2010年01月20日
伝説の古代都市(歴史)
西洋に古くから存在し、時を越えて現代にも多くの物語を提供しているのが失われた古代都市の伝説である。地下に埋もれた帝国やすべてが石と化した都市など様々だがたいていは実在した古代都市の遺跡群の噂であることが多い。エジプトの巨大建造物やギリシアの精密な彫像、そしてローマの広大な遺跡である。
地中海世界を中心にして近東から北アフリカ、ヨーロッパまで広大な版図に及んだローマ。多くの民族や国を包含して統治した歴史上屈指の帝国は古代エジプト文明やギリシア文明すら呑み込みながら、ローマの中のギリシアやローマの中のエジプトとしてこれを保存している。それはおそらく他者の文明や文化を重んじたからではなく、多彩な民族や国を統治するローマの支配者の論理によるものであったろうが、ローマは未開発の地域に「ローマ化」と呼ばれる文明化を推し進めながらも既存の文化があればそれを活かそうとして無理に塗りつぶしはしなかった。
もちろん、彼らがどうしても受け入れることができなかった風習や文化は容赦なく踏みつぶしてもいる。極端な例を挙げればカルタゴの人身御供やゲルマン人の略奪で生計を立てる風習など「ローマ化」に相容れないものはどんな伝統があろうとも意に介さず消してしまうし、女性が統治を行う風習を理解できずにボウディッカの反乱を起こした例や、共同生活への参加を拒むユダヤ人を白眼視する例に至ることもあった。
後にローマが滅びてから多くの建物や設備は放棄されて堆積する土砂の下に埋もれたり、風に晒されるに任されたり、無知な人間の手によって解体され持ち去られてしまう。それでもなお多くの遺跡や遺構が残されて発見や発掘が行われると失われた古代都市の姿が現れるようになった。石を組み上げた巨大なアーチ門やドーム天井はエジプトに端を発する数学と建築技術の結晶だが、これを解体した後の人々は同じものを二度と組み立てることができなかった。人間が石化したとすら思わせる精緻なギリシアの彫像は首から上が聖人と称する者の像にすげかえられてしまったものも少なくない。エトルリア人のもたらした下水溝は人間を埋めるための墓地に使われて腐敗と疫病の源泉となった。
悪の帝国と断じられる古代ローマとはどのような国であったか。悪徳により滅びた伝説の古代都市は壮麗なアーチ建築や装飾された柱、床一面に貼られたモザイクタイルに飾られる都市であり、舗装された街道や上下水道が完備されて劇場や市場、浴場といった公共施設が立ち並ぶ。通商は保証されてローマの金貨は遠く中国にまで流通し、手形を用いる信用経済すら行われた。多少とも裕福な市民であれば遠く離れた知人に手紙を送ることも、街道を呑気に歩く数ヶ月の旅も、劇場で喜劇に笑うこともできれば産地直送の雪や氷で割ったワインやシャーベットを味わうこともできた。
厳しい地中海の陽光を避けて朝早くから労働に汗を流して、午睡の時間になればサウナや冷水で一日の汚れを落とす。子供たちは私塾や家庭教師に学んだ後は広場に出て遊ぶこともできたし、家の手伝いをすることもあったろう。奴隷も存在したが働いて金を稼げば解放されることができたし、主人の商店や秘書を任されてそこらの市民よりよほど裕福な奴隷もいた。奴隷に対する暴力は犯罪で、家庭教師を務める奴隷は主人の息子を平気で折檻した。
すべてが理想的であった訳ではない。退廃もしたし犯罪も起きたし都市がまるごと蛮族に焼かれたこともあった。だが現代でも人類が再現することのできない多くの事跡を伝説の古代都市は残している。友人に会うべくローマからクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを通りユーゴスラビア、ブルガリアを抜けてトルコにあるイスタンブールまで歩くことができるだろうか。
現代に残る伝説の古代都市ローマ。王政ローマ、共和政ローマを礎として築き上げられた広大な帝国の姿を描き上げたのが皇帝アウグストゥスであり「私は煉瓦造りのローマを大理石のローマにした」と豪語する帝政ローマの創設者である。
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