2009年09月11日
ゼノンのパラドックス(科学)
有名なゼノンのパラドックス、あるいは有名なアキレスと亀といってどこまで有名かは分からないが、古代ギリシアの哲学者ゼノンが提唱したいくつかのパラドックスがある。パラドックスというのは日本語で逆説とか逆理とか訳される論述で、一見正しいとしか思えない理論を展開してたどりついた結論がどうしても正しくなさそうに見えることを指している。
足の速いアキレスが目の前をゆっくり歩く亀を追いかける。アキレスが亀のいた場所にたどりつく頃には亀は先に進んでいる。更にその場所にアキレスがたどりついても、亀はやっぱり先に進んでいる。だから足の速いアキレスはけっして亀に追いつくことはできない。
別の話もある。飛んでいる矢はある時間を区切ってみれば、空中のある場所からある場所まで移動している。この時間をどんどん短く区切っていけば、矢は少ししか移動しなくなってくる。そしてある一瞬にはその矢はまるで移動しなくなる。移動しない矢が無限に集まってもその矢は止まったままで飛ぶことはできないだろう。矢はぽとりと落ちてしまうに違いない。
もう一つ、貴方がある場所から別の場所まで移動したいと考える。そのためには当然、目的地までの半分の距離にまずは到着しないといけない。その場所にたどりつくには更に半分の距離まで、更にその半分の距離まで、と考えればある場所に移動するには無限の点を通過する必要があるから、無限の点を限られた時間で移動することは不可能だ。
これを聞いてゼノンが不可能ごとを並べ立てる狂人だと思う人は科学のなんたるかを理解していない。運動を無限に分割することができる前提では結論が奇妙なものになる、ということは一般的に信じられるこの前提はどこかに間違いがある筈だというのがゼノンの主張であり、時間や空間、運動はどこまで分割することができるかという現在でも解決されていない問題を古代ギリシア世界で追及しているのだ。
近代になって微分積分が登場すると、無限に集めた数が有限におさまることが示されるようになった。アキレスと亀であればアキレスが亀のいた場所にたどりつくまでの時間は無限に分けることができるが、それを合計するとアキレスが亀に追いつくまでにかかる有限の時間になる。それを計算するのが微積分という訳だが、これが今でも多くの学生の頭を悩ませているのは周知のことだ。
そして時間を無限に区切ることができるからといって、時間がたくさんの無限からなりたっているとはいえない。飛んでいる矢はある瞬間には移動していないように見えるが、停止した矢が集まって移動する矢になっている訳ではない。飛んでいる矢を短く区切った、ある一瞬にはその矢は停止したように見えるが移動するエネルギーが内在しているのだ。
ゼノンのパラドックスに対する解釈は多くの科学者や哲学者によってなされてきた。点が集まって線になるのではなく点が運動することによって線ができるのだとか、時間を細かく区切った最小単位は停止しているのではなく、これ以上小さくできない単位が存在するといったものである。
方程式とか三角関数とか微積分とか、そんなものを勉強して何の役に立つんだという話を聞くことがある。ゼノンのパラドックスを考えさえもしなければ、人類は未だ人工衛星を飛ばすことすらできなかったろうがさて現代の人々は未来になっても、衛星を飛ばすことができるだろうか。
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