2012年08月18日


原水にまつわるどうでもいい話

 世の中には原水爆禁止日本協議会とか原水爆禁止日本国民会議とかいう反核団体が存在しているのだが、某月某日の会合でフクシマの発電所事故を批判して原発ゼロの社会を求める決議を採択したという。原発は原爆でも水爆でもないよなあと思いながら両団体について調べてみると温度差はあるがどちらも核兵器の廃絶を高らかに謳いながら脱原発も訴えている団体だったようだ。

 そこでざっくりと経緯をたどってみると最初に生まれたのが原水爆禁止日本協議会(原水禁)で、もとは1954年にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により第五福竜丸の乗員をはじめとする人々が多数被曝した事件を受けて結成された団体である。世論を利用して人々を煽り立てたといえばそれまでだが、煽り立てられるだけの怒りが人々にあったのはもちろんで、このときに署名運動を行った人たちが原水協を設立した。
 当初は党派を超えた集まりだったが当時の自由民主党系ほかの人々は日米関係への配慮や原発問題に関する見解の相違から脱退に至っている。平等に悪い表現を試みてみればアメリカに媚びたい自民党が、反核ついでに安保も便乗しちゃえという野党集団から離脱したというところだろう。

 これに対して原水爆禁止日本国民会議(原水協)だが、当時のソビエト連邦による核実験再開や中国との関係悪化などの動きの中で社会党と共産党が対立、核実験全面反対とか防衛目的の核開発なら容認すべきだとかアメリカを日本から追い出せとかいう主張が真っ向から対立するようになってしまった。最後の一つがよくわからない気もするがとにかくこじれた関係はもとに戻らず社会党系のグループが離脱、独自に原水協を設立した。
 こちらも当初は超党派の人々が集まっていたが結成した経緯が党派対立によるものにしか思えないような気もしなくもないからやっぱり世論を利用して煽り立てられた人々の熱が冷めると規模縮小して今に至っている。後には共産党系と社会党系の反核団体が残されたという訳だ。

 その後も両者の間で再統一の動きがなかった訳ではないが、どっちが良いどっちが悪いというやり取りは後を絶たず共闘は成立しなかった。分裂の非を認めて謝罪と賠償を要求する!と言ったかどうかはわからないが悪人探しをしている悪人同士が悪人の手を握れる筈がないではないか。そんな訳で両者ともに反核脱原発を謳いながら今に至っているし、反核だけど原発は平和利用として推進する核兵器禁止平和建設国民会議と協調することすらあるが、高邁な彼らの目標は遠く未だ実現には高い壁があるようだ。かつてブルートゥスの演説を聞いたカエサルが曰く、あの青年はあれもこれもと言いたいことがあるようだが何が言いたいかはさっぱり分からないと評したとか。

 ところで原水協と原水禁の略称をうっかり逆に書いちまったけどどっちも同じ主張をしているっぽいし別にいいよね?
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