2011年12月23日
大理石のローマ1(歴史)
アウグストゥスがもたらしたローマの平和は、帝国全域に渡って大規模な公共建築ラッシュを引き起こすことになった。これにはいくつかの理由があるが、内乱が終わり損壊した建造物を修復する必要に迫られて経済活動が動き出したこと、そもそも大規模な建築を行うことができる軍団兵がどんどん復員していったことなどが挙げられるだろう。宿将アグリッパもゲルマニアの最前線で軍備につくことが多かったが、後にはローマの各所を巡って大規模な橋や水道、神殿や街道の建築に尽力している。
これを指してアグリッパの功績を妬んだアウグストゥスが有能な将軍を地方に遠ざけたのだという声も上がったが、無責任な噂を信じる者は当時でもほとんどいなかっただろう。組織管理の名人たるアウグストゥスは現地現場の仕事を優秀な人物に任せるのが常だったし、アグリッパ建築は地方はもちろん首都にも呆れるほど立ち並んでいったのだから。
後に「レンガのローマを大理石のローマに変えた」と広言するアウグストゥスだが、ローマの建築技術は共和政時代すでに高い水準に達していた。もとはエジプトやギリシアからもたらされたもので、木材を使って足場はもちろん、クレーンや杭打ち機といった建築重機まで組み立てると驚くほどの短期間で大規模な工事をやってのける。規律を重んじる軍団兵はいざ作業を始めてしまえば自分の役割に従い実に効率よく働いてくれた。
ローマ建築の土台や骨組みにはたいていレンガが用いられて、隙間はセメントで埋められるが組み上げた自重で安定するように設計されているからアメリカンな2×4のように接着剤でくっつけたプラモデルのような脆さはない。レンガは規格品でサイズはほぼ統一、製造年まで刻印された保証品だから設計する側も楽だったろう。さすがに鉄骨鉄筋は使わないから壁が厚くなるのは仕方ない。
専門家ならずとも目につくところでは、地中海建築ならではの列柱の存在がある。神殿や広場にずらりと並ぶ太い柱、これは装飾であると同時に柱や庇による日陰を作るための手法だった。他にも演説や商談や裁判や私塾などに都度使われる広場等では、壁際を広く使うために半円のくぼみを設けるなど実用的な工夫が凝らされている。ローマにおける美とはあくまで機能美だった。
工法では数学の民エジプト伝来のアーチがやはり目を引いて、弓なりに組まれた石は互いの重さで安定して崩れることがなく頑丈であると同時に壁そのものを軽くできるし必要なレンガを減らすこともできた。三層四層の建築物はローマで珍しくもなかったから、屋根や壁があまり重くなれば下の階がつぶれてしまいかねず、軽量化の必要は絶対にあったのだ。後に有名なハドリアヌスのパンテオンでは、頂上が丸く空いた円蓋というとんでもない建築を実現しているが名建築家アポロドロスにも無理だといわれた円蓋を皇帝は重さを変えたレンガを何種類も用意することで実現している。
ローマの建築は美しくてしかも実用的であることが最善だと言われていて、単なる装飾を見てもフロア毎に様式を変えて自分が今何階にいるのか分かりやすくするといった工夫が見える。かのムッソリーニは平板なコンクリート壁にアーチ窓をくりぬいただけのビルを建てて、ローマの再建をうたっていたが外見だけを見て中身が伴っていなければこのように美しくも実用的でもないシロモノができるという例である。
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