2009年12月30日


コンクリートから人へ(社会)

 あと二日間を残すのみとなった2009年、今年は「新」という字に象徴されているとのことらしいが国民の総意によって選ばれた新しい政治のモットーは「コンクリートから人へ」というそうだ。とはいってももちろんこれまでコンクリートで塗り固めていた建物や道路に人を塗り込めようという訳ではなくて、コンクリートや鉄鋼に代表される公共事業に使っていた予算を人に対して使うことを意味している。

 ところで国というものが何をするためにあるのかといえば、何人もが集まった人間の集団が互いに便利に安全に暮らすための手段として体系だった組織をつくってみましたという程度のもの、所詮は社会組織の一形態でしかない。それが村でも市でも州でも国でもいいが、そうした社会の一形態である組織にとって必要なものに社会基盤と呼ばれる存在、いわゆるインフラストラクチャーの整備がある。古代ローマではこうしたインフラストラクチャーを指して人間らしく生きるために必要なもの、と定義していた。
 とはいえ社会基盤、インフラと一口に言ってもその実態は様々で、下水道や上水道といった治水基盤や道路や鉄道に代表される輸送基盤、電話や郵便、人工衛星などを用いた通信基盤などいくら挙げてもきりがない。そしてこうした物理的なインフラストラクチャー以外にも教育や医療、警察消防などなどおよそ公共サービスというものを指して社会基盤と呼ぶこともできる。ようするに人間が人間らしい暮らし、つまり社会生活を送る上で必要な共通基盤であれば形のあるなしに関わらずそれはインフラストラクチャーと言えるだろう。

 そこでコンクリートから人である。国というものが何をするためにあるのかと問えば、社会組織の一形態である国にとって社会基盤であるインフラストラクチャーの整備は常識以前の当たり前の目的なのだから、コンクリートに代表される物理的なインフラストラクチャーの整備から人に代表される公共サービス的なインフラストラクチャーの充実をより重視していこうという決意を表しているに違いない。例えば教育の質を向上させるために教師や学校に高い水準や資格を求めるとか、予防医療を進めて医療機関の過剰な負荷を軽減しつつ国民の健康増進を図るとか、雇用機会の創出や職業訓練を行うことによって労働人口の増大を画するとか、人間そのものをインフラストラクチャーの一種類と見なして整備を進めていくことになるのだろう。教員免許の更新制などきっと考えているに違いない。
 ところがこれが税金を下げますとか上げますとか、国債をどれだけ発行しますとか、郵便局を民営にするとか国営にするとか外国の基地をどこそこに動かしますといったことは個々別々には重要なことでも枝葉は枝葉であって幹でなければ根でもない。それが村でも市でも州でも国でもいいが、社会組織を評価する上でもっとも明快な方法はその組織が社会基盤であるインフラストラクチャーの整備をどれだけ行っているかということだろう。新しくつくるのでも今まであるものをきれいに保つのでもいい、充実した社会基盤が整備されていればあとはその上を歩く人間が自分でなんとかする、それが社会というものなのだ。

 さてコンクリートから人へという、インフラストラクチャーの移行は行われているであろうか。よもや社会基盤への投資そのものを減らしておいて、人にカネを配るだけでは組織が弱る一方であることを知らない訳はあるまいが。
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