2013年11月03日


直訴にまつわる不謹慎な話

 東京都民が当選させたどこぞの議員が、先の園遊会で天皇皇后両陛下に持参の紙束を押しつけるという、燃えるゴミを出すには場所も相手も違うだろうという無体を演じたそうな。あまりに突っ込みどころが多すぎる行為だが、どうもこの人は戦前よろしく天皇陛下が国の主権者だと勘違いをしているみたいだから日本国憲法第一条をほんの30秒ほど読み返してみるといい。本当は10秒も読めば充分だが、相手の愚かさを考慮して三倍の時間を与えてあげる。

 陛下に直訴、という形式だけを見て間の抜けた報道関係者が足尾銅山鉱毒事件の田中正造氏を引き合いに出していたが、もちろん当時は明治から大正の世の中で「王様」には政治責任が存在した。このとき田中氏は自分がこれから悪いことを行うことを自覚していたから、議員を辞職して遺書までしたためてからことに及ぶと時の日本政府も狂人がしでかしたこととして不問に付すことにしている。
 戦後は民主主義国家として国民主権者に変わっていることを思えば、氏を真似しようと思えばくだんの議員氏は議員を辞職して離婚をして遺書をしたためた上で、国の主権者たる国民全員に向けて直訴文を突きつけるのがよいわけだが離婚をして狂人扱いされることは実現させているだろうか。ともあれ主権もなく被選挙権もない天皇陛下に直訴するのは八百屋に直訴をする以上に筋違いというものだろう。

 で、直訴というとロマンチックな中学生であれば英雄的な行為に見えるかもしれないが、ありていにいえばルールを無視した懇請にすぎないから人々が並んでいる行列を押しのけて窓口を乗り越える暴挙と変わらない。もちろん行列にきちんと並ぶという感覚は世界共通ではないから、順番は守らなくて当然という文化圏の人であれば他人を押しのけて何が悪いの?と思うのが自然である。世の中は国際社会だから他の国の文化を採用する日本人がいてもおかしくはないのだが狂人に真似をされても他の国にはめいわくだからやめたがいい。
 ところでくだんの紙束には震災時の事故やその後について個人的な書き付けが連ねてあったというが、そのようなメモ帳はいらなければきちんとゴミ箱に捨てるべきで他人に捨ててねと渡すのはやはり失礼だ。あるいはもしも市民として政治的な要求が書いてあるならルールに則って市民が政治家に解決してもらうべき内容だし、それとも天皇陛下への請願であるとすれば内閣総理大臣を介するのが法律で定まっていたと記憶している。ちなみに東京都ではこのような紙束は燃えるゴミではなく資源ゴミになるので注意すべきだ。

 だがこの件で個人的に、あくまでも個人的に腹立たしいのは陛下がくまモンにお会いになるのに多くの手間と苦労があったにも関わらず、一人のおっさんがそれを無視してみせたという事実である。
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