2014年10月26日


どもりの歴史家(歴史)

 男根くんまたは女性器さんと呼ばれたカシウスがカリグラを刺し殺しても帝政ローマは共和政には戻らなかった。皇帝は軍の最高司令官でもあったから、軍団兵は元老院にでかい面をさせるつもりはなく自分たちが気に入る人物が皇帝になってくれれば都合がよい。ずいぶん軍国的な発想だがローマは共和政の時代から一貫して軍事国家である。

 近衛軍団は次の皇帝候補を探したが、それは首都だけではなく前線の兵士に納得ができる人選でなければならないのは当然だ。であれば無難なのは最高司令官カエサルの後継者たる皇帝の家族や血縁者である、初代皇帝アウグストゥスが血縁にこだわったのは、血縁者であれば誰もを納得させるのに「無難」だからだ。
 とはいえカリグラが死んでユリウス家の直系男子は誰もいなくなっていた。生きているのはカリグラの妹である小アグリッピナだけで、女性が政治に携わることは軍事国家ローマでありえない。だがカリグラの父である英雄ゲルマニクスはアウグストゥスの姉オクタヴィアの子孫で、彼には弟がいた。名門クラウディウス家の当主ティベリウス・クラウディウス・ネロ・ドゥルースス。次期皇帝クラウディウスとなる人物である。

 カーテンに隠れてふるえているところを発見されたクラウディウスは当時51歳、カリグラの叔父で共同執政官に就任したこともあったから元老院の議席も持っている。にも関わらず若さよりも経験を重んじるローマで彼は名目以外の軍事経験も政治経験もまるでなかった。幾つかの著作を残しているが、よくいって二流の歴史家という扱いがせいぜいだった。
 クラウディウスは生来病弱な上にどもりでびっこだったから、演説もできず戦場にも行けなかった。これが名門クラウディウス家に生まれた英雄ゲルマニクスの弟なのだから、門外漢どころか員数外として扱われていたのも無理はなく、彼の母親が人をバカにするときに「私の哀れなクラウディウスよりも哀れなやつ」と言ったというから相当なものである。通例、美化されるはずの彫像を見ても新皇帝は明らかにぶさいくだった。

 ところがこのぶさいくな歴史家くずれのおじさんが、当時も後代も賢帝の側に並べられる存在になるのだから世の中分からない。軍事も政治も素人だった皇帝が、歴史家としての識見によってローマを導いてみせたのだから本来なら歴史学の勝利と呼んで差し支えない偉業なのだがいまいちそのように扱われていないのは気の毒だろう。
 理由は分かっている。軍事も政治も素人の歴史家だからこそ功績を残した皇帝は、歴史家だが軍事も政治も素人だからこそ奇行を残した人物でもあったからである。歴史家とは統治の実践に足る識見を持つ変人である、という証拠を歴史に示したのが「どもりの歴史家」皇帝クラウディウスなのだ。
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