2009年11月02日


来た、見た、勝った(歴史)

 カエサルがエジプトに滞在していた間、首都ローマの治安を任されていたのが副官アントニウスである。かのシェイクスピアの戯曲、アントニーとクレオパトラで有名なあのアントニーだ。後にキケローに「野獣のような男」と称される彼だが、キケローはこうした悪口が得意だったから別にアントニウスがチョコレートを奪い取ってガルルというような人物だった訳ではない。とはいえ軍人しかしたことがない無骨な彼に少なくとも統治は向いていなかったらしく、首都の混乱を力ずくでねじふせようとして失敗するとカエサルに助けを請う手紙を出していた。

 カエサルはクレオパトラと呑気なナイル周遊旅行に興じていたが、情勢は呑気どころではない。北アフリカはカトーたち元老院派の手中にあるしスペインでもポンペイウスの遺児やラビエヌスらが潜行して反抗の機運が高まっていた。東方は小アジアのポントス王国が不穏な動きを見せており、鎮定に行った部下のドミティウスが敗北を喫している。もともとオリエントはポンペイウス支持の地域だった。本来、遊び好きのカエサルとはいえさすがに遊びすぎだろう。
 それでも重い腰を上げたカエサルはようやくエジプトを出立するが、動き出せば神出鬼没で伝令の馬より速いと言われる彼は軍勢を率いてオリエントを北上、各地を平定しながらポントス王ファルナケスをあっさり下してしまう。何もなく迅速に解決しましたというために元老院にはただ三語「来た、見た、勝った」という戦勝報告を送りつける。文章は用いる言葉で決まる、というカエサルはただの一語が人を魅了することを知っていた。

 ローマに帰還したカエサルは混乱する首都をやはりあっさり立て直すと、出立した北アフリカではポンペイウスの残党を相手に緒戦を落としながらも積極攻勢を続けてこれを撃破、カトーは在りし日のローマを偲びながら血管を開いて自死を遂げる。更にスペインに遠征して決戦、ラビエヌスやポンペイウス兄弟も戦死してようやく内戦は終結した。ちなみにアフリカに上陸する際、船から足をすべらせて海に落ちたカエサルは兵士たちが不吉だと動揺する前に「おおアフリカよ、私は早々にお前を抱いてしまったぞ!」と叫んで皆を笑わせてみせたそうだ。
 ところでこの北アフリカ戦で、ローマを出立する前のカエサルは兵士たちにストライキを起こされている。子飼いの第十軍団が不満げに集まっているという報を受けると、カエサルは制止する周囲の声も聞かず武器すら持たずに兵士が待つ広場へと足を向けた。戦神マルスの広場に集まる兵士たちの声を聞いてみると口々に退役を要求しているが、ガリア戦役の最初からカエサルに従ってきた彼らとしてはこれを機に給料を値上げして欲しいというのが本音だったようだ。戦いに自分たちの力は必要で、退役を条件にすればカエサルだって折れてくれる。ところがカエサルは兵士の言葉に重々しく頷くと君たちの要求はまったく正当だと言ったのだ。だから退役を許そうと。

「だが市民諸君、私はこれから軍勢を率いて反乱鎮圧に向かわねばならない。君たちの退職金は私が帰ってきたら必ず支払う、だからそれまで待っていてくれたまえ」

 他の手勢などある筈もない、だが退役する君たちには関係ないことだ。それまで戦友諸君と声をかけて共に戦い、一緒に塹壕で眠ったカエサルに自分たちは見捨てられた、いや、自分たちがカエサルを見捨てようとしてしまった。後悔した兵士たちは涙すら流しながら、俺たちがカエサルの軍勢だと叫び北アフリカへと従軍する。退役の話も給料の話も皆がどうでもよくなっていたが、内乱がすべて終わってからカエサルは彼らの給与を倍ほどにも引き上げることを決めた。
 偉大なるポンペイウスですら恐れた、カエサルの軍勢は多くの苦難に会い負けたことも一再ではない。だが彼らはどれほどの困難に陥ろうが決してカエサルを見捨てることなく戦い、最後には勝ってしまった。その理由は簡単なことである。カエサルが決して彼の兵士たちを見捨てることがなかったのだ。
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