2011年02月01日
アントニウスとクレオパトラ(歴史)
元老院が屈服して共和政が滅びて後、ローマは第二次三頭政治を率いるオクタヴィアヌスとレピドゥス、アントニウスの三人が統治することになった。首都を選んだオクタヴィアヌスに比べて、オリエントの財宝に目がくらんだアントニウスと評するむきもあるが彼には彼の事情がある。ローマの指導者、亡きカエサルの後継者はカエサルの事業を引き継ぐ者で、アントニウスにとってそれはカエサルが企図していた東方パルティア遠征に他ならない。もしもこれが成功すれば「戦えば必ず負ける」オクタヴィアヌスを実績で圧倒することはほぼ間違いないだろう。とはいえアントニウス自身は政治が苦手でかつてカエサルに任じられた首都の治安維持に失敗、暴動を起こしていた記憶もなかったとはいえない。
さらにこの時期、首都や西方を治めることは苦労を背負い込むこと以外のなにものでもなかったという事情もある。元老院が三頭政治に協力的な筈もなく、広いばかりのガリアは貧乏で属州税も期待できない。豊かな金鉱を誇るスペインではポンペイウスの子セクストゥスが共和主義者たちの残党を率いて執拗な抵抗を続けていた。アントニウスとしてはカエサルの事業を完成させるチャンスと考えていたであろう。
軍勢を率いて意気揚々と出立、東の大都市タルソスに到着したアントニウスだがまずは遠征の助けとなる隣国との関係を強化しなければならない。使いが送られたのがエジプト女王クレオパトラ、先のフィリッピの決戦に前後して叛将カシウスやブルートゥスに援助をしたことを糾問することが目的である。
だが女王到着の当日、中央広場で待つアントニウスの下にクレオパトラがなかなか現れない。いらいらしていると群集が騒ぐ声が耳に入ってくる。話によれば陽光を受けて紫と黄金に輝く、神々を乗せた船が楽を奏で香を焚きながら港に出現したということだ。国家の財宝をすべて私物化できるエジプト王家ならではのパフォーマンスだが、人々はこの派手で珍奇な見世物を一目見ようと港に押しかけてしまう。ぽつんと残されたアントニウスが頭から煙を噴き上げていると女王から船への招待状が届けられた。
ずかずかと乗り込んだ船上、女神に扮したクレオパトラを詰問するアントニウスだが気がつけば女王と歓楽の一夜を過ごして今度は彼自らエジプトを訪問する話になっていた。これがシェイクスピア曰く「傾国の美女」クレオパトラと、キケローが曰く「酒と女にうつつをぬかす野獣」アントニーの出会いだが彼らに言い分がない訳でもない。クレオパトラにすれば当時シリア属州総督だったカシウスへの援助を責められる筋合いはなく、アントニウスにすれば糾問は名目で本当の目的はエジプトからの資金援助を得ることなのだ。
ところがエジプトを訪問し、豪奢で享楽的な王宮の生活をすっかり気に入ってしまったアントニウスは貴重な日々をアレクサンドリアで費やすことになってしまう。確かにパルティアでは危急の騒乱が起こっていた訳でもなく、アントニウスもオクタヴィアヌスに時間を与えないために妻フルヴィアと弟ルキウスに抵抗勢力を組織させてイタリアを霍乱させてもいる。無為や自堕落と言い切ることはできないが、アントニウスが一日一刻を争い戦場に赴こうとしなかったことも確かだった。
この間オクタヴィアヌスは苦労しながらもイタリア鎮定に成功してみせる。長期化を予想したアントニウスには想定外だったようで、すべては妻と弟がやったことだとうそぶいてみせた。疲弊するオクタヴィアヌスは信じるフリをするしかなく、両者に修好が結ばれるとオクタヴィアヌスの姉オクタヴィアがアントニウスに嫁ぎ、自分もアントニウスの親族と婚約することになった。後にオクタヴィアヌスの縁談はセクストゥス・ポンペイウスと講和するために破談になっているが、アントニウスとオクタヴィアはギリシアで会うと古都アテネに滞在し、不安定ながら騒乱の影は姿を潜めたように見える。史料によればフルヴィアは夫の変節に憤死したとも伝えられているが、政略結婚が珍しくもないローマだからたぶん普通に離縁されただけだろう。
貞淑なオクタヴィアは粗雑な野獣を連れて、哲学と文化の町を訪ねてまわるがアントニウスに貞淑な妻はもの足りず、哲学も文化も理解できなかったらしい。オクタヴィアをローマに帰すと再びパルティア遠征を試みるがこれ自体はもともと彼の大義名分だから問題ない。だが陣営地を構えたアントニウスを追ってエジプトからクレオパトラが押しかけてきたから話はややこしいことになった。「ローマ女を捨ててエジプト女に乗り換えたアントニウス」に市民は呆れて非難の声を上げるが、一方でオクタヴィアヌスも聖人君子であったとはいい難かった。イタリア鎮定後にスペインを制圧、難敵セクストゥスを打倒していたオクタヴィアヌスは先の政略結婚で迎えた妻スクリボニアを離縁していたが、とある元老院議員の妻リヴィアに横恋慕すると妊娠中で子連れの彼女を強引に口説き落としてしまったのだ。
「私がエジプト女王と寝ていることを非難する、そういう君はいったい何をしているのか」
とはアントニウスがオクタヴィアヌスに宛てた手紙である。どうも色恋沙汰では人に誇れぬ二人だが、政略結婚が珍しくもないローマでは彼らの色恋沙汰も政略的な意味を持つ。未だパルティアに出陣せぬアントニウスがエジプト女王と寝ることは非難される材料になるが、イタリアとスペインを平定したオクタヴィアヌスがリヴィアと結ばれることはそうではない。名門クラウディウス氏族とリヴィウス氏族に連なるリヴィアとの縁戚は、出自の低いオクタヴィアヌスにとって元老院を懐柔する意味を持つのだ。そのことにオクタヴィアヌスはおそらく気がついていたが、アントニウスもクレオパトラもおそらく気がついてはいなかったであろう。
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