ロープレ(C)SEGAについて
ロールプレイングというと、まずもって会社や企業で行う職業訓練などで役職や役割を分担して問題解決を図るトレーニングのための手法を思い浮かべる方が多いことかと思います。あたえられた役割に従って自分の立場に基づいた行動とコミュニケーションを学ぶという、このロールプレイングをゲームにしたものがロールプレイングゲームというもので、一般的には「ロープレ(c)SEGA」と呼ばれているものですね。冒険を主催するディレクターと、冒険を行うプレイヤーが自分たちに代わる存在となって、一定のルールのもとで与えられた事件や困難に挑むというものですが、このディレクター役をコンピュータに譲ったものがコンピュータロールプレイングゲーム、略してコンピュータロープレ(C)SEGAとでも呼ぶべきものになります。ですがいちいちロープレ(c)SEGAと表記すると長い上にくどくなってしまいますから、ここではRPGと簡記することにしましょう。とはいえ本当は「FREE(c)SEGA」と表記したほうが良いのかもしれません。
このRPG、ことに日本では「ハイドライド」や「ドラゴンクエスト」の影響があまりに強かったせいか、例外こそあれどうにも他の作品と似たところがある、個性に欠けたシステムが多く登場するようになってしまったのが実情です。可能な限り親しみやすく、遊びやすくするために戦闘場面に特化された多くのRPGももちろんそれはそれで楽しいですし、昨今ではRPGといえばストーリーが重要だとか性能のほとんどを迫力のゲームシーンに費やすべきだといった意見を聞くことだってきっとあるかもしれません。ですが個人的な好みというものは多様で然るべきでもありますから、私が個人的に思っているRPGに欲しいものを考えてみようかと思います。
改めて、遊びとしてのRPGの楽しさを構成する要素というものについて考えてみると、思いつくのは役割に冒険に探索、交渉といったあたりになりますでしょうか。もしかしたらこれに報酬というのも加わるかもしれませんが、報酬は体験の結果ですから報酬がなくても満足する体験はあるだろうということでここでは省いてしまいます。そこでまずは役割について、魅力的なキャラクターの存在や彼らを飾る能力や装備の存在。もちろんこれらが揃っていればそれだけで楽しいというものではありませんが、多彩な方法によって役割を担う個性を表現するというのは確かに楽しい一面を持っているかと思います。定められていない個性を遊び手が想像によって補う楽しみを思えば、何でも決められてしまうのは興を削ぐ一方で定められた個性を演じる楽しみもまたあるのではないでしょうか。
で、そうした個性ですが、高名な「ウィザードリィ」ではキャラクターの名前や年齢や種族に能力値はあっても彼らの背景や家族や祖先や趣味、決め台詞やペットの情報なんかは設定されてはいませんね。祖先なんて決める作品があるのか、といえば「アークス」の主人公ジェダ・チャフのように出奔した騎士の息子が主人公となる例は珍しくもないかと思いますし、かの「ドラゴンクエスト」でも第二作では勇者ロトの子孫であるトンヌラ・サー・サマルトリアが登場しています。他には名作「ウルティマIV」で用いられる聖者の徳や先の「ウィザードリィ」で与えられる称号、「ファンタシースターII還らざる時の終わりに」に登場する女盗賊シルカさんの盗癖(いつの間にか持ち物が増える能力)など個性を表現する方法には事欠きません。
そしてこうしたキャラクターの個性を飾る要素の中でも、花形となっている一方で意外に工夫が少ないのが武器や防具といった装備品ではないかと思います。それこそ最強の武器や伝説の鎧が用意されている一方で、愛用の武器が用意されているゲームとなるとこれが少ないのは残念なところでしょうか。「アークス」では登場人物全員が愛用の装備品を身につけている一方でそれを変更することはできませんし、「ザナドゥ」では武器防具ごとの個別の経験値が設けられていて、好きな装備を鍛えることができますが実質最強の武器を用意しなければクリアは難しいでしょう。