2011年06月12日


処刑(歴史)

 アクティウムの戦場から逃亡したクレオパトラとアントニウスの両名から、追撃するオクタヴィアヌスに宛てて和を請う手紙が送られている。アフリカにいるアントニウスには何の音沙汰もなかったが、エジプトに戻ったクレオパトラには返書が届いてそこにはすべての武装を解いて降伏せよ、話はそれからだという容赦のない内容が記されていた。宣戦布告をした侵略者クレオパトラに対する、オクタヴィアヌスの態度が窺える。

 投降した兵士や船団の受け入れに時間がかかり、オクタヴィアヌスの南下は遅れていたがすでに情勢は決しており、性急にことを進める必要はない。クレオパトラに宛てた手紙には叛将アントニウスをローマに突き出せという要求すら書かれていたが、さしものクレオパトラも首を縦には振らなかった。この時アントニウスはわずかに残った手勢を連れて北アフリカ沿岸に構えていたが、オクタヴィアヌスの接近に勇敢だが無益な抵抗を試みる。小競り合いが続く中で女王死すとの報が届き、すべてを断念したアントニウスは剣を抜くと潔く自らに突き立てた。
 ところが第二報がきて女王はまだ生きている、とのことである。単なる誤報であったか故意に流された情報であったのかは不明だが、アントニウスは瀕死の体でエジプトに向かうとクレオパトラの部屋へと運び込まれて、傷ついた男は愛する女人の腕の中で息を引き取ったと言われている。マルクス・アントニウス享年53歳。将軍としても統治者としても、叛将としても致命的な失策を犯した人物だが女性への忠節は貫いた、と評されることもあるが逆に言えば女で身を滅ぼした、将軍としても統治者としても叛将としても失敗した男だったと断じることもできる。その判断は人が悲劇を好むか喜劇を好むかによって変わるであろう。

 もはやさえぎる者もなくなった勝利者オクタヴィアヌスはエジプトの首都アレクサンドリアに上陸する。籠城するクレオパトラは女王の地位やエジプトの財貨を差し出しての講和を持ちかけるが、勝者は聞く耳を持たず王城に兵士がなだれ込むと人々を一網打尽に捕らえてしまった。巨大な宝物庫もそのまま没収したから財貨を指しだされる必要もなく、兵士のほとんどは金で雇われた傭兵だからクレオパトラに抵抗する術はない。プトレマイオス王朝エジプトの民衆とはしょせんギリシア人だから、現ギリシア人と同じく国家の危機に立ち上がったりはしないのだ。
 こうして勝者の前に突き出されたクレオパトラはカエサルやアントニウスのときと同じように、オクタヴィアヌスをたぶらかそうとしたものの四十女の肉体では色香も通じなかったと言われている。女として絶望した彼女は毒蛇に自らを咬ませた、として悲劇の幕は閉じられるがこれは歴史家や戯曲作家が書いた趣味の悪いジョークであるに過ぎない。カエサルにとってのクレオパトラはエジプト情勢を安定させる王族だったし、アントニウスにとってのクレオパトラは同盟国を治める王である。オクタヴィアヌスが宣戦布告した侵略者クレオパトラが色香ごときで許される筈もなく、それはクレオパトラも重々承知していただろう。講和を持ちかける彼女の提案は王位や財貨を差し出しますというものであり、貴方の女になりますからと哀願すればそれはもはや狂人だ。

 これに対するオクタヴィアヌスの返答は貴女を凱旋式の飾り物にする、というものだった。討伐軍総司令官としては当然の態度だが、実のところ凱旋式に送られた者が必ず殺されるとは限らず、式典が終わって幽閉される例もあれば貴族として遇された例、同盟国の王族に嫁がされた例もある。じじつアントニウスとクレオパトラの子は、オクタヴィアヌスの姉でアントニウスのかつての妻であるオクタヴィアが預かると後には有力家門に嫁いで皇族を輩出してもいる。
 だがアレクサンドリアの陥落とほぼ同時に、オクタヴィアヌスが早々に捕らえて処刑した者が一人だけ存在した。不幸なカエサリオン、本名カエサル・プトレマイオスと名付けられていた少年をオクタヴィアヌスは決して生かしておくことができなかったのである。おそらく、いや疑いなくクレオパトラが彼にカエサルの名を与えることがなければ少年は余命を永らえていたに違いない。ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスにとってカエサルを名乗る者が世に二人いてはならないのだ。クレオパトラが絶望して自殺したのだとすればそれは女としてではなく、政治的動物として彼女の野心を支える王統が潰えたことを理解したからではなかったろうか。

 かつてカルタゴが滅びたときも、マケドニアが滅びたときも彼らはそれを回避する手段を持ちながら半ば自業自得によって国の命脈を尽きさせている。プトレマイオス朝エジプトも女王たるクレオパトラ七世フィロパトルや、不幸なカエサル・プトレマイオスがローマに抗しながら王位を保ち続ける手段はあった筈だ。ローマは共和政であった当時でもどこぞの大国よろしく世界を民主化の波で塗り潰そうとはせず、ユダヤやヌミディアの王はローマの友人や同盟者として扱われていた。
 王が処刑されて女王が自害したことによって、古代エジプトの歴史は幕を閉じることになる。とはいえ英雄アレクサンダーに制圧されたときにとっくに終わっていた古代エジプトが、ギリシア系エジプトになってからもう一回滅びたというだけだし最近でも独裁国家エジプトが滅んで内紛国家に変貌していることを思えば、国の滅亡などあまり大した事件ではないのだろう。とりあえず、神々の一員である王族が治めていたエジプトは「神君」カエサルの子オクタヴィアヌスの私領として扱われることになるのである。
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