2012年07月29日


拍手喝采(歴史)

 アウグストゥスは若い当時から線が細く美しい青年だったと言われており、カエサルが彼を養子にした理由が愛人としてであったと揶揄されたほどである。実際に数多く残されている彫像を見てもなるほどと思える容貌で、この手の彫像は肖像画と同じく美化されることもあるがそれを差し引いても彼が評判の美男であった様子が窺える。ちなみに共和政時代の彫像では若い当時のポンペイウスが文句なく美しいが、青年時代のカエサルの彫像を見ると独裁官になって以降明らかに美化されているのが分かる。アウグストゥス自身は若く美しい青年であることを心得た上で、知性と道徳の神アポロンを自分に重ねた姿をたびたび民衆に示している。その後老年になってもアウグストゥスは自分の彫像を青年の姿に限定させているが、これは彼が若さを求めたのではなく「知性と道徳によりローマに平和をもたらすアポロン」の姿を掲げ続けたという意味だろう。

 帝政ローマの創始者、アウグストゥスの統治は41年間にもおよびこれは後のローマ皇帝の誰よりも長い在任期間となった。国境は安定、内政は充実して統治が揺らぐ素振りすらなかったが、晩年は残酷になり養子のティベリウスにつらくあたったとも言われている。とはいえもともとアウグストゥスは温和な人物とは言い難く、共和政末期にキケローら反対派を容赦なく処断した手法がルキウス・コルネリウス・スラと並べられることすらあった。自ら信じる公益を私的な感情に優先させることをためらわない人物ではあったようで、残酷でなくとも冷酷ではあった。
 共和政時代の弊風を吹き払った、アウグストゥスの帝政は現代でも元首政ローマと訳されて皇帝はむしろ大統領と呼ばれて帝国主義と一線を画されることがある。かつてキケローが共和政末期の混迷を憂い、これを救うには元老院を主導する第一人者が必要であると説いていたが、形式上アウグストゥスの統治はこれを踏襲しており元老院における彼はキケローと同じプリンケプスにして国家の父でしかない。無論アウグストゥスは元老院ではプリンケプスだが軍団では総司令官であり、平民集会では護民官特権を持つ代表者でこれらの権威をいくらでも笠に着ることができた。だが少なくとも元老院議員は議場でアウグストゥスに悪口雑言を浴びせることができたし、憤激した第一人者が議場を出て頭を冷やしたことも一再ではない。これがカエサルやスラであれば黙れと一括、あるいは首を切ることもできたがあくまでアウグストゥスは大統領として振る舞おうと苦心していたのだろう。「彼らが向けるのが悪口であり剣ではないことを喜ぼうではないか」とは若い当時のティベリウスをたしなめてアウグストゥスが言った言葉とされている。

 第一人者であり総司令官であり護民官特権を持つ帝政ローマの「大統領」が、長く平和な統治を続けた後に息を引き取ったのは紀元14年8月19日、ノラの町で余後を過ごしていたときのことだった。愛妻リウィアに心からの感謝を伝えた後、居並ぶ友人らに「それでは皆様、この劇がお気に召しましたならば拍手喝采をお願いします」との口上を残している。アウグストゥスが自分の事業をどのように考えていたかを知ることはできないが、少なくとも彼が自分に与えられた役割を演じきった名優であることには異論の余地がないだろう。散文的で几帳面なアウグストゥスが最後に残した言葉は生涯を賭した冗談ではなく、それすらも彼の本心ではなかったかと思えるのだ。
 ギリシア人は悲劇を好んだが、ローマ人が好んだのは仮面喜劇である。舞台はハッピーエンドで終わり、観客は拍手喝采で俳優の演技に応える。
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