2013年06月08日


セイヤヌス(歴史)

 近衛団長ルキウス・アエリウス・セイヤヌスは一般には不名誉な奸臣としての印象が強い人物だが、厳格で公正なティベリウスに重用された彼が行政官として有能であったことは疑いない。共和政の時代から近衛軍団はイタリア半島に駐留が許されている唯一の軍事力であり、彼らを率いる団長はきわめて重要な存在だがその要職に信頼できる人間よりも衆に優れた人間を求めたのはいかにもティベリウスらしいだろう。
 セイヤヌスは皇帝の期待に充分以上に応え、近衛軍団を掌握して首都の治安を強化すると同時にポンペイウス劇場で起きた火災の鎮定などにも奔走して再建した劇場に彼の立像が設置される栄誉にも浴していた。だが首都で唯一の軍事力を率いる指揮官の権限が強まることは好ましくないと危惧を訴えたのが皇帝の実子ドゥルーススである。共和政末期の争乱を知るローマ人にとって当然の懸念だが、セイヤヌスにはおもしろい話ではなく皇帝の息子を疎ましく思わざるを得ない。

 もしもゲルマニクスが健在なら事態はこれほど深刻にならなかったかもしれない。だが彼が急逝した後はドゥルーススが事実上の次期皇帝であり、セイヤヌスにすれば実力で得た地位が皇帝の息子に脅かされているのだ。ドゥルースス暗殺に至るセイヤヌスの決意もあるいはその当初は自己防衛の意識から生まれていたのかもしれない。
 だがドゥルーススの妻リヴィアと共謀して暗殺を成功させた挙げ句、その後ゲルマニクスの妻アグリッピナや遺児たちの排除にも尽力したことは彼の野心が顕在化した事実を示しているだろう。ティベリウスが都の喧噪を嫌ってカプリ島の私邸にこもるようになるとセイヤヌスは事実上の統治者として振る舞うようになり、近衛団長の誕生日がローマの祭日になって軍団には皇帝像に並べて彼の像が置かれるようになったという。元老院議員の多くが彼との友誼を求めたのも無理もないというものだ。

 このセイヤヌスの野心をティベリウスがいつから疑うようになったのかは不明だが、それが決定的になったのは皮肉にも彼が皇帝との共同執政官に就任したことによる。共和政以来の慣習として執政官の一人は必ず首都にいなければならず、ティベリウスがカプリ島にいる以上執政官セイヤヌスは首都を離れて皇帝への取り次ぎを独占することができなくなった。それまで彼の手で遮断されていた事情が明らかになると皇帝は執政官を辞任、セイヤヌスも辞任せざるを得ず不安な日々を送るところに皇帝じきじきに任命されたという新任の近衛団長マクロが登場する。
 驚愕するセイヤヌスをマクロはなだめつつ、皇帝は貴方に誤民官特権を与えることにしたという偽の情報で足止めすると元老院が召集されてティベリウスの書簡が開かれた。延々と空文が読み上げられる間にマクロの手で近衛軍団が掌握されると、朗読が告発に変わり居並ぶ元老院議員を前にセイヤヌスを糾弾する内容が披露される。議場は喝采に満ちてセイヤヌスの処断を決議、呆然とする前近衛団長は首を斬られると阿鼻叫喚の石段を引き回されてティベリス川へと投げ捨てられてしまった。

 なにもセイヤヌスに限った話ではなく、ティベリウスにとって部下とは彼の統治を助ける手足以上でも以下でもなかったのだろう。数少ない彼の友人は統治に関わりのない文人や学者ばかりであり、セイヤヌスが皇帝との友誼を利用しようとしてもそれは決して成功しなかった。彼はあくまで実力と実績によってローマを専断できる地位を手に入れたが、もしも彼が彼らしく優れた手腕だけを発揮し続けていれば皇帝は彼の能力にふさわしいより大きな地位を与えたのではないだろうか。

 有能な人間がふさわしくない手段をとったことで破滅したのであれば、あるいはそのような無能もあるのかもしれない。
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