2009年02月09日


地球の大きさ(科学)

 地球の大きさは一周すると40,000kmという、ずいぶんキリのいい数字になっている。これは1キロメートルの長さが地球一周の4万分の1として定められたから当然なのだが、メートルという単位がフランスで定義されたときには赤道一周の4,000万分の1を1メートルにする案と、北極から赤道までの長さの1,000万分の1という二つの案があって後者が採用されている。だから地球一周40,000kmというのは横ではなく縦にぐるりとまわった長さのことだ。
 このメートルを定めたのが1791年。コロンブスの奴隷狩り航海が1492年頃のことで、マゼランが世界をぐるりと漂流したのが1521年だから大航海時代も終わった後のことになる。とはいえ中世ヨーロッパの時代はともかくとして、地球が丸いということは古代においてすでに認識されていたしその大きさだって計測されていたのだ。

 話はわき道にそれてしまうが、かのアレクサンダー大王がエジプトを含む東征に出たのが紀元前4世紀前後。大王の建てたアレクサンドリアの都やその他の地域には多くのギリシア人が入植していて、大王以降のエジプト人というのはたいていこのギリシア系エジプト人のことである。学問と芸術と暴動の民、ちなみに有名なクレオパトラもギリシア系の人で、クレオパトラという名前自体がギリシア名だ。

 そのエジプトに紀元前3世紀頃、エラトステネスという科学者がいた。とある夏至の日の正午、暑い盛りに彼が訪れたアスワンでは太陽の光が井戸の底を照らしていた。つまり自分のちょうど真上から垂直に日が差している。これにふと疑問を感じて調べてみたところ、東西の位置がほとんど変わらず、アスワンよりずっと北にあるアレクサンドリアの都で同じ日の同じ時間に差し込む日差しはちょっとだけ位置がずれていたのだ。同じ日の同じ時間なのに太陽の位置がずれている、地球が丸くなければこんな現象は起こらない。
 こう考えたエラトステネスは丸い地球の大きさを測ってみることにした。アレクサンドリアとアスワンでどのくらいの角度、日差しがずれるか計測してみたのである。このときの角度が7.2度、当時はシエネと呼ばれていたアスワンからアレクサンドリアまでは5,000スタディアの距離がある。つまり

 360度 ÷ 7.2度 × 5,000スタディア = 900,000スタディア

が地球を一周した長さになる。1スタディアは約180mといわれているから、だいたい45,000kmが2300年ほど昔に計算した地球の大きさである。誤差一割ちょっとというところだが5,000スタディアという数字をもっと正確にすれば、実際の誤差は2パーセント程度だったという話もある。

 だが少なくとも、地球一周が45,000kmもあると思っていればコロンブスがアメリカ大陸を中国と間違えることもなかったし、マゼランだって太平洋を100日近くも漂流せずに済んだかもしれない。彼らの無知が彼らの無謀に気づかせなかったことはあろうが、ハドリーが八分儀を作ったのが1730年でキャンベルが六分儀を作ったのが1757年であれば、それより200年以上前の人々が地球の大きさを知らなかったとしても無理はないのかもしれない。

 六分儀ができるよりも2000年くらい昔のお話。
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