2009年11月06日


ニコラ・テスラ(偉人)

 発明王といえばかのトーマス・アルバ・エジソンが有名だが、そのエジソンと並ぶ発明王としてノーベル賞候補となるもけっきょく受賞しなかったという人物が存在する。「訴訟王」エジソンを相手にことあるごとに対立した、彼の名前をニコラ・テスラという。
 交流電流や蛍光灯の発明者で彼自身の名を冠するテスラコイルは現在にも伝わっているし、100年も前に無線送電システムを考案した人物だが残念なことにエジソンは知っていてもテスラは知らないという人がほとんどだろう。それどころかニコラ・テスラといえば殺人光線の発明者で、日本の某テロ集団が研究調査を試みた人物だとしてマッド・サイエンティストめいた扱いすら受けている。

 ニコラ・テスラは1856年7月10日、ハンガリーでセルビア人の家に生まれる。仲の良い兄を事故で失って以来、頻繁に幻覚にうなされるという少年時代を過ごしていた。成績優秀で学生時代に交流電流の原理を発見すると1884年にアメリカに渡航、エジソンが設立していた電力会社に就職する。
 ところがここで悶着が起きた。会社はエジソン自ら発明した直流電流を売り込もうとしていたのだが、天才テスラはそれでは危険すぎるとして交流電流による電力事業を提案すると怒ったエジソンによって会社を追い出されてしまったのだ。独立したテスラは自分の電力会社を設立したから、エジソンの直流発電とテスラの交流発電は真っ向から対立することになる。エジソンが処刑用の交流電気椅子を発明して得意のネガティブキャンペーンを展開したり、直流発電所で町を一つちょっとした火の海にしたのもこの時期だ。

 エジソンもテスラも発明家として様々な功績を挙げていたが、金儲けも得意なエジソンに比べて研究に没頭して人付き合いも苦手なテスラは貧窮にあえいでいた。交流発電を発明した後も電気磁気の研究を続けて、無線によるラジオコントロールなども発明している。1915年にはエジソンと二人でノーベル物理学賞の候補となるも、こいつと受賞するのは嫌だと二人して断ってしまった。更に1917年、テスラはエジソン勲章が授与されるという通知を受け取るが、私の発明には何も与えないのに私の身体を飾り立てるなんて妙な話だとこれも断っている。
 とはいえテスラもエジソンも互いを嫌いながらもその才腕は認めていたようで、二人ともが「天才とは99%の努力を徒労にする1%の閃きだ」ともらしている。この言葉が間違えて天才とは99%の努力と1%の閃きだ、と伝わっているのは有名な話だろう。

 天才ニコラ・テスラの研究は総じてスケールが大きく非凡な着想が目についた。世界をぐるりと巡る無線送電システムを提唱して巨大な送電塔を建築したり、高周波で鉄のかたまりを粉々にする実験を披露したり、伝説によれば戦艦をワープさせたとまで言われている。これを応用すれば地球を割ることもできるとか、殺人光線まで思いのままという彼の発言を指して後代にはマッド・サイエンティストの評価が定着してしまったが、基本的にはかのアルキメデスが「私に支点を与えれば地球さえ動かしてみせる」と言ったのと変わらないだろう。
 1943年にニューヨークで永眠するが、彼の発明品や研究成果は軍が接収したとか当時のソ連が入手したとか様々な憶測のタネになった。いちおうFBIが押収した後で故郷に戻されて、今はベオグラードにあるニコラ・テスラ博物館に保管されている。ちなみに某テロ集団が門前払いを食ったのもこの施設だ。

 写真でも残っているテスラの肖像は長身でハンサムな紳士であり、八ヶ国語に堪能で詩や音楽にも精通していた。公園を歩いている折に何か閃いたらしくトンボ返りをしたとか、とかく伝説の多い人物だが紳士的な容貌と並外れた着想力、どこかパラノイアめいた性格や言行が彼を見る目に幻想的なフィルターをかけてしまったことは間違いないだろう。だが発明家ニコラ・テスラは確かに99%の努力を無駄にしてみせる、1%の天才を見せつけてくれる人物だったのである。
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