2011年09月25日


ローマの支配者(歴史)

 神君カエサルは共和政を破壊した独裁者であったが強力きわまる指導者でもあり、多くの部下を従えて総司令官の象徴たる赤いマントで風を切る姿がことのほか似合っていた。その後継者としてローマを主導したアウグストゥスは自ら共和政復帰を宣言した手前もあり、支配者ではなく第一人者としての体裁を取り繕う必要があったが、彼自身は人事の達人であり自らすべてを為すより協力者に委ねることを得意としていた事情もある。

 後代の思想家マキアベルリも称賛する共和政は執政官と元老院と平民集会が互いを監視しながら統治するという方式であり、王と有力者と民衆が鼎立して政治に参与する極めてすぐれたシステムということになっている。とはいえ実際には元老院と平民集会という二つの政府が対立して、一世紀にも及ぶ内乱の原因となっていたのは今更のことだった。百年も殺し合いが続けば誰だって、理想の政治とやらよりも枕を高くして眠る平和がマシだと言うようになる。
 だが理想が現実に負けましたと断言するのはあまりに情けない。人々は羞恥心を大義名分で隠す必要があったから、アウグストゥスが掲げた共和政復帰宣言に涙を流して飛びついたという次第である。みなさんは独裁を受け入れた人々ではなく、共和政を復帰させた人々なのですと言われるほうが気分的にも楽だった。第一人者たるプリンチエプスが元老院を主導する体制自体はアッピウス・クラウディウスもマルクス・キケローも行っていたことであり、現代でもプリンチエプスを大統領、アウグストゥスのローマを元首政と訳している例があるが、それは当時の元老院議員がそう書き残したということでもあるのだ。

 では大統領アウグストゥスはどのようにローマを統治していたか。この人はカエサルの遺産相続人だがカエサルはほとんどの財産を市民に配っていたから、遺産というのはカネではなくカエサルが持っていた名誉や権利に他ならない。具体的には最高神祇官として祭儀を主催する責任、兵士からインペラトールと呼ばれる権利、平民集会の代表たる護民官の権利、ハゲ隠しに月桂冠をかぶってよい権利などである。
 共和政の末期、ローマは元老院と平民集会という二つの政府が対立する事態となっていた。平民集会の決定は元老院の決定と同じ価値を持つというホルテンシウス法は制定された当時はもちろん正しかったが、グラックス兄弟がこれを武器に元老院を無視してローマを改革しようとしてから両者の対立は決定的になる。スラは護民官の権利を剥奪したが人民の権利が平等になっていく流れを止めることはむつかしくすぐに元に戻されている。これを力ずくで解決したのがカエサルであり、それを受け継いだのがアウグストゥスだった。

 もともと平民集会は護民官を選ぶ集会で、護民官とは元老院への拒否権と元老院に殺されない権利などを持っている。だがこれだけではあんまりなので、戦争中と非常事態宣言中は護民官の権利は使えないという例外事項も設けられていた。任期一年をつとめると元老院議員になることができたから、護民官は平民が出世して元老院議員になれる道であり元老院としてもよくいえば平民代表がいた方が交渉しやすく、悪く言えば懐柔しやすくなって具合がいい。
 アウグストゥス自身は若くして執政官もつとめていたから立派な元老院議員であり、第一人者たるプリンチエプスと呼ばれる名誉も与えられていた。プリンチエプスとは元老院で最初に名前を呼ばれるとか、最初に発言していいといった権利だからキケローのような人はことのほか喜んだが実質的な力は何もない。だが元老院の第一人者であるアウグストゥスが平民代表なら、平民集会で決めることはなにもないから平民集会が開催される理由もなくなってしまう。もちろん平民集会を開催する権利は護民官が持っていたからこれでローマが分裂する原因は取り除かれたという訳だ。

 では元老院はどうだったか。カエサルが六百人に増やした議員定数はさすがに多すぎるとして、アウグストゥスは以前の三百人に戻している。カエサルが増やした議員はほとんどが毛皮を着てウホウホいうガリアの有力者たちだったから、ガリアをおとなしくさせる役には立ったが昔ながらの議員はさすがに面白くない。アウグストゥスは元老院議員に与えられる、劇場でいい席に座る権利といった待遇はそのままにして議会に参加する必要はありませんといって彼らを解任してしまった。ウホウホいう議員たちはローマに来ればフリーパスで遊べるし、これで国にも帰れるなら悪い話ではなかった。
 ところがアウグストゥスは六百人が三百人でも多すぎますよねと言う。三百人いる元老院にも色々な人がいたが、昔ながらの貴族や統治の実績がある議員はもっと意義のある仕事に関わるべきである、何しろ共和政がはじまった時代元老院は定員百人だったのだ。アウグストゥスは元老院議員から選抜された有力者委員会をつくり、重要な政策や案件はここで討議してから定例の元老院で承認しようという制度を提案した。つい先ほどまでウホウホ議員と同格の扱いを受けていた、先祖代々の議員や執政官経験者たちはもちろんこれに賛成する。共和政復帰を宣言した若者が自分たちに統治の責任を与えてくれるのだから断る理由は何もない。

 こうしてアウグストゥスの元首政がはじまった。委員会の常任メンバーにはアウグストゥスとアグリッパの二人がいたが、彼らは実際に元老院の有力者だしそのくらいは仕方ない。十人から二十人程度のメンバーが討議して、最終的な決定には過半数の支持が必要だから好きに振る舞うこともできないだろう。だがアウグストゥスは委員会の中でただ一人護民官特権を、つまり元老院の決定に対する拒否権を持っていた。国連常任委員がアメリカただ一国で拒否権を持っているのもアメリカだけだったら何が起こるか考えてみればいいだろう。
 とはいえ元老院議員もこれに気がつかないほど愚かではない。たとえ「アウグストゥスが主導する有力元老院議員たち」が統治の実態であったとしても、独裁官カエサルの承認機関よりは前進だしアウグストゥスにしたところで統治の円滑を期すためには強硬な姿勢に終始する訳にはいかない。実際に彼らは遠慮のない発言をアウグストゥスにぶつけたし、立腹したアウグストゥスも激昂はせず席を外すと深呼吸をしてから討議に戻る例もあった。傍聴していたのであろう、若いティベリウスやドゥルーススは義父の振る舞いに首を傾げたというがアウグストゥスは曰く、彼らが我々を害さないことに我々は感謝すべきなのだと言ったという。建前や大義名分とは決して詭弁ではなく、それすらも含めてすぐれた統治の実態が求められるのだと彼らは考えていたのであろう。帝政ローマの支配者とは、罵声すら受け入れなければ務まらないのだ。
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