2009年12月23日


カエサルへの評価(歴史)

 ガイウス・ユリウス・カエサルが古代史上最大の英雄の一人であるという評価は覆しようがない。史上でも空前絶後の帝国を改革し、後の帝政ローマの礎を築き上げた事績を無視することはできないだろう。戦場では無敵で兵士の信頼厚く、精力的な統治は革新的で民衆に多くの恩恵をもたらした。テオドール・モムゼンは「ローマで生まれたただ一人の創造的天才」と評し、モンテスキューは「いかなる軍を率いても勝者となりいかなる国に生まれても指導者になったろう」と評する、そこに誇張があったとしても決して荒唐無稽な礼賛ではない。

 内乱を経てただ一人の勝利者となったカエサルはやがて傲慢になり王すら目指したから暗殺の刃に倒れたのだ、とはわりと一般的な現代人の評価である。これに対してカエサルを擁護する声は、カエサルは王ではなく新しい統治概念を創出しようとしたが、それを理解しない人に殺されたのだと言うがどちらもカエサルを偉人にしたいか悪人にしたいかで盲目に断を下しているように見えなくもない。
 終身の独裁官にして護民官の特権を有することで元老院と平民集会の双方を掌握する。多くの尊称や呼称を受けてそれを終身の権利として名乗る。勝利者の意味であるインペラトールの称号を軍事独裁権として自分の名に加える。スヴェトニウスが曰く、カエサルは過去の王の彫像に自分の像を並べてカエサルの神殿を建立し、自分の名を暦に冠したとも言われている。ゴシップ好きなスヴェトニウスの記録に信憑性を問う声は多いが、確かに現在でも七月はジュリアス・シーザーの月であるジュライと呼ばれているのだ。

 とはいえ傲慢というのであればカエサルは若い頃から充分に傲慢だったろう。首都でも有名な女たらしが独裁官スラにキンナの娘を離縁せよと迫られたときには傲然とこれを拒否し、造営官になれば国家予算規模の借金をしながら元老院が苦言を呈するほど派手な剣闘士競技を開催してみせる。その後執政官となった折りも「ユリウスとカエサルの年」にビブルスを差し置いてただ一人の統治をした手腕は傲慢ではなかったろうか。偉くなって性格が変わったという印象はユリウス・カエサルには縁遠い。若い当時は女好きの不良青年、偉くなってからは女好きの不良司令官であったのがカエサルだ。
 民主共和政治至上主義に毒されて共和政が善で独裁が悪だと決め付けてしまえばカエサルへの公正な評価は更に難しくなるだろう。ルキウス・ブルートゥスが共和政ローマを創出してから五百年ほどが過ぎていたが、SPQRが主権を持つローマの基本原則は変わらずとも統治方法は長い間にたびたびの変遷を続けている。元老院と平民集会が対立して街角ではクロディウスとミロの院外団がギャングさながらに殺し合う、当時のローマに変革が求められていたことはカトーを除く誰もが認める事情であったろう。カエサルは確かに変革を志してそれを成し遂げた、ただその手法がカエサルらしくいかにも力強く賢明、かつ傲慢であったというだけだ。

 グラックス兄弟は裁判もなしに殺されていたしスラやマリウスは首都に攻め込んで多くの人の身を血の池に浸している。共和政の形式を守っても法は蔑ろにされて人々の血が流れるならば、変革のために手段を選ぶ必要がどこにあるというのだろうか。カエサルは確かに王になろうとしてはいなかったかもしれないが、独裁者になれば、王になればローマを改革できるというならそれを拒みはしなかったろう。スラが独裁官として変革を志したローマは彼が辞めた途端、わずか十年でもとの混迷に引き戻されてしまったではないか。
 であればあえて辛らつな表現を使い、「目的のためには手段を選ばない人物」とすればカエサルに対する評価によほど近いのではないだろうか。共和政という正当な手段により法律は無視されて内紛と人殺しが横行するローマにおいて、正当な形式など気にする風もなくガリアを征服して国境を安定させ、元老院を歯牙にもかけず治安や経済を回復させて、平民集会の選挙にも堂々と介入して国民の総意で選ばれる凡人を尻目に優れた人物を推薦する。

 自分はカエサルであり王ではない、とカエサル自身は称している。共和政だから、王だからローマの改革ができるのではなくユリウス・カエサルだから改革ができるのだ。そのユリウス・カエサルは「ローマの改革を実現した人物」以外の何者でもなく、それ以外の定義も説明も必要ないだろう。どれほど非難されようが監察官カトーが警告した混迷、グラックス兄弟やスラが志した変革に挑みそれを実現してみせたのがガイウス・ユリウス・カエサルである。その事業は強制された死によって中途で途絶させられるが、彼の後継者たちの手で生み出される新しい帝政ローマにカエサルの思想は流れていくのである。
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