2013年03月31日


ゲルマニクスとドゥルースス(歴史)

 当時皇帝ティベリウスの後継者と目されていたのがゲルマニクスとドゥルーススの二人である。兄ゲルマニクスは皇帝の実子ではないがアウグストゥスの血縁で、養父とは違って誰からも好かれており皆が次の皇帝は彼と考えていた。弟ドゥルーススは兄に劣らず招来を期待された若者で、ゲルマニクスとの仲もよく皇帝はこの二人をたびたび最前線へと送り込んでいる。ライン川に面するゲルマニア防衛線は古くはアグリッパが、後はティベリウス自身が携わった国境防衛の要所だった。

 直情的で短慮なところもあるゲルマニクスはそれすら人に好かれる面があり、皇帝の代理で軍団を宣撫に訪れたときは彼を皇帝に担ぎ上げようとする声が上がるほどだった。名将とは言いがたいが無為と無能にはほど遠く、兵士たちを率いてたびたび遠征を行い犠牲こそ出したがそれ以上の軍功を収めている。帰国して凱旋式を行った後は東方視察に派遣されると、アルメニアの王位継承問題を解決して国境の安定に貢献した。
 ところが皆に期待されたゲルマニクスがその東方視察で現地司令官のピソと仲たがいをした挙げ句、謎の死を遂げるという事態が起こってしまう。死因はマラリアだったらしいがそもそも確執の原因が不明、不用意にもことの次第を聞いたピソが手をたたいて喜んだという事情もあり当時は誰もが毒殺を疑った。ティベリウスは彼らしく公正な裁判を要求するが、家名を守るためにピソが自殺してしまうとそれ以上の追求もできず事件はうやむやになってしまう。息子を東方に派遣したのはもちろんティベリウスだったから、ゲルマニクスの妻アグリッピナは夫の戦功を妬んだ皇帝がピソに命じて殺害させたのだと後々まで信じていた。

 ドゥルーススは実直な青年で、ゲルマニクスほど派手ではないが人格も能力も安定しており父にも義兄にも忠実だった。ゲルマニクスと同時期に、やはり皇帝の代理で軍団を慰撫したときは暴動寸前の兵士相手にたくみに時間を稼ぎつつ、首謀者を処断すると騒乱を未然に防いでいる。ゲルマニクスの死後、次期皇帝として彼が有力視されたことは当然だがそれをこころよく思わない者もいた。
 近衛団長セイヤヌスは皇帝も認める優れた人物だが、あまりに権限が強すぎることをたびたびドゥルーススに批判されていた。彼が次期皇帝になればセイヤヌスが排除されることは目に見えており、野心家の近衛団長はドゥルーススの妻や侍医らと共謀するとあろうことか毒殺に成功してしまう。その後セイヤヌスは派閥の強化と反対派の排除に奔走するようになるが、告発によりことの次第を知らされたティベリウスに断罪されると処断、暗殺の事情も判明したがそれでドゥルーススが帰ってくるわけでもなかった。

 自分が誰からも嫌われていることを承知していた皇帝は、彼の後継者が「ティベリウスよりも好かれる」ことを充分に理解していただろう。ゲルマニクスとドゥルーススが大成すれば次期皇帝とその盟友として、アウグストゥスとアグリッパに劣らぬ指導者をローマは迎えることができたかもしれない。それが果たされなかった理由は決してティベリウスのせいではないがまったく無関係だったわけでもない。不条理を承知で弾劾するのであれば、皇帝はなんとしても若い二人の死を回避すべきではあったのだ。
 二人の後継者が失われて、後に第三代皇帝の地位につくのがかの「狂帝」カリグラであることを思えば。
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