカエサルとはいえ政治や戦場には女性を連れ込んでいないし、偉大なるポンペイウスがエジプト人に殺されてローマ人が納得する筈もない。ポンペイウスが認めた先王プトレマイオス12世の遺言どおりにしなさい、というのは至極当然だしクレオパトラを復位させなければローマの面子が立たないのだ。
 ところが弟王派にすれば共同統治に戻るということは、ポンペイウス殺害の責任を誰かが取らされる道理である。ことに弟王を傀儡にする宦官たちには他人事ではなく、彼らは20,000人を超えるならず者をかき集めると王都アレクサンドリアへ進軍、わずかな護衛兵しか持たないカエサルを包囲した。カエサルは自ら海を泳いで危地を逃れるとファロスの大灯台に篭城、援軍を待つことになる。

 絶体絶命のピンチ、と言いたいところだがプトレマイオス13世と姉のアルシノエは互いに争って譲らず、カエサルに援軍との合流を許してしまうとナイル河口のデルタ地帯で激突するが勝負にもならなかった。ピルムと呼ばれるローマ得意の投げ槍は一度刺さると半ばで折れるようになっており、しかも抜けないので盾でも人でも使い物にならなくなってしまう。開始早々に総崩れとなったプトレマイオス軍に戦闘機械の集団が襲いかかると弟王は逃亡した先で自殺、アルシノエは捕虜となるがその他の高位高官の人物はことごとくが死亡して反乱の火はあっけなく消えてしまった。
 こうしてエジプトを平定したカエサルはクレオパトラとその弟プトレマイオス14世にエジプトを統治させることを決める。だがその後一年近くを女王と過ごしてナイル周遊旅行などに出かけていたから、カエサルが女王にたらしこまれたのだという話はここから生まれたようだ。女王は絶世の美女ではなくとも知的で話術に長けていたし、政治や戦場さえ離れればカエサルがいつもの女たらしに戻って不思議はない。この時期、両者の息子であるカエサリオンが誕生する。

 カエサルのことだから女性としての彼女の魅力に陥落したとしても違和感はなかったろう。だがユリウス・カエサルがクレオパトラを助けた理由には純然たる大義名分があったし、追放されていたクレオパトラがカエサルに助けられる必要性があったことも疑いない。パスカルには悪いが彼女の鼻がどうあろうと歴史が変わっていた筈もないのである。
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