タコとヘビと潜水娘(後)


11日目


Icon 新しい鐘と古い鐘を両手に持って、なんとなく小さく振りながら左右に揺れている。
Icon 見られていることに気付いた。
Icon すっと泳いで行ってしまった。

Icon 「うわさではこの先にアルシエルとかいうのがいるらしい」
Icon 「アルシエルというのは黒い太陽を象徴する天使だか神様の名前だそーだ」
Icon 「ちなみに錬金術における黒い太陽とは日食とか土星のことで物質の死を意味している」
Icon 「だが日本では黒部ダム工事の苦闘を描いた黒部の太陽という映画が存在する!」
Icon 「出水のシーンでは三船敏郎と石原裕次郎が420tの水から本気で逃げたそうだ」
Icon 「おいおおぞらかける、ラピッドストームを強化するぞ!」

Icon 「あーヤバイヤバイヤバイ!!それ以上のネタはやめとけもずこ!」
Icon (当時の撮影はCGなんてないからこその本気の迫力があるよねー、的なジェスチャー)
Icon 「まあそれはそれとしてアルシエルな。名前や原典だけ聞いたらなんか今風の『それっぽい』のが出てきそうな雰囲気だけど…」
Icon 「俺的にはその錬金術の方の『物質の死』ってのが怖すぎてなあ。
あれって、要するに昔の化学でもあるじゃん?物理学とかそういう…そっち系のものに準えてるとかだったら勝てる気がしねえぞ?」
Icon 「まあ、この海のことだし、全然関係ないって可能性もあるけどな…」

 遺跡の石床の上に、大空翔が担いでいた水中銃を下すとごとりという音がする。地上ならけっこうな重さがあるはずで、タコデバイスの触手がゆっくりと置いた音が水中ならではの独特の響き方で耳に届いてきた。銃と呼んでいるが実際は大きな弓のような武器で、自動で巻き上げた発射機構で弾丸を打ち出すクレインクインに似た方式を採用しているが別に備えている重い弦をタコデバイスの大力で引くこともできて、放たれた弾は水中に渦を巻くとまるで象の背から放たれた火矢が藁づくりの神像を火だるまにするような威力を見せることができた。

「ばりばりばりらーばり!さほればーふばり!」
「じぇらはったにっけばったーりばったりー」

 カラオケに収録されたことを記念して口ずさんでいる海野百舌鳥子にかけるもてきとうに調子を合わせている。水中で放たれる弾丸は重力よりも水の抵抗の影響を大きく受けるから、回転しながら渦を起こした軌跡は直線的に目標に向かいながら距離を経るごとに威力を減じていくことになる。であれば至近距離から撃つほど強力になるわけで、大きな銃を担いで器用に泳ぎながら接近するかけるのスタイルは道理にかなっていると言えなくもない。なにしろパーティの威嚇係を自認するもくずがかけるを銃に専心させるつもりで、回復用のスキル装置をカスタマイズしているのだから偉そうに威張りくさっている彼女も同級生の能力を認めてはいるということだ。

「タコデバイスに打ち出されたおおぞらかけるが銃を撃つというアイデアは」
「やめて」

 分厚い岩壁を挟んだ向こうにはサンセットオーシャンのあきれるような光と熱があふれていて、遺跡の深層に潜るにつれていよいよまともに海中に泳ぎ出ることができなくなっていた。スキルストーンで守られているとはいえ煮立っている海水に長時間さらされれば茹でダコと茹でヘビと茹で潜水娘になるしかなく、回廊で繋がれている多層式の建物をルートを選びながら進んでいくがそれはそれで探索する範囲は限定されるので障害や襲撃さえ越えることができれば迷わずに先へと、奥へと足を進めることはできる。
 すでに先行する探索者からも情報が届いているが、もくずたちがいる遺跡のもう少し先の階層で光と熱の中にぽっかりと暗い空間が確認されているらしい。順調なら明日にもいくつかのチームが到達する見込みで、一足遅れているもくずたちもすぐに合流することになるだろう。

「それにしてもなんだろうなこの海。明かりの場所が変だと思ってたら暗闇の場所も変ってことかよ」
「知るかー」

 人為的に造られている光はまだしも人為的に造られている暗闇となればどんな方法を使っているか見当もつかぬ。暗闇とは暗闇があるではなく光がない状態である、ことは常識だから吸収した光を反射しないシステムがあるということかと考えるがこればかりは送られてくる報告に期待するしかなさそうだった。
 もくずが潜水艇のモニタに映している映像には収集された地形情報に描き込まれている探索者たちの調査報告やら、日刊テリメイヌーとか月刊バーダーといった各種情報サイトの画面が何枚も何枚も並んでいるが、偏見を承知でいえば探索者協会のネットワークを経由してアクセスができる情報は恣意的にかたよっているらしく特にニュースサイトともなれば翁縄タイムスとか竜柱新報でなければ映りませんという有り様だった。昨今、探索者協会が一部探索者に不当な圧力をかけているという噂もあって、しかもそれは事実らしく、探索者が独自に交わしている貧弱なコミュニティに流れている情報と協会の公式な掲示とのあいだにあまりにも乖離が目立つようになっていた。