「ロードス島戦記灰色の魔女」にある、装備品の名前を好きに変えることができるシステムであれば魔剣ソウルクラッシュにトロールの棍棒という名前をつけることも可能ですが、ちょっとウソをついている気分にはなってしまいますね。自分なりにこだわるなら、例えば「ドラゴンクエストIV」で女勇者さんの装備をはがねのつるぎ、かわのドレス、きんのかみかざりの三点セットでずっと冒険をしていたらさすがに終盤ちょっと苦労しました。ですが冒険はひのきのぼうとぬののふくだけで行うべきだという少林寺愛好家の人であれば私以上に苦労したであろうことは疑いなく、やっぱり選ぶことができる装備にはある程度の自由度が欲しいですし、制限が大きいのはいただけないところです。
冒険というのはここでは目的地に達するまでの途中の移動を指しています。多くの冒険小説や探険記を見るまでもなく、冒険というのは本来冒険をする者にとって最大の目的のひとつであるにも関わらず、不思議なことにこれが重視されている作品は決して多くありません。冒険の準備や困難を省いた、快適な移動はゲームとしては楽しくてもそれは冒険そのもの楽しさとは異質なものではないでしょうか。例えば「グランディア」のように旅路の果てに世界の果てが現れる演出や、「マイトアンドマジック」や「覇邪の封印」のように道を一歩外れれば野蛮人の落とし穴にかかったり川に流されるような地図の作りなど、各地を旅する楽しみや苦労を冒険の醍醐味のひとつとして感じさせてくれる作品も実際に存在していますがやはり数が少ないとは言わざるを得ません。それでも「ウルティマIV」や「ゼルダの伝説風のタクト」のように、特別な移動手段を与える方法も面白い工夫ではないかと思いますし、先の「グランディア」では船で移動している間に船内での生活を体験させることによって、冒険の雰囲気を出すといった面白い手法も見ることができますね。
で、こうした冒険が不便であるからこそ克服することが楽しい、それを否定してしまうのが便利な魔法の存在、特に治療や回復魔法の存在ではないかと思います。神様の恩寵を受けたものがびっこやいざりを治すのは確かに定番ですが、例えばこうした回復や治療の魔法は全廃してしまうか、あるいは特別な薬草の汁を使った場合にだけ魔法が使えるようにするだけでもずいぶん事情が変わってくると思います。疲労を回復したければ食事をして休息をとること、怪我をしたなら手当てをしてから休息すればゆっくりと回復するようにすれば、ボタンを押してステータスを見る役にしか立たないキャンプモードの意味も変わってきますね。これに定期的な食事と休息がないと疲労が蓄積するというルールを加えれば、例えば峻険な岩山のようにキャンプできる場所がない地形を越えるときにはいったん休んでおかないと危険になりますし、以前に訪れた人が残したキャンプ跡の存在が重要になってくるでしょう。これに方角や天候、時間の変化、現地での食料採集といったシステムを合わせれば、ある町から別の町に行くまでの間が緊張感のあるたいそうな冒険に変わるのではないかと思ったりもします。そんな世界で道に迷ったらたいへんなことになるでしょうし、未踏の地に向かうときの地図や案内人の価値がぐんと上がって森や街道に立っている立て札を無視するようなこともなくなるでしょう。
探索というのは目的地に達するまでの移動の過程ではなく、ここでは特定の場所を調べてまわることを指しています。場合によっては家の残骸の中でめぼしいものはないかと調べてまわったり、目の前で閉じられた扉や行き止まりを抜けるために苦労を重ねたりといった場面もあるかと思いますのが、RPGではなくアドベンチャーゲームであればこうした場面は珍しくもありませんね。「デゼニランド」で随所に設けられている行き止まりやレーザーフェンスで遮られた通路、「アステカII太陽の神殿」のように隠された部屋と仕掛けの数々、RPGであれば「BUSIN」のように迷宮のそこらに仕掛けられている罠といったものもこうした探索を表現したシステムのひとつでしょう。盗賊やインディー・ジョーンズをはじめとする、手先が器用で身が軽い者たちの活躍の場には欠かせません。
