2013年12月07日


狂人と神(歴史)

 古代ローマでは偉人が死ぬと神様になる。もちろん神様になるのは死んだ後で、カエサルやアウグストゥスも神様になっていたがこれには政治的な理由があった。皇帝は色々な役職を兼ねているがその一つが最高神祇官で、これは色々な国や民族を受け入れたローマが色々な宗教も受け入れたことを意味している。みんなローマの神々として崇めるというわけで、主神はユピテルに全部兼任してもらう。よその宗教でもヴィシュヌが複数の姿を持つように、多神教では決して珍しい例ではない。
 とはいえ宗教だから特殊な例もある。例えば政教一致のエジプトでは王様が神様を兼ねていて、アレクサンダーに征服されてギリシア女が治めてもこの事情は変わらなかった。そのクレオパトラを倒したローマも王様を追放して議会政治にするといえば神様を追放することになるから民衆が納得しない。ではどうしたかといえば神様カエサルの息子アウグストゥスがエジプト王を襲名、親政を敷いたのである。たかがエジプト一国にそこまでするかといえば、主食の小麦は大半がエジプト産だからそこまでするべきだった。

 ところでこれがユダヤ人の言い分になると、世界にたった一人の神様が現れると世界が滅ぶ(極論)から現人神なんてもってのほかで、自称神様の青年イエスを磔にしろと言われてローマ長官が抵抗できなかったほどである。もちろん強硬派の言い分だが、穏健派も擁護できなかったのだからイエスの存在が最悪だっただけでことさらユダヤ人が頑迷だったわけではない。単に彼が一番立派な使徒であればたぶん処刑されずに済んだろう。
 こうしためんどうくさい理屈を理解できなかったのがカリグラで、あろうことか彼は生きているうちに自分を神格化、しかも神々の主神ユピテルだと言い張った。じゃあユピテルが神祇官として他の神様に祈るのかよとたしなめるような議員もおらず、神々の正装である半裸姿で登壇したりユピテル像の首を自分のそれにすげ替えたりしたが、宗教であれば笑い話で済まないこともある。エジプト人は皇帝が神様でも受け入れる、だがユダヤ人はこれを認めれば約束の地がエルサレムではなくローマになってしまうのだ。

 もちろんユダヤ商人と伝統的に仲の悪いエジプト商人はこれを利用する。彼らは皇帝に進言して「ユダヤ人は陛下をうそつき呼ばわりしていますよ」と本当のことを言えばよかった。皇帝の友人だったユダヤ王アグリッパがいなければどうなっていたか考えるだに恐ろしい。
 カリグラが自分を神格化した理由はたぶんカエサルとアウグストゥスが神格化されて、嫌われ者のティベリウスが神格化されなかったからだろう。ちなみにティベリウス自身は神格化しますと言われてもそんなものはお断りだと、彼らしく呆れきった顔になって「何万人も神様がいるのにまだ欲しいのかね」とでも言ったかもしれない。
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