2012年12月15日
とある大工の息子(歴史)
地中海世界を支配したローマが帝政に移行した当時、ガリラヤはナザレの地に一人のユダヤ人が生を受けている。後にキリスト教の開祖となるイエスという青年の生涯をアウグストゥスの存在と運命づける論調もなくはないのだが、実のところ当時のローマにとってイエスはいちユダヤ人以上の存在でも以下の存在でもなかった。イエスという名前はブライアン同様にごくありふれたもので、キリストは神様のことだからイエス・キリストといえば「神様イエス」の意味になる。ビンチ村のレオナルドさんのように出身地と合わせて呼ぶ場合はナザレのイエスと呼ばれている。
なにしろローマにはいちユダヤ青年に言及する史料など残す理由がなかったし、後世にばらまかれた福音書は記述がまちまちという有り様だからけっこうな偉人にも関わらず彼の生涯を正確に追うことは難しい。それでも推測まじりでたどってみるとイエスが生まれたのは紀元前7年から前4年頃、ヘロデ大王の治世末期とされている。処女マリアから生まれた神様の子という記述が有名だがヘブライ語で処女とは若い女、神様の子とはアブラハムの子でアダムの子孫という意味だから若い女マリアから生まれたアダムの子孫といえばあまり不思議なことではない。没年は紀元30年頃、第二代皇帝ティベリウスの時代でユダヤ総督ポンティウス・ピラトゥスの在任中に十字架刑に処されている。
ところで世界の終りが訪れたとき、ユダヤ教徒は神様の国に迎えられるがこれには条件があってユダヤ人であることはもちろん、ユダヤの律法にきちんと従う良い人であることが無論だった。そしてユダヤの律法にはエルサレムの神殿にオカネを納めるという極めて重要な決まりがあって、これを守る良いユダヤ人だけが神様の国に行きつくことができるのである。ところがナザレのイエスなる青年はこれを痛烈に批判して神殿から商人を追い出せとまでのたまった。これ自体は禁欲主義をうたった師匠ヨハネの影響で、貧しくて律法を守れない人を救おうとしたためだろうが神殿への献金は酒池肉林のためではなく国もなく放浪する同胞を援助するための財源なのである。理想主義は良いが現実を犠牲にする理想を認められる訳がなかった。
そしてイエスの不幸、あるいは幸福は彼の影響を受けた弟子たちが実に積極的な、つまり伝統的ユダヤ人には迷惑な活動を広めてくれたということだった。貧乏人にもできる禁欲的で倫理的な生活をすすめたのがヨハネだが、イエスの主張はずっと極端でむしろ貧乏人こそ救われる人々なのだと説いている。社会的弱者や病人罪人に積極的に関わりながら、あなたたちこそ神様の国に迎えられる人々だという彼の主張に賛同する者が多かったのも理解できなくはない。そして奇跡とはふつう弱者や病人を救うことで、必ずしも禁欲的でなかったイエスが貧乏人にユダヤ式の断食ではなくローマで配給されるパンやワインをすすめ、洗礼と称して垢だらけの身体を洗わせれば元気になる人も現れようというものだ。効果が出れば支持者が増えるし支持者が増えれば弟子と称する模倣者が増える。
こうして伝統的ユダヤ教徒の目の敵となったイエスは彼らに訴えられてしまうと、総督ポンティウス・ピラトゥスにより死刑の採決が下された。イエスの罪は自分が神様だと言い張って他人の神様を認めないこと、これをユダヤ人が訴えるのはお前が言うなという気もするが多民族国家そのものを否定する罪には違いない。とはいえ内容が内容だからこの罪状、最後の最後まで逃げ道が残されていて本人が違いますと言えばもちろん、黙秘しても証拠不十分で処断はできないとされている。法律の民ローマ人だけあって怪しきは罰しないのだが本人が供述すれば証拠にならざるを得ず、そしてナザレのイエスなる青年は総督が再三念を押しても「そうです私が神様です」と言い張るのだ。これでは助けようがない。
言い逃れず従容として刑に従ったか、正しいことを主張したのに裁かれる理不尽に憤慨したかは分からないがイエスは処刑されてしまった。福音書によれば死後三日で蘇ると弟子たちと生活した後で天に昇ったとも言われるが、蘇るなら安心して死ねるよなあという皮肉はともかく彼の弟子や支持者たちもいくらなんでも処刑されたのは気の毒だと思ったのだろう。復活したということは復活することが望まれたか、なにも殺されることはなかったと思われたかのどちらかなのだ。
イエスが死んだ後も彼の弟子たちはユダヤの一派として細々とした活動を続けるがそれが広まるのは紀元70年、エルサレム神殿が破壊されて伝統的ユダヤ教徒が力を失って以降のことである。いみじくも神殿から商人が追い出されてしまったので、各地にちらばった貧乏人が信じるキリスト教が生き延びたのでありその意味でイエスはまさしく預言者だったが、生きていた当時ではなく死んで以降に認められる気の毒さもまた預言者と呼ばれるにふさわしいだろう。
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