2011年04月24日


津波にまつわる不謹慎な話

 改めて震災の被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

 そんな訳で東日本大震災と正式名称が確定した先の災害だが、犠牲や被害の相当数が地震ではなく連動する津波によってもたらされたことは今更だ。これが関東大震災であれば火事の犠牲が甚大だったし、阪神淡路の震災では都市計画の未整備が被災者の救出を遅らせた原因として指摘されてもいる。とはいえ苦い経験に学び改善を試みることができてこそ心ならずも犠牲になった方々に顔向けができるというものだが、であれば今回の災害に対しても考えさせられる箇所がない訳ではない。
 日本は毎年台風が襲来する島国だけあって、治水や護岸工事の質においても量においても他所の国に比べれば充実しているのではないかと思う。とはいえそれらのたいていは洪水の対策であることが多く、必ずしも津波の対策とは限らない。多々ある安全管理基準を調べてみると分かることだが人災を除く災害対策は主に三つあって地震と火事と「浸水」なのである。たとえばあなたのオフィスは浸水の被害を検知できますか、または実際に被害にあったときに対処できますかという具合だ。

 では津波と洪水または浸水がどう違うんだ、と聞いてしまうような人はもう少し頭蓋骨の中身をテレビを眺める以外のことにも使ってあげた方がいい。洪水の被害はあくまで浸水を想定していて、堤防をあふれて地面を流れるうちに泥水や汚水になった水に家や建物が浸されてしまう事態を指している。ためしに自分の家をどぶ川にたっぷり浸せばどうなるかと考えてみればいいだろう。
 では津波が何であるかといえばこれは当然波なのだが波であるからには動いている。水の重さは学校で習っている通り、気圧や不純物の存在その他を念頭に置かなければ1リットルでおよそ1キログラム、1立法メートルなら1トンである。つまり縦横高さ1メートルの水の塊がぶつかってくるとしたら1トンの重さがあるということで、重さ1トンの水袋で思い切り殴られれば人間なんてかんたんに潰れてしまうし津波であればこれが次々と襲いかかってくると思えばいい。

 近年、2004年頃よりインドネシアやスマトラ島沖で地震が頻発して津波の被害が発生した折、日本からも支援が行われただけではなく自国の津波対策を強化しようという動きがあった。地震速報に加えて津波の注意報や警報を大きく扱うようになったのだが、一方でこれに伴い警報が出たら高台に津波を見物に行こうと考える人が現れなかったとは言い切ることができないだろう。避難してしかるべき一般の方から送られた津波の映像が楽しげにニュースで流されていたり、カメラ付き携帯電話を構えている人々の映像を見た人も多い筈だ。
 津波が起きたときの対処は高所に逃げることではなく「可能な限り今いる場所よりも高所に逃げる」ことであるから本来、呑気に撮影をしているヒマなどない。どこまで逃げれば安全かという基準は津波には存在しないのだし、自分がより高い所に逃げれば遅れて逃げてきた人はさっきまで自分がいた場所を使うことができるだろう。

 そして2010年、チリで大地震が起きて地球の反対側まで津波が到達した時のことである。当時、日本人の多くが仕事か学校かオリンピックを見ている最中で、地球の反対側で起きた揺れを体感できる筈もないが津波の報は全国各地にもたらされた。なんでも最大で2メートルには達するビッグ・ウェイブが沿岸地帯を襲うらしい。一部の人々はきっと避難をするためだろう、海がよく見える場所に集まるとビデオカメラを片手に不安げに水平線を注視していたが彼らが恐れる津波のツの字も現れる様子がない。結局到達した波の高さはせいぜい数十センチメートル程度、地域によってはもう少し高い波が到達したが予測とあまりにも異なる結果に批判の声が上げられたものだ。
 この時の意見は「予測はもっと正確に行うべきだ」というものだったが、同時に彼らはなぜ「予測よりも波が小さく被害が出なくて良かったね」とは言わなかったのであろうか。まさかもっと大きい波を見たかったと思っていた筈もないし、楽しんでいたフィギュアスケートの映像を遮られてまでもたらされた急報が人々の耳目を集めたからには一言あるべしと考えたのであろう。

 ところで今回の津波で不幸な犠牲を出したとある方による悲痛のコメントがある。それまで地震の避難では広い場所に皆を集めるということにしていたのだが、津波の対策をしようという話になって今の避難場所よりも近くにある小高い丘がいいのではないかという意見が出た。では丘に登るための階段を整備する必要があるねという声もあったのだが、先のチリ大地震の時にあったというこの話、けっきょく階段は用意されず避難場所も変わらなかったということだ。もしも丘に続く階段があってそちらに逃げていたとしても犠牲が出なかったと言うことはできない。だが津波の一年前にできたことを先送りにしていなければ、たった一人でも犠牲者の数が減っていた可能性がないと言い切ることができるだろうか。
 なにしろ一万人を超える犠牲者が出た災害である。もしも、あくまで、万が一、まさかそんなことがあるとは思えないが、津波を見に行こうとしたとかチリの地震では何も起こらなかったのでナメていたとか逃げるのが面倒だったという理由で避けられた筈の被害に遭われた方がいたとしたら、犠牲者の数がもっと少なくなることがなかったろうかとは思う。

 たった十人に一人だけでも、避けられた犠牲があったとすれば千人単位の人命が救われていた筈なのだから。
>他の戯れ言を聞く