2010年01月13日


空の街道(社会)

 周知のことだがとある国でとある航空会社が経営破綻に陥った。ずさんな経営が問題視されるのは当然だが政府自ら再建に奔走する報道に庶民らしい感想を抱くのならば、なぜ民間企業をそこまで政府が助けようとするんだという思いはあるだろう。それは当然の感覚だが空であっても交通は交通であり交通とはインフラストラクチャーのことである、壊れるままに放置してよい筈がない。
 インフラの重要性については今更だろう。上下水道に電気にガス、道路や郵便に通信や放送といった生活の基盤となるシロモノだが例えば電力会社が破綻したからといって再建は自力で頑張ってねとは言えない。生活の基盤を利用する多くの市民や企業にとって致命的な影響が出てしまうし、それこそ海外の企業がその電力会社を買い取って助けてあげますと言われてもはいそうですかと言える話ではない。ライフラインを握られることは支配されることと同義になるのだ。

 とはいえどうせ助けてもらえるんだからと安易に破綻して良い筈もなく、経営責任や再建策が問われることになるのだが気になるのはその肝心の再建策だろうか。企業年金の削減やら赤字路線の見直しといった話が聞こえるし、もちろんそれは報道で伝えている内容であって実際には多々考えられているのだろうがそれでいいのかと思うことはある。固定費を削減して損益分岐点を下げるために企業年金を削減する、これは理屈としては理解できる。人件費は固定費の最たるものだろうし財源がなければ年金がもらえないのは国だろうと企業だろうと変わらない。だまされた人には気の毒だが年金は必ずもらえるものではない。

 だが気になるのは赤字路線の見直しで、採算の合わない路線を廃止するかといった意見が聞かれることだ。例えを電力会社の例に戻してみればいい。とある離島に電線を敷くのはカネがかかって採算が合わない、だから廃止するといった話になればそれはもはや生活の基盤ではないだろう。インフラとはそれほど重要なもので、だからこそわざわざ政府が再建に乗り出す訳だが、であれば考えるべきは採算の合わない路線を廃止するのではなくこれを維持しながら全体としての採算をどのように上げるかになる筈なのだ。赤字路線はあって当然だが全体で見れば黒字、その発想がなければインフラストラクチャーを提供することはできない。
 国営でも民営でも市民に提供すべきものは本来変わらない。だが全体で見れば、という視点を持つ者が存在しなければインフラストラクチャーを維持することはできない。再建を助けるべく奔走するのは結構だが、この視点を忘れてしまえば極端なところ、企業は再建したがインフラは崩壊しましたということにも成りかねないだろう。航空便は交通網であり空の街道、インフラストラクチャーであることを忘れていないか気になるところだ。

 郵便局を民営化すると地方の郵便局がなくなりますよ、と言っていた口がまさか空の便をなしくますよと言うとも思えないが。
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