2010年03月31日


神の子(歴史)

 その年七月、首都ローマでカエサルを偲ぶ競技会が執り行われる。故人の生前を偲び、七日間も続いた盛大な祭りの最終日にはローマの空に巨大な彗星が閃き、人々はこれでカエサルも天に昇ったのだと語り合った。これこそ有名なハレー彗星であったのだが、カエサルの誕生月だという理由でこの時期を選んで競技会を催したのがオクタヴィアヌスである。わずか十八歳の少年はこれを記念して彗星を彫り込んだ銀貨を鋳造した。

 このオクタヴィアヌスの台頭に焦りと危機感を募らせたのがアントニウスである。カエサルの遺言に指名された少年を慕う声は多く、独裁を嫌う元老院も腰の低い若者に好意を抱いている。執政官アントニウスは地歩を固めるべくイタリアに隣接する属州ガリア・チザルピーナの総督に自らを指名すると、パルティア遠征のために用意されていた軍勢を集結させて首都ににらみを効かせようとした。この地にはすでにデキムス・ブルートゥスが総督に指名されていたのだが、アントニウスは暗殺者の主張に聞く耳を持たず属州の明け渡しを要求する。デキムスもここで公職を追われれば身が危ういことは承知しているから首を縦には振らなかった。アントニウスは強硬な姿勢を崩さず軍を率いて北上する。
 元老院はこれを好機と見なした。カエサルの死後なしくずし的に独裁者の座につこうとしているアントニウスを退けて、あわよくば共和政再建の旗手マルクス・ブルートゥスやカシウスらを呼び戻せるかもしれない。若いオクタヴィアヌスを懐柔すれば旧カエサル派の人々や兵士を抑えることもできるだろう。無法なアントニウスを討伐してデキムスを救援すべく、元老院はヒルティウスとパンサの両執政官にオクタヴィアヌスを合した連合軍を送り出した。キケローは弁論の力でこれを助けようと「フィリッピケ」と題する全十四編ものアントニウス弾劾演説を披露、頑丈なだけの野蛮人で赤ら顔の野獣か剣闘士のような男だと流れるような悪口を並べ立ててみせる。

 両軍はモデナ近郊で激突、壮絶な戦いとなってヒルティウスとパンサは戦死、デキムスは逃亡したところを捕まって殺されるが戦いそのものはアントニウスが敗北して軍を退かざるを得なくなった。外の空気に当たれば腹を下してばかりで活躍できる筈もないオクタヴィアヌスではあったが同僚のアグリッパに助けられて無事に生き残ると、生き残ったそのことによって勝者となる。旧カエサル派の兵士たち、つまり残された兵士の多くがオクタヴィアヌスに合流した。元老院はオクタヴィアヌスに「国賊」アントニウスの追撃を命じる。
 ところが少年は最初から元老院の意向に従うつもりはない。元老院を無視して帰国したオクタヴィアヌスは空席となった執政官への立候補を願い出る。翌年には十九歳、資格年齢には二十一歳も足りないが旧カエサル派の軍勢を率いる少年の言葉を元老院もしぶしぶ了承した。

 市民と兵士の熱狂的な支持を得て就任した新執政官オクタヴィアヌスは亡きカエサルの神格化を決議、元老院は死者の栄誉には鷹揚だしローマの神々は数十万もいたからさほど問題なく承認される。更にカエサルの遺言状を正式に承認することも決議、これも異論はなく少年は正式にガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスの名を得ることができた。
 だがキケローも元老院議員たちも少年の真意に気が付くことができなかった。ローマでは子が父を敬うことは優れた徳であると思われており、であれば神格化までされた養父カエサルの暗殺犯を討伐することはオクタヴィアヌスの大義名分になる。共和政最後の希望、ブルートゥスやカシウスは「国家の父」カエサルを暗殺した者であり「神君カエサルの息子」オクタヴィアヌスがその仇を討つのであればこれを遮る理由は存在しないであろう。
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