2013年04月13日


マーガレット・サッチャー(偉人)

 歴史上の偉人として故グレアム・チャップマンを扱ったからにはミルクスナッチことマーガレット・サッチャーを扱わないわけにはいかないだろう。いわずとしれた英国の元首相だが、誤解をおそれず書くならば女性であるにも関わらず保守党党首として剛腕を振るい「鉄の女」の異名をほしいままにしたほどの人物である。なにしろこの呼び名、当時のソビエト機関紙が非難の意味を込めたアイアンメイデンの蔑称を本人が気に入ったのいうのだから豪放としか言いようがない。
 こまかい経歴や事跡をたどるのも今更だが、リンカンシャー州の敬虔なメソジストの一家に生まれており、家訓が「倹約」やら「自己責任」というのだからさぞ厳格に育てられたのだろう。なにしろメソジストといえば規律と規則が糊のついた服を着て歩いているような連中で、印象としては深窓のお嬢様というよりも頑固親父にスカートをはかせればマーガレット・サッチャーができあがると思えばいい。

 下院議員として時のヒース政権下で教育科学相を務めるが、1975年に党内右派の支持を受けて保守党党首に就任する。頑固親父が右よりの人々に担がれるのだから相当なものではあるが、いわゆる小さな政府と英国経済の復活を掲げて躍進、1979年の選挙で政権奪還に成功すると英国初の女性首相に就任した。当初は支持率の確保に苦労していたようだが、フォークランド紛争で断固たる強硬姿勢をとりアルゼンチン軍を撃破したことによって支持率も上昇、二期目の総選挙にも勝利して経済改革に取り組むための地盤を確保する。

 思想的には新自由主義であり、それまでの福祉や社会保障重視だった方針を転換して経済への政府介入の縮小と公共サービスの民営化をすすめており、政策としてはレーガノミクスやサッチャリズムとして知られるようになる。批判的に見るのであれば、もともと思想や表現の自由をうたっていたイギリスの伝統的自由主義に対して単なる経済的自由競争を導入したにほかならず、結果としては弱肉強食による二極化が進んだだけだというわけだ。
 実際にサッチャー政権下では失業者数が300万人を上回り、サッチャー以前の社会停滞で登場したロックやコメディがサッチャーの手で更に活性化したといえば賛同してくれる人がいるかもしれない。それでも経済の立て直しそのものには成功して三期にわたり首相を務め、1990年に辞任すると1992年には貴族院に入って政治の表舞台から退いた。過日2013年4月8日、享年87歳で病没。

 生前も死後も評価が二分される人物ではあるのだが、任期中も退任後も批判しかされなかったどこぞの首相に比べれば少なくとも何かを為した人であるのは間違いない。仕事を奪われた当時の若者や、領土を蹂躙されたアルゼンチンの人にとってはアイアンメイデンそのものでしかない彼女が「サッチャー以前よりも」英国経済をマシにして「南大西洋に浮かぶ」フォークランドを奪還した人物であるのは間違いないのだ。
 こんな社会事情の中で大学を出てコメディの世界に身を投じてゲイにしてバイセクシュアルかつアルコールと薬物の依存症であるグレアム・チャップマンのような人物にとっては、これ以上ない不倶戴天のオモチャであったことだろう。動物擁護法案を議決したときに居並ぶ野党議員たちに向けて

「これは貴方がたのためになる法律です」

と言ってのけた豪胆さはたたえてもいいかもしれないし、公共事業の民営化によりサービスが劣化して事故が増大、災害が増えて治安も悪化して警察力や軍備の増大を招き財政負担が増えたと言えば左な人々の暴論になってしまう。そもそもサッチャー以前の公共事業や災害対策や治安や財政事情が人に誇れるものではなかったのだがそれはそれとして。

 より重要なことは脳卒中で亡くなったマーガレット・サッチャーの脳みそが足首にあるということでご冥福をお祈りします。
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