2011年08月21日


川にまつわる不謹慎な話

 日本人といえば台風が訪れると田んぼの様子を見に行く習性を持っている人々だけのことはあり、水の危険に対して実に胆が据わっているようだ。周知の通り、川下りの舟が転覆して船頭や観光客が水に放り出されるといういたましい事故があったのだが、暑いからと皆救命胴衣を着ていなかったらしく余程泳ぎに自信があったのだと思われる。まさか公園の池に浮かんでいるアヒルのボートと川下り舟を同じに考える輩はおるまい。
 ゆとりたっぷりに川の一生を学んだ人であってもそうでなくても、山間に降った雨が地下水となり湧水となってやがて海へと流れていくことは知っているだろう。上流であれば冷たい急峻な流れが山や谷を抜けているし、中流下流にいたると流れは穏やかになるが水量は多く川幅も広くなっていく。水の力は山間の岩や石を削り取ることさえできて、ごつごつした岩が河口に流れ込むころには土砂になって堆積すると下流地帯そのものを埋めてしまう。

 ところでやはり義務教育で子供に学ばせたであろう水の比重を思い出してみよう。温かい水は冷たい水よりも軽いから、沸かしたばかりの風呂と同じで水面は温かくて川底は冷たくなるものだ。そして人間の身体は水が多くを占めているから、人間の比重は水と同じではないが水とそれほど違ってもいない。わかりやすい表現を使えば「人間は水に浮いたり沈んだりする」のである。このくらい微妙な差異になると、冷たい水には浮かびやすくて温かい水では浮かびにくいといったことが起きる。つまり温かい水面近くにいると水に浮かびにくいという訳だ。ちなみにこれが海水だと、真水よりも比重が重いから少しだけ浮きやすくなるのも中学生レベルの常識である。
 ここでちょっと考えを進めてみる。川の水とは当然流れているものだが、水面と川底で重さが異なる水が流れるとどういうことが起きるだろうか。軽い水はどんどん流れていって、重い水はゆっくりと流れていく。ただ流れているだけに見える川が、水中を見れば深い場所と浅い場所の間に断層めいた分かれ目ができているのだ。

 もしも川に落ちればどうなるか、水面に浮いているうちは軽い水の流れに乗ってどんどん下流に運ばれてしまう。たいへんな事態だがこの状態ならまだマシで、息が続かなくなっておぼれない限り「運が良ければ助かる」可能性は大いにある。極端なところ、中流や下流まで流されるまで生きていることができればそのうち流れも穏やかになっていくだろう。
 ところが水面近くにいると浮かびにくいから、うっかり沈んでしまえば断層の下にある重たい水につかまってしまうことになる。こうなればただでは済まず、ゆっくりと水底をかきまわしている冷たい流れに巻き込まれて、沈めば浮いて浮けば沈むという洗濯機のような状態になってしまうのだ。この状態では頭上にある軽い水の流れが身体が浮かぶことを妨げるフタの役割をしてくれるようになるから「運が良ければ水の上に浮かぶ」可能性があるかもしれない。ごつごつした岩や石が転がる水中で、洗濯物のようにかきまわされ続ければもはやおぼれるとかおぼれないという問題ではないだろう。

 救命胴衣を着ていれば強制的に浮かび上がらせてくれるから、おぼれにくくなるのはもちろんだがそれ以上に水中の断層につかまりにくくなる。遺体で見つかった船頭はハッピを着ていたから船頭だと分かったそうで、されこれがどういう意味であるかと考えてみれば暑いから救命胴衣を着ないという発想自体にうすら寒さを感じてしまう。
 唯一の救いがあるとすれば、水底は冷たいから腐りにくいしお魚さんが寄ってきにくくなるということだろうか。
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