2012年05月26日


モラル(歴史)

 アウグストゥスは生真面目な人物だった。大伯父カエサルはエピキュリアンを絵に描いたような性格で、自分自身を含めて人間のモラルに期待するそぶりも見せていないがアウグストゥスは帝国を主導する人物として市民にモラルを示す必要があると信じていたのかもしれない。とはいえ私人としても時間に厳格で、日記には食べた食事の量まで記して奥方と議論をするにも草稿を用意したというアウグストゥスだけに基本的に几帳面な人物ではあったのだろう。
 いずれにせよ帝国の新しい指導者は少なくとも公人としては厳格なモラリストであり、マルケルスに支援をさせた文化活動でも素朴な田園生活や質実なローマの姿を描いた作品を奨励してもっとこういうものを書きなさいと望んだほどである。とはいえアウグストゥスの文化活動は歴史的には高い評価を得ている一方で、統治者が芸術家にモラルを求めるのだから残念なことにすぐれた作品に恵まれたとは言い難い。

 もしも共和政ローマにおいて、国を主導する元老院議員の誰もが小カトーのように清廉潔白であればローマは盛況で共和政は揺らぐことすらなかっただろう。アウグストゥスが国を主導するローマでは、そこまで望めずともせめてローマ市民と元老院議員のモラルを取り戻すことができれば国の力を取り戻すことにつながる、それがアウグストゥスの望みであったろうか。
 当時でも後代の評価においても、アウグストゥスは一流の政治家でありその手法は複数の政策に同時に取り組んでそれぞれが不足を補いながら全体として大きな事業を成し遂げるという方法を取っていた。軍備の再編や国境の平穏化はもちろん財政の健全化や治安の回復、公共事業の推進による雇用の創出など数え上げればきりがないが、そのアウグストゥスがモラルの改善につながる一連の政策だけはことごとく失敗している。その原因をローマ人の退廃や帝国主義のせいにするのは自由だが、ことはそう短絡的ではない。

 元来、神々の力を借りて建国されたローマならずとも宗教とモラルは厳密に結びついていることが多い。かつて大都市ウエイを攻略したカミルスは女神ユノーをユピテルの妻に迎えていたし、第二次ポエニ戦争でハンニバルへの苦闘を強いられたローマは東方の大地母神キュベレイを呼んでいるが、これは別に迷信や神頼みではなく複数の民族が融合したローマにおいて神々への信仰とは民族の文化を受け入れることを意味していた。神々を迎えることはそれを信仰する人々を迎えて協力や助力を得ることであり、だからこそ自分の神様しか信じないユダヤ人は他人の信仰を認めない連中として嫌われていたのである。
 ローマには数万を超える神々が暮らしていると言われており四辻にまつられた祠の神様とか赤子が元気に育つ神様、夫婦喧嘩を仲裁する神様もいたがそれは異文化異民族を寛容的に受け入れてきた結実である。それらを本気で信じている者がいなかったとしても、昔からの市民であれば祠に手をあわせて供え物くらいするだろうし道端の地蔵を蹴飛ばせばバチが当たるとも考える。だが建国から数百年を経てあまりにも版図が広がりオリエントやガリアの人々までもが市民として暮らすようになると、彼らは古い神様なんて知らなかったから知りもしない神様からモラルを与えられる筈がなかった。

 考えてもみるといい。かつてガリアのあったジュテーム国から数万の蛮族どもが日本に移住帰化したとして、彼らに「男女七歳にして席を同じうするなかれ」などと教えて聞いてもらえるものだろうか。アウグストゥスの労苦はむなしく空回りをせざるを得なかったが、それは誰を非難できる話ではなくかといってモラルの改善に取り組まずに済む筈もない。
 共和政を懐かしみ節度なき人々を批判する多くの史料や記述を見て、悪の帝国ローマをただ盲目的に非難することは簡単である。だが複数の民族をひとつの国が統合して、政治と宗教が互いに健全に機能した例など二千年を過ぎた現代にいたってもいまだ発見されていない。そう考えれば一方を改善できずとも他方を改革したアウグストゥスが偉大な政治家であったことは疑いなく、仮にローマが共和政のままであったとしても彼らのモラルが改善された筈はないのである。
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