2013年07月03日
エジプト(社会)
独裁者を打倒したアラブの春も今は昔、モルシ大統領の就任から一年が過ぎて民主主義を謳歌している真っ最中のエジプトでは民衆が町に火をつけてまわるフェスティバルが開催されているようだ。
改めてことの次第をたどってみると、発端はジャスミン革命と称するチュニジアのクーデターである。これを機にインターネットを利用した暴動という新しい政治スタイルを発明した人々が、近隣諸国でも同様の参加者を募ることになるのだがその舞台となったのが当時ムバラク氏が治めていたエジプトだった。このムバラク氏、前大統領の暗殺後に就任したこともあってエジプト全土に非常事態宣言を発令すると、その後は親米路線でそれなりの経済成長をもたらしたが30年間非常事態宣言を続けたのはさすがにやりすぎだったろう。イスラムの人々にすれば独裁者以外の何ものでもない。
かくして「あの」ノーベル平和賞候補にも挙げられたアラブの春を経てムバラク氏は退陣、暴徒を鎮圧した罪と金持ちだった罪で裁判を受ける身となるが、何しろ高齢病身なので余生を病院と刑務所どちらのベッドで送るかという扱いにはなっている。エジプトに貧富の双方をもたらした、賞賛も批判もされて当然の人だろう。
こうして人々の期待を一身に受けて登場したのがモルシ大統領というわけだが、この人がムバラク氏と同様にアメリカやイスラエルを相手に積極的な商売をするのはなかなかむつかしい。商売は商売、金は金といっても彼を後押しする人々が納得しない。もちろんアメリカやユダヤの商人を迫害する理由もないとはいえゼロからはじめる事情は変わらないが、より正確には親米派の大統領が暴動で打倒された後のイスラム政権だから商売的にはちょっぴりマイナスからのスタートだ。ここでモルシ大統領のたのもしいお言葉は「百日で国民生活を変えてみせる」である。
政治家が国民の生活を大義名分に掲げるとたいていはロクなことにならないが、案の定というべきかモルシ政権も経済政策に無為なまま外貨準備高は減少の一途、失業者数の増大と物価上昇が追い打ちをかけることになって、みんなが貧乏になって貧富の格差が改善するという成果を上げることができた。新自由主義を駆逐して平等な社会が実現されたわけだが、エジプトのイスラム化を進めるべく「超法規的な大統領」も宣言したので親米派独裁者からイスラム系独裁者に首がすげかわったことにもなって彼を支持する人にはこれも悪い話ではないな。
そんなわけで就任当初は七割を超えていた有象無象からの支持率も今では真の支持者たる三割程度が残り、かつてアラブの春を謳歌した若者たちはタマッロドと称するパレードを企画する。反抗反乱を意味する言葉らしいがきっと自分たちの原点を忘れないための式典のようなものなのだろう。ムバラク体制でもモルシ体制でも変わらず強権を握っている軍部も彼らを後押ししているが、その軍が警備する中で700人もの死傷者が出たのはガイジンらしくお祭りに歯止めがきかなかったということか。
ちなみにモルシ大統領がムスリム同胞団、穏健派原理主義の出自であることは多くの人が都合よく忘れているらしい。同じイスラム原理主義でも「コーランの教えを自分たちは守る」のが穏健派で「コーランの教えをみんなに守らせる」のが過激派という明確な違いがあるのだが、穏健派が国を主導すれば自分とみんなは同じ意味になるので穏健と過激がさてどのように違うのか、これがわからない。
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