「見ろ、このサンシタクソメイドの日記とかひどいことになっている」
「知り合いか?」
「うちにはメイドの知り合いはいないー」

 もくずはいつもの調子で話しているが冗談ごとではない。彼らが参加しているコミュニティの中に潜航日誌コミュニティというものがあって、もとは遺跡を探索した報告をサボらないように啓蒙するためのものでしかないのだが登録した探索者の報告書を共有できるという仕組みが存在する。夏休みの絵日記と同じで生真面目に続けている人間など数えるほどしかいないのだが、もくずは意外なことに日記をまめに更新した上に他の探索者の報告にもまめに目を通しているらしかった。

「1213>>なんだろね、ここの神様が巻きにでも入ったとか?」
「1457>>潜っても潜っても海底にたどりつきませんね...」
「1870>>とにかく、まずい...一人くらいならなんとか...追われて....」

 幾人かの酔狂な記録の中に、あきらかに切羽詰まった様子のメッセージが紛れている。件の探索者は協会から懸賞金をかけられている、つまり海賊扱いされているのだが彼女がぽつぽつと送信している短い日誌を信じるなら当人が知らぬうちに協会が彼女を手配した経緯が生々しく描かれていた。彼女の主張を莫迦正直に信じてよいかどうかはともかく、これだけ情報が食い違っていれば誰かが嘘をついていると考えるしかない。

「でもこの通信も協会のネットワーク使ってるんだろ?大丈夫かな」
「テロリストがインターネットを使ってもその瞬間には捕まらないものだー」
「(あぶない例えは控えるようにね)」

 ゴルゴンゾーラが指摘するがユダ公とヤンキーが世界中に敷いたネットワークを使ってアブラ人が相談をするように、協会が探索者の通信を傍受する手段が存在することは間違いないだろう。ふつうはそれを制限するために面倒くさい規定や分厚い法律が存在するのだが、この海洋世界テリメインではルールも設備も用意しているのは探索者協会だからその気になれば誰かが勇気をふり絞って書いた恋文をこっそりと盗み見ることも可能ではあるはずだ。だが実際には労力をかけてすべての通信を追いかけるなど不可能だから、日記の彼女もそれを承知で協会よりも先に仲間が自分を見つけ出すことを期待して情報を流しているのかもしれぬ。いずれにしても海域が離れすぎていてもくずたちにはどうすることもできそうになく、今は心配ではあるというにとどめるしかない。

「まあ心配だよな、みんな無事ならそれでいいんだけど」
「心配すればそれで充分だー」

 もくずの言葉はたぶん薄情なものなのだろうが、自分のことは自分で解決する、それは協会も何も関係ない探索者のルールである。だがそれは自分のことを自分で解決した者であれば、たまたま他者を助けることができるかもしれないということを意味してもいた。自分たちではなくても他の探索者が彼女を見つけて彼女を助けるに違いない、探索者はそれを信じているのだ。
 光と熱を避けながら遺跡の縦坑を更に下層へ下層へと降りてきた、そこは便宜上は第十階層と呼ばれている海域で、早々にキング級と呼ばれる巨大なクラーケンに遭遇したが大きな危険もなく退けることができている。これまで探索を続けながら装備や戦術を慎重にそろえてきたことは無駄ではなかったらしく、お子たち二人が前に出てゾーラが後ろから術を放つスタイルでいよいよ海域の深層が見えてきた、と思っていたのだが最深部とされていた十四階層の更に深くに繋がるルートが発見されると最深二十一層の存在が確認されたという報告がすでにもたらされている。日記の彼女がいるのもその二十一層らしく、あまりにも深い場所にいてもくずたちにとっては文字通り遠い世界のできごとになってしまうのだ。

「とにかく潜るしかないってことか」
「うむ、エチゼンっちがこの先にいるはずだぞ!」

 以前の競技大会で協力をしてもらった自律型重機の姿を思い出す。彼らはちょうどこのサンセットオーシャンの遺跡でもくずたちの少し先の海域を進んでいたから、順調ならそろそろ件の暗闇に到達するはずである。いざとなれば合流して協力もできるかもしれないから、急ぐのではなく万全な準備をしてこちらは歩みを進めるしかない。どこまで行けるかは分からないが足を止めなければいずれは最も深き階層までたどり着けるかもしれない。そのときのためにもまずは自分たちが生き残る算段を立てていれば、いざとなれば近くにいる友人に手を延ばすことができるだろう。繋いだ手はさらに遠く広くへ伸びて他の誰かを助けてくれるかもしれない。

