2013年11月10日


狂人と海(歴史)

 ティベリウスが蓄えた国庫をあっという間に空にしたカリグラの浪費の一つとしてブリタンニア遠征が知られている。かつてカエサルが試みた遠征を引き継ぐべく、ドーバー海峡まで兵を進めたはいいが海を前にして渡航もせず兵士に貝殻を拾わせると帰国して凱旋式だけ開催したというものだ。呆れたエピソードではあるのだが、いったい何のためにカリグラが兵を出して何の理由で中止したかはいまひとつ謎になっている。
 動機であればこれはほぼ間違いなく、軍務経験のない皇帝が箔づけに凱旋式をしたかったというだけだろう。幼い頃のカリグラは軍団のマスコット扱いもされていたが、その後は行政職に多少ついただけでそもそも武器を手に戦場に出たことがない。よりにもよって皇帝の本名ガイウス・カエサルはガリアを制圧した不世出の英雄と同じだったし、父ゲルマニクスや先帝ティベリウスが多くの武勲を建てたのにカリグラが軍務経験ゼロなのはさすがにまずかった。

 だがティベリウスやゲルマニクスがたびたび兵を出したゲルマニアに比べると、ブリタンニアは100年ほど昔にカエサルが遠征して後はそのまま放置されている。「平和なガリアの平和を守るために」海の国境を守る必要はあるが危急ではなかった。
 あるいはカリグラは最初から渡航するつもりがなく、兵士を並べて示威行為をするつもりだったのかもしれない。属州ガリア防衛のためにドーバー海峡沿岸まで兵を出す、もしもブリタンニアの蛮族が上陸していればたたくつもりだが、基本的には海の向こうを威嚇していずれ海峡を越えるためのデモンストレーションを行う。なにしろカリグラはまだ若かったし、ブリタンニア遠征を急ぐ必要はまるでないのだ。後に次期皇帝クラウディウスが本格的な遠征を行うまで5年とかかっていない。

 そんなわけでブリタンニア遠征の先鞭をつけたカリグラは首都に帰ると凱旋式を挙行する。敵と戦ってすらいない凱旋を無意味な愚挙と見るか、先走った軽挙と見るかはともかく遠征計画自体は後代に引き継がれたのだから国の事業として間違ってはいない。ただ金もないのに遠征と凱旋式まで挙行したことが国の事業としてあまりに間違っていただけである。
 ところでチャーチルには悪いがカエサルがブリタンニアに兵を出した理由は「こっちに来んな!」と蛮人を追い払うためだった。ブリタンニアをきちんと征服すべく兵を出したのは皇帝クラウディウスであり、その先鞭をつけたのがカリグラである。つまり大英帝国の歴史は狂帝カリグラが海辺で貝殻を拾ったときに始まったのだが、そんな話を聞いて喜ぶのは当のイギリス人くらいのものだろう。
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