2012年11月03日


ユダヤ人の事情(歴史)

 ユダヤ人は表面だけを見れば武器を売り歩く死の商人であり自分たちだけが神様に選ばれたと信じる選民思想に囚われていて現在は虐げられているが今に見てろよといつも考えているような連中だと思われがちで、しかも実際にその通りなのだが彼らの主張にも理がない訳ではない。彼らの生まれ故郷や約束の地がどこにあるかはあまり大した問題ではないが、少なくともユダヤ人がはるか昔に暮らしていた土地を追い出されて放浪する民族になったのは事実だった。ポンペイウスがエルサレムを陥落させてから数十年を経ていた当時ですら、ユダヤ人とは数千年前の古代エジプト人から故郷を奪われた人々という振れ込みだったのだ。
 とはいえ虐げられたというならエトルリア人やスペイン人やアフリカ人のようにローマに屈服した民族は掃いて捨てるほどいるし、彼らは後に元老院議員はもちろん皇帝すら排出している。だがユダヤ人はエジプトでもローマでも下層民であり続けた、つまり歴然として差別が存在したがもちろんこれにも理由がある。大前提としてユダヤ人は神様に選ばれた人たちだったから、終末が来ると神様の世界に行くことができるのだが彼らの神様はたった一人しかいなかった。別に不思議なことではなくナントカ人が信じる神様の存在を認めたが最後、ユダヤ人と一緒にナントカ人も神様の世界に行くことができてしまうから「自分たちだけが」虐げられている彼らにとって他人が救われるなど不公平にすぎるのだ。

 これが信仰だけの話であれば内々で済ませることもできるのだが、この思想のせいでユダヤ人は絶対にエジプト人やローマ人と平等な権利を得ることができなかった。古代エジプトでは王様が神様だから、ユダヤ以外の神様を信じないユダヤ人は王様に従うことができずそんな連中が下層民でない訳がない。ローマでも事情は似たようなもので、移民は自分が信じる神様をローマの神々に受け入れてもらうことで対等の市民になることができたが他人の神様を認めないユダヤ人は他人と同格の市民になることができなかった。なにしろいつの日か自分たちだけは神様の世界に行けるのである、同格も対等も平等もこっちから願い下げなのだ。

 そんな訳で史上空前の帝国を実現したローマ人にも理解することができなかった、ユダヤ人を理解するにはこれらの事情を考慮する必要がある。信仰の自由だろうと完全な自治権だろうと商売上の優先権だろうと、何を与えたところでユダヤ人は虐げられている真っ最中なのだから感謝することもなければ満足することもない。究極的には「ユダヤ人だけが支配する世界」が到来してはじめて彼らは満足することができるのだが、当時の情勢ならローマもエジプトもパルティアも滅んでエルサレムを中心としたユダヤ王国が地中海全域を支配すれば彼らもさぞ満足したことだろう。
 この特殊すぎるユダヤの教えは特殊すぎるが故の宗派や思想を彼らの中にも生み出すことになるのだが、その中でイエスというごくありふれた名前の青年が生まれたことが後のユダヤ社会に大きな影響を与えることになる。とはいえ影響を与えるのはあくまでユダヤ社会でありローマではないのだが、更に数百年後になればローマにも大きな影響を与えるのでまあ覚えておいて損はないだろう。
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