とはいえ、探索についてはかの「ダンジョンマスター」でかなり特化したシステムが実現しているために語るところは少ないでしょうか。このゲーム、落ちている石を拾ったり格子扉のボタンを押して怪物の頭の上に落としたり、雷雨の中で木の近くにいたら、落雷が落ちて全滅するようなことだってありえます。しかもこの落雷、自分たちが無事であれば木が燃え尽きて地形も変わりますし、落ちている木材の破片や巻き込まれた不幸なモンスターの肉を拾うこともできるのです!他にも一連の「ウルティマ」シリーズにあるように、店の品物や宝箱を勝手に調べると警備兵に襲われるといったシステムもこうした探索のシステム化のひとつでしょうか。メダルを探すべく王様のタンスをあさったり、とあるものを探すべくお姫様のタンスをあさるような行為にお咎めがないのはどうにもいけませんね。
交渉となれば一般的にRPGの世界には暴力的な方が多いらしく、交渉というと殴りかかっての戦いしかできない例がなかなか多く見受けられます。これも「ファンタジー」シリーズのように出会ったモンスターにあいさつを交わすことができるゲームだってありますから、本来RPGが戦闘ゲームだとは限りません。とはいえほとんどのRPGが戦闘に特化してしまっているのも事実で、先の「覇邪の封印」のように出会う人間や怪物のすべてと会話も戦いもできる作品や、「ウィザードリィV」のようにスリや賄賂を含んだ様々な交渉ができる作品自体が珍しい一方で、そうしたゲームですら戦闘による交渉の解決が主体となっているのは仕方のないことでしょうか。もちろんそれ自体が悪いというつもりはありませんが、例えばいかにも魔法使い然とした老人が現れて、ここを立ち去らなければお前を石にしてしまうぞといった脅しをかけられるような場面を処理することができないのはもったいない気がしなくもありません(専用のイベントを起こすのではなく、町の人でもゴブリンでもこうした脅しをかけることはある筈です)。まったく逆に山賊相手にハッタリで脅しをかけるとか、あるいは命乞いをするとか仲間を差し出して逃げるといった交渉がもっとできてもいいのではないでしょうか。こうしたシステムであれば仲間にドワーフがいる場合、トロールには無条件で襲いかかるといったこともやりやすくなるのではないかと思うのです(なんといってもトロールはドワーフの不倶戴天の敵ですから)。
他にも謎解きやリドルと呼ばれるものも昨今のRPGではあまり見られなくなりましたが、こうした交渉には利用できるのではないでしょうか。スフィンクスでなくともいたずら好きの子供のなぞなぞや、多少毛色はちがいますが合い言葉なんかも必要になる場面は考えつきますね。とはいえ先ほどの探索や、こうしたリドルをちょっとしたミニゲームを利用して表現している例もままありますが、これをゲーム内の同じインタフェースで実現するとなればそれこそアドベンチャーゲームのようにするしかないかもしれません。弁当屋のお姉さんにはウツクシイと言わなければならないものですから。
その他には戦闘の自由度として、隠れたり突撃したり相手の背後にまわるといった行為ができる作品もありますが、どうせなら「ダンジョンマスター」や「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」のように出会った相手をおびき寄せて罠に誘うといった行為がもっとできてもいいとは思います。またまたアドベンチャーゲームからの例ですが「スターアーサー伝説テラ4001」ではとある場所の衛兵を追い払うために別の場所で騒動を起こすとか、「デーモンズリング」では三人のワニ男たちを倒すために狭い場所におびきだして一対一で戦うようなこともできたりするのです。けっきょくのところ通常の操作以外はすべてコマンドを直接入力できるRPGがあってもいいなあとか考えてしまうところに、RPGではなくてアドベンチャーゲーム畑の人間の頑なな趣味を感じてしまうのでした。
ところで今回のフリートークではなるべく有名な作品ばかりを例として集めているつもりですが、「ダンジョンマスター」だけは有名なMSXの三人同時プレイのアクションロールプレイングゲームではありませんのでご注意くださいませ。
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