2012年09月30日
ローマ史観(歴史)
歴史を俯瞰する人々の視点はそのほとんどが偏っている。これは戒めの意味を込めた一般論だが、ことにローマの歴史においてはその傾向が強くしかも過去と現在で異なる偏向があって未来においてもそうであろう。まずもって古代ローマ人が自ら残した記録自体、そのほとんどすべてがブルートゥスによる王政打倒に端を発した独裁への批判と共和政への執着を基にしている。そもそもブルートゥス自身がタルクイニウス王家の一員であったことは都合よく忘れ去られているらしい。
共和政賛美の傾向はローマが帝政になって以降も変わることがなかったが、その原因は二つあって一つは歴史と記録を残した者が共和政に懐古まじりの偏執を抱く元老院議員であった点と、彼らによる執筆と言論をアウグストゥス以降の皇帝がとりたてて統制しなかった点にある。時の指導者によって多少の違いがあったとしても、ローマでは元老院議員が皇帝を批判することが法的に禁じられていなかった。たとえ内実が失われていたとしても、少なくとも形式上帝政ローマの皇帝は独裁者ではなく主権はあくまでSPQRにあったのだ。この建前すら崩れるのはずっと後代、セヴェルス朝になって以降でありネロやカリグラの時代ですらこの事情は変わらない。
後に衰退したローマをキリスト教なる新興勢力が席巻し、コンスタンティヌス教化以前のローマは悪であるという風潮が生まれると特にキリスト教徒やユダヤ人への弾圧を行った皇帝への弾劾が行われるようになり、それは現代のキリスト教圏の国々で未だに続いている。ネロは歴史上最初にキリスト教徒を処刑した人物だから悪人でなければならず、アウグストゥスはキリスト以前の皇帝だから免罪されても仕方がないという訳だ。とはいえコンモドゥスは当時から悪帝の評価が固定している人物だが、彼がキリスト教徒の女性を愛したという事実に対しては都合よく目をつぶることにしている。実のところキリスト教徒に対する処罰は五賢帝時代にも行われていたし、信心深いローマ人はキリスト教徒を「他人の神様を認めない狂信者」として忌避していたものだ。
そして近代民主政治思想に毒された国々では、古代ローマが共和政から帝政に移行したというその一点により彼らを悪の帝国だと弾劾する。帝国主義は悪でなければならないというのは第一次世界大戦の頃から列国の決まりごとになっているからこれはもう仕方がない。実際には大ナントカ帝国とうたって侵略と植民地支配に狂奔したのは近代の帝国であり、むしろ古代ローマで侵略者と罵られたのはまさしく共和政ローマであった。エトルリアもシチリアもカルタゴもギリシアもオリエントもガリアもエジプトも、共和政ローマが軍靴の下にねじ伏せてきた領土である。アウグストゥスはローマの平和と防衛主義を唱え、自分の死後も領土を拡大してはならぬと言明したから帝政ローマにおける侵略戦争はクラウディウス時代のブリタンニア遠征とトラヤヌスによるダキアとパルティアへの侵攻くらいしかない。ちなみにこのトラヤヌス、至高の皇帝として現代キリスト教徒も認める名君に数えられている。
そして古代ローマにはれっきとした階級制と奴隷制度が存在したから、自由平等博愛をうたうジュテミストにはもはやそれだけで悪だった。奴隷とは言葉を話す家畜であり、叩いても蹴飛ばしてもいっこうに構わないと信じている人であれば奴隷制度は悪だと思うだろう。古代の哲学者が自ら、ギリシア人は奴隷を家畜としか考えないのにローマ人は奴隷を人間として扱うと慨嘆したほどだから奴隷を家畜と思う風潮は当時も存在した。ローマの奴隷は金を稼げば一代のうちに解放されることができたし、解放奴隷の息子であれば立身出世して皇帝になった例すら存在する。奴隷の息子が大統領になりましたといって、納得ができる人であればローマを奇妙に思うことはないだろう。
再び記す。キリスト教徒への迫害、奴隷制度、領土侵略、帝国主義、軍事政権、エルサレム陥落、これらのただひとつでも悪いことだと考えるような人がいれば、その時点で古代ローマを見る目に自らフィルターをかけてしまっている。あるいは実際に悪いことであったかもしれないし、当時の事情を考えればやむをえないことであったかもしれないし、もちろん悪いことであったかもしれない。共和政を賛美する歴史家タキトゥス自身が、共和政が帝政になったことで属州総督の不正が激減したと率直に記している。
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