2009年08月21日


多数決は民主主義の基本(社会)

 世は総選挙が近づいているが、演説で聞かれる言葉に「国民の総意により」というものがあって気になった。多数決は民主主義の基本という言葉もそうだが、あまりに勘違いをした言葉にも関わらず当人は気が付いていないらしい。多数決によりアテネ人はソクラテスを殺したし、国民の総意によってナチスは政権を握ることができたことをこの人は忘れているようだが、ずいぶん昔のことだから仕方がないのかもしれない。
 ところで民主主義というのは国民主権主義のことで、日本国憲法第一条であれば天皇が日本の象徴で、主権は国民にあると書かれているから三大原則の一つが国民主権ということになっている。では国民主権が何かといえば国民が選挙や投票によって国を運営する権利を行使し、その責任も国民にありますよというものだ。権利に義務ではなく責任が伴うのはまあ当然のことだろう。

 では選挙や投票によって国民が主権を行使する多数決は国民主権、民主主義の基本でいいではないかといえばもちろん間違っている。それでは票を投じた少数派の意見は無視されることになってしまうし、主権を持つ国民の一票が無視されてしまう時点でそれは国民主権ではない。
 民主主義とは票を投じた少数派の一票まで無視しないこと、つまり多数決ではなく少数意見の尊重こそ民主主義の基本なのである。国民一人一人が責任を持って政治に参加できること、それが民主主義で多数決というのはそれを行うための手段の一つに過ぎない。国民全員が多数決で決めれば民主主義だというならば、ナチス・ドイツは実に民主的な国だったことになってしまう。

 大勢の国民がいれば意見が異なるのは当然だから、少数派を含めた議論を行ってから採決するとか、少数派が意見を言っても迫害されないことができてはじめて民主的と言うことができる。ようするに投票権はもちろんとしても、議会での論議や裁判に訴える権利があってようやく民主的な国になるという訳だ。
 古代の政治思想家曰く、民主政治が形骸化すれば衆愚政治に変わってしまうという。例えば支持率を気にしたり、党に反する意見を言えば離党だとか、国民の総意という言葉を強調するといった行為は多数派支配を口実にして少数意見の尊重という民主主義の基本を忘れていることになる。

 とはいえ第九条は話題にしても第一条なんて誰も知らないからあまり意味はない。
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