2014年02月18日


カリグラの記念碑(歴史)

 サン・ピエトロ広場にある巨大な記念碑、オベリスクといえばバチカンを象徴する建造物として多くの人に知られている。かつて法王パウロ三世がミケランジェロに命じてこの重さ300トンを超える石のかたまりを200メートルも動かし、現在の位置に据えつけると以来400年以上も倒れることなく荘厳な姿を保っている。そしてこのオベリスク、もともとエジプトにあったものをローマまで2000キロメートルほど運んだのがカリグラであり、後に法王パウロ三世が動かすまで1500年以上も倒れることなく荘厳な姿を保っていた。

 たった4年の治世で国庫を枯渇させてアフリカやユダヤの情勢まで悪化させた事跡を見れば、残念ながら皇帝は無能だったとしか言いようがない。彼は間違っても無為ではなく、仕事や議会や式典など精力的に働いたが結果は迷惑なことこの上なかった。民衆派のカリグラは大規模な減税をしたり政務官選出を平民集会に任せるような改革も行ったが、前者は財政破綻を加速させて後者は元老院と平民集会の対立を再燃させただけだった。
 皇帝は大規模な公共事業をいくつも手がけ、後のクラウディア水道や大競技場、港や運河といった新しい建設はもちろん老朽化した市壁や神殿の修復にも精力的に手をつけている。だがカリグラは大規模で無駄な公共事業も多数手がけており、皆が覚えているのは無駄な浪費のほうだった。バイアエ湾を横断する浮き橋は皇帝が馬で海を渡るイベントだけのためにしつらえて、ネミ湖の水上宮殿は2000年後に引き上げられるまで作り話と思われていたほど無意味に豪華な代物だった。先のオベリスクを運んだ船も、あまり巨大すぎて他の用途に使えないので石を詰めて沈められると防波堤の材料にするしかなかった。それを思えばバチカンのオベリスクは虚栄心と無駄遣いの象徴なのだが別に石に罪はない。

 経済で失敗したカリグラは外交でも失敗しており、代表的なところではアフリカのマウレタニア王国を併合して領土を拡大したが、同盟国の王様をいきなり処刑したから大規模な反乱の原因になった。ユダヤ人を徹底的に嫌っていて陳情を無視したから東方に不穏の種をまくことになった。ユダヤ人を好きな連中などユダヤ人しかいなかったが、カリグラの侮蔑は子供じみていたから皆の共感は得られず、アグリッパ王が生きている間は抑えられていたが彼が死ぬと現地の不満は爆発した。

 カリグラは狂人ではなかった。税制改革、選挙改革、公共事業、外交政策、宗教政策とこれだけ精力的に働くきちがいなどいない。だがこれだけ精力的に取り組んでそのほとんどに失敗した、よくもまあこれだけ失敗できるものだと感心させられるほど失政を重ねたのはある意味驚嘆に値する。もともとティベリウスが構築した軍や行政の組織は健在だったから、実のところ皇帝がなにもしなければ破綻も混乱も避けられたかもしれない。
 だがカリグラは間違いなく無能だが忘れてならないのは彼が市民にはけっこう好かれていたことと、彼の施政方針があくまで「ティベリウスと違う」だったことである。人に好かれる以外は何でもできたティベリウスを真似できず、市民や元老院が求めることばかりを実現させたらカリグラという名の怪物ができあがった。もしも狂っていたとすればガイウス・ゲルマニクスにそれを望んだ市民と元老院が狂っていたのだ。
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