2013年09月23日


狂人と馬(歴史)

 古代ローマで一般に暴君狂帝といえばネロを筆頭にカリグラやコンモドゥス、カラカラなどが知られておりティベリウス晩年の恐怖政治も記録に残っている。とはいえ歴史とは書いたもん勝ちの世界だから、いざ記録の信憑性をたどってみると当時の人が嬉々として「筆をすべらせすぎた」事情もうかがえて、たとえばティベリウスは嫌われ者だが賢帝には違いなく、美少年を相手に性的倒錯に耽りもしなかったようだ。

 ではカリグラはどうかといえば未だに暴君の評価が揺るがぬ一人であり、史料が散逸して著しく少ない事情もあるとはいえ明らかに誇張されたと思われる悪口雑言がある一方で、まさかこれはないだろうという記録が事実だった例もある。妹と近親相姦におよび宮殿を売春宿にした、馬を執政官に指名した、議場に裸で登壇した、海を馬で渡ろうとした、宮殿を湖に浮かべたなど短い間にさまざまなエピソードが残されている。とはいえ近親相姦についてはゲルマニクスの遺児が度を超して家族を大事にするのは基本政策であることを忘れてはいけない。売春宿の件はそもそもアウグストゥス宅が普通の民家で、ティベリウスはカプリ島の別荘暮らしだからカリグラ時代の首都ローマに宮殿は存在しなかった。
 カリグラの統治で露骨に見えるのはティベリウスに輪をかけた元老院蔑視の態度である。カリグラは基本的に民衆寄りの皇帝だが、統治のはじめは元老院議員を優遇する発言や政策も多く見られていた。それが後期になると粛正や処断はもちろん恥をかかせるための子供じみた言動が多くなり、理由はともかく彼らが皇帝憎しになるのもやむを得ないことだった。この時代の元老院はセイヤヌスの奸計とティベリウスの粛清を生き延びた保身の達人で、元老院との奸計が冷え込むとたちまち皇帝はさまざまな陰謀にさらされた。

 帝政ローマで元老院とは皇帝または政策ごとの専門委員会が決めた議案を承認するための機関である。委員会のメンバーはアウグストゥス時代は元老院議員だが、ティベリウスはこれを現場から登用したから元老院は皇帝と現場が決めた事案を追認するだけだった。ローマが順境にあればうなずくだけ、逆境にあれば皇帝や現場のせいにするだけの連中にカリグラが呆れたのも当然で、お前たちより私の馬のほうが従順なだけマシだと執政官に指名したくなる気持ちもわからないではない。
 このカリグラを暗殺したのはカシウス・カエレアという人物だが、あまり言動が女々しいのでふだんから皇帝に「男根くん」「女性器さん」と呼ばれていた。この男根くんが兵隊を連れて皇帝に襲いかかると何本もの剣を突き立てて、皇妃も殺して幼い娘は壁に頭を打ちつけた。ところが民衆派のカリグラは市民にけっこう好かれていたから暗殺者に同調する声はなく、もたもたしている間に近衛軍団が皇帝の叔父クラウディウスの身柄を確保してしまう。ローマ皇帝は元老院と市民の双方に承認されることが就任の条件で、そして兵士とは市民だから喝采の声を上げて新皇帝クラウディウスを迎えると元老院も従わざるを得なかった。当然だが暗殺者たちは処断、カシウスも処刑されてしまう。

 史料に記載されている事実が歴史的な事実であるというならば、皇帝カリグラは狂人だが元老院は馬以下の連中だったということになる。だが狂人の死にローマ市民は哀悼の声をあげており、それはカリグラが実際には狂気ではなかったのか、それとも狂人でも馬以下の連中よりはマシだと思われていただけか、さてにわかには判別しがたい。
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