2011年07月09日


ローマ皇帝(歴史)

 共和政最後の旗手であったキケローやブルータスはすでに世になく、三頭政治の競争相手であったアントニウスとレピドゥスも消えて、カエサルの血縁を称するカエサリオンは処刑された。ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスがカエサルの後継者であることに異を唱えることができる者は誰もおらず、元老院も第二次三頭政治発足以降は消極的にであれ服従する姿勢を見せている。

 だが若き独裁者はカエサルが暗殺された理由を知っていた。そしてオクタヴィアヌスを支持する元老院の本音が「アントニウスよりはまし」であることを誰よりも心得ていたのは彼自身であり、そのアントニウスがいなくなった以上、共和政に幻想を抱く元老院の不満はこれからすべてオクタヴィアヌスに向けられることになるのだ。元老院が主導する共和政ローマはとうに倒れ、競争者を排除して権力を手に入れた若者が皇帝になると宣言をしたところで阻む者は少なかっただろう。だが年が明けた議会で居並ぶ元老院議員を前に、オクタヴィアヌスが言明したのは彼が独占する権力の国家への返還と共和政復帰宣言であったのだ。
 オクタヴィアヌスの宣言を聞いた人々はしばらく耳を疑い、あっけにとられていたが言葉の意味を理解すると滝のような歓声を若者に浴びせかけた。彼らはそれを期待したことはあったが実現するとは思ってもいなかった。ローマの内乱を鎮めた謙虚な若者に対して、元老院は高貴な存在を意味する「アウグストゥス」の尊称を与えることを提案すると全会一致で承認される。共和政ローマですぐれた功績を上げた人物には権力ではなく名誉が与えられるべきであり、後にアウグストゥスとなる若者は彼自身が記した業績録の中で、これ以後私は皆に権威で勝ることはあっても権力で勝ることはなかったと語っている。

 そのオクタヴィアヌスが返還した権力はいくつか存在したが、主たるものは第二次三頭政治による統治権やエジプト討伐のために就任した総司令官職といったもので、形式だけを見れば政治と軍事の大権を自ら手放したように見えなくもない。だが彼はスラのように引退していち私人に戻ると言った訳ではなく、キンキナートゥスのように畑を耕しに戻った訳でもなかった。若くして執政官を経験した彼はれっきとした元老院議員であり、プロコンスルと呼ばれる執政官経験者であり、第一人者たるプリンチエプスの権威を持ち最高神祇官の役職にも就いていた。キケローも呼ばれたプリンチエプスの名は元老院のリーダーを意味しており、カエサルも就任した最高神祇官は宗教儀式を統べる長だがローマで唯一終身かつ同僚がいない官職でもある。
 そしてオクタヴィアヌスはカエサルの遺産の継承者であった。兵士から最高司令官を讃えるインペラートルの名で呼ばれる権利、護民官特権と呼ばれる平民集会の召集権と肉体の不可侵権、それらは養父カエサルの遺言として元老院でも承認されている。共和政復帰を宣言した若者の手に残されたものは元老院を主導するプリンチエプスの権威、軍団を統べるインペラトールの呼称、そして最高神祇官にして護民官特権を持つ神君カエサルの家名でありこれらはそれぞれプリンス、エンペラー、カイザーの語源となる。元老院と平民集会の双方を主導して宗教儀式を統括し、すべての軍団兵士を従える神君カエサルの子。「アウグストゥス」とはこれらすべてを備えた高貴な存在を意味する言葉になったのだ。

 こうして初代ローマ皇帝アウグストゥスが世に誕生する。彼の後継者たちはカエサルの家名を受け継ぐことによってアウグストゥスの権威を受け継ぎ、カエサルは皇帝に対する呼び名となった。だが名目的にはあくまで彼らは元老院を従える支配者ではなく、元老院筆頭として議会をリードする存在でしかない。「内乱の一世紀」の原因となった元老院と平民集会の対立は解消されて、双方を主導する第一人者がこれを治めるという手法は形式としてはマルクス・トゥリウス・キケローの思想に近かった。
 これを指して後世の歴史家にはローマ皇帝を指すプリンチエプスを訳して大統領と呼び、元首政ローマと定義する例もあるのだがこれは帝政の現実を見ない評価であるのか、あるいは元首政というものが実際には帝政でしかないのか判断が難しいところだろう。
>他の戯れ言を聞く