2013年01月26日


カエサルのものはカエサルに(歴史)

 ナザレのイエスなる青年が世に教えを広めていた当時、ローマを統治していたのはアウグストゥスでもネロでもなくティベリウスである。第二代皇帝ティベリウスはアウグストゥスの実子ではなく妻リヴィアの連れ子であり、共和政時代からの名門クラウディウス家に生まれていた。孫に先立たれたアウグストゥスがやむなく養子に迎え入れた人物、と揶揄されることもあるが若い当時の彼が皇帝の一人娘ユリアの再婚先に選ばれるほどの人物であったことも間違いない。この結婚自体は失敗だったが、その後皇帝がユリアを追放してもティベリウスを呼び戻したことを思えば彼への評価も窺えるだろう。
 とはいえこうした事情はローマ市民はもちろん、元老院議員にもどうでもよいことではあった。彼らの関心は皇帝が替わってもローマの平和が保たれるかどうかにあり、更にいえばこれからも元老院の権威が尊重されるか、気前のよい式典が行われるかどうかにあった。そして皇帝ティベリウスとは最初の一つは完璧に果たしてみせたが後の二つはまるで歯牙にもかけない人物だったのである。

 皇帝就任の当日、元老院はアウグストゥスが手にしていたカエサル家の権威をすべてティベリウスに継承する法案を提出する。それは拒否権と不可侵権を持つ護民官特権であり、軍団兵から総司令官と呼ばれる権利であり、最高神祇官として祭儀を司る権利であり、元老院の第一人者として常設委員会に出席する権利などであった。ところがティベリウスはこれらを元老院に返還すると宣言する。史書に曰く、元老院はティベリウスの発言を信じなかったとあるが事情はやや異なるだろう。カエサルの後継者はいざとなれば最前線の軍務にすら就かなければならず、すでに安全で裕福な属州を統治している議員らが好き好んでカエサルの権利を欲しがる理由はない。彼らは実あれど労多い統治者の責務を自らの意思で放棄した、少なくともティベリウスはそう考えたのではないだろうか。
 とはいえあらためて統治権を託された皇帝も広大な帝国を一人で支えられる筈がなく、いずれにせよ有能な行政組織は必要だった。責任を辞退した元老院はといえば皇帝を幻滅させるに充分な人々の集まりで、たまに討議をしているかと思えば任地に奥さんを同行すべきか延々と議論しているような体たらくである。七月がユリウスで八月がアウグストゥスだから九月の呼び名はティベリウスにしましょうかと追従されれば面倒くさそうに十三人目の皇帝が現れなければいいねと答えてみせるしかなかった。

 ナザレのイエスが神のものは神に、カエサルのものはカエサルにと答えた事情は本来税金はローマに収めるべきものだが、当時ユダヤ人が神殿に納めていた寄進はそのまま神殿に納めるべき神のものであるという主張であった。これに倣うのであれば当時の元老院はカエサルが持つべきものをティベリウスに預けながらも、元老院が持つべきものは彼らが引き受けるべきではあったのだ。アウグストゥスの時代にすでに滅んでいた共和政にはもはや自ら再興する意思はなく、すべてのものをカエサルに与えた元老院は以後二度と政治的な存在として歴史に登場することはない。
>他の戯れ言を聞く