2012年08月25日
神君アウグストゥスの業績録(歴史)
帝政ローマを創設したアウグストゥスの事績は彼が自ら書き残した「神君アウグストゥスの業績録」に見ることができる。業績録は著作ではなく碑文として彫られるとローマの第一人者が成し得た成果として内外に示されたが、こうした記録を栄誉として残すこと自体はローマでは珍しいことではなく帝政の創設者として正当性を示したいアウグストゥスには当然の行為だったろう。それは彼自身のためというよりも、彼の後継者に指標と正当性を与えるためである。
ローマの平和をもたらしたアウグストゥスの業績は多岐に渡り、その功績を否定することはほぼ万人に難しい。市民には内乱の一世紀を終えた事実だけで充分だったろうが、兵士に対しても軍役から解放しつつ復員した者が窮乏しないように莫大な資金と時間を注ぎ込んでいる。軍務に就くことで職を得ていた者も国境を守る常備軍に残ったから、彼らが無産階級に陥ることはなく現地部族を従えて平和を守る誇り高い守護者になることができた。
戦乱が鎮まり交易が活発になると、通貨と税制の改革に力を入れながら共和政末期の悪習であった汚職を撤廃して地方行政の健全化を図る。共和主義者の歴史家タキトゥスにすら属州での汚職が激減したと賞賛され、煉瓦のローマを大理石のローマに変えたと豪語する建築事業の数々は雇用の創出と社会基盤の整備、税収の増加を生み出した。工事に携わる人々はかつて軍団兵として陣営地を敷設した兵士であり、内乱でローマを破壊した兵士たちが街道や水道を整備することは何よりも平和を象徴する行為として人々の目に映ったに違いない。
無論こうした整備は陣営地にも及んでいたから、近隣の国や蛮族にすれば国境のすぐ近くに堅牢な城塞都市が幾つも立ち並んでそれぞれが街道で繋がっていくという事態が起こる。無謀にも槍を向けたところでそびえ立つ防柵に唖然とする間に援軍がやってくることは目に見えていたから、いっそ陣営で市場が立つ日に自分たちも入れてくれないかと取り入る方が利口だった。ローマと国境を接する部族が平和で豊かになれば彼ら自身が国境を守ろうとする新しい壁となる。最大で最強の隣国パルティアにとっても遠くインドから中国に至る特産品を高額で買い取ってくれるローマ人は大切なお客様であり、争う理由はどこにもないから互いに修好が結ばれた。
このローマを治めるアウグストゥスは自らを指して権威では万人に優越しても権力で同僚を凌駕することはなかったと記したが、これはあくまで彼が目指した統治がかつてキケローの唱えた「第一人者が主導するローマ」であったことを示している。名目上は中央集権であった帝政ローマが軍事独裁に変わるのはセヴェルス朝以降、一世紀半を経てのことでありそれをアウグストゥスのせいにする訳にはいかない。だが第一人者の権威が万人に優越する制度を作ることには固執したから、カエサル家に与えられた栄誉をカエサル家の後継者に継がせることにはことのほかこだわった。
アウグストゥスの統治には失敗もあれば軍事的な敗戦もあり、帝政が共和制に戻ることはなく主権はやがて市民から皇帝に移っていくことになる。だがローマは王政が打倒される以前から元老院が主導する共和国家であり、民主的であった例などただの一度もなかった。それが帝政であったという理由で、あるいはそれが完璧ではなかったという理由で平和と発展をもたらしたアウグストゥスの功績を否定することができるものであろうか。
神君アウグストゥスの業績録は国内外に示した彼の統治の成果である。だがローマの第一人者として41年間もの統治を続け、元老院とローマ市民を主導し続けたという事実こそが彼の業績を何よりも雄弁に証明してはいないだろうか。ローマの主権者がアウグストゥスの統治を受け入れ、その死後も神格化されると後の皇帝たちが「アウグストゥスの統治を目指す」と宣誓した、それがローマを独裁に導いた人物へのローマ人自身の評価である。
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