「どーせ他の連中も強いんだ、でっぱつすんぞー」
「そーなんだよなー」

 なにしろこれまで模擬戦その他で何度も強い人たちを見ているのだから、他人を心配するのはよいことだがしすぎるのはおこがましいことだと思いなおすことにする。むしろ自分たちは彼らについていけるよう必死こいて頑張っているというのがひいき目でも卑屈でもない現状というものだ。
 弱いことは悪いことではないが、強いことは価値がないことでもない。ひたすら海に潜り遺跡に潜る、彼らがやることが変わっているわけでもないのに気がつけばお子たちは成長して強くもなり他人の心配をすることができるようにもなった。その上で彼らは変わらずにひたすら海に潜り遺跡に潜ろうとしている。遠くても果てがないはずはないのだから、ゴールが見えたところで周囲にいる仲間たちとどれだけ手を繋げているのだろうと思う。

「よしおおぞらかける、景気づけにお前をなぐる!」
「なんでそうなるんだよ!」

 なんかまじめに考えすぎていたので最後はこうなってしまうのはたぶんお子たちの悪いくせだった。


12日目


Icon ガラガラと新しい術の準備をしている。
Icon 何だかよくわからないものがきたという面持ち。
Icon どうしたものかぐるぐるまわりながら考えている。

Icon 「これから黒い太陽アルシエルとかいうのを討伐する」
Icon 「あんこ食いてー饅頭☆かきぴーから情報を聞いて対策もばっちりなはずだ」
Icon 「だがやはり黒い太陽よりも黒部の太陽という映画に言及しないことはできない!」
Icon 「大浜詩郎は蒸し風呂のようなセットの中で連日点滴を打ちながら撮影を続けていたという」
Icon 「三船敏郎が420tの大水を前に立ちすくんでいたら撮影は失敗に終わったといわれている」
Icon 「石原裕次郎はこの作品は映画館で見て欲しいといって長年ビデオ化を拒んだそうだ」
Icon 「えーとだからナイアルヨシエルとかいうのがなんだっけ」
Icon 「あるのかないのかどっちなんだー!」

Icon 「…(無言で頭をかかえる)」
Icon 「…もずこ、お前な?マイペースなのは結構なんだけどさ。
もうちょっとなんというか世界線というか、TPOとか、そういうのをいろいろわきまえた言動を心がけてもバチはあたんねえんじゃねえの?」
Icon (フォローのしようがなくて困っている仕草)
Icon 「まあ、百万歩譲ってそういうところもまた長所ってとこなんだとしてもよ。
割とお前のそういうよくわかんねえ雑学知識のほうが、のちのち記録にも残らない取るに足らないミクロのデータとして価値があるのかもしれないしな」
Icon 「こうやって切った張ったしてる旅も、その中のやんちゃなやりとりも、
冒険記とかデータとかには残らないかもしれねえだけで、他の連中も割と似たり寄ったりなのかもかもな」

 切り立った岸壁が幾つも屹立している海中は昼夜関係なくどこまでも黄金色に輝く光条に満たされている。太陽の海と呼ばれているサンセットオーシャンの姿は太陽に照らされた海ではなく太陽が沈められた海とでもいうべきものであり、ときとして質量すら感じさせる熱線が周囲の海水を煮たてながら視界を貫いていく。どれだけの装備を揃えていたとしても、こんな光と熱に炙られればただでは済みそうになく、しぜん探索者たちは「太陽の光」を避けるように遺跡群の回廊や縦坑を伝いながら深層へ深層へと足を踏み入れていた。これまではそうであった。

「あーテステス。我は暗黒皇帝である・・・」
「あんこ食いてー?」
「そうじゃない」

 共用の通信網を通じて、唐突に流れてきた声に頓狂な受け答えが返される。耳を傾けてみるとこの先の海域にいるという遺跡の守護者を相手にして、敗走した探索者から再戦の準備に向けて大勢が集まっている場所を伝えるための通信らしい。海野百舌鳥子が潜水具のパネルについている旧式のつまみをひねって周波数を合わせると、水中に投影されているスクリーンのノイズが修正されて画像と音声が少しだけ鮮明になる。なにしろ遺跡の外を飛び交っている熱線と沸騰する水流のせいで通信が乱れてしようがない、とはもくずの言葉だった。

「そんなわけであんこ食いてえ饅頭☆かきぴーとかいうヒトから座標が送られてきた!」
「変わった名前だな」

 大空翔がそれはちょっと聞き間違えをしてるんじゃないかという顔をしているが、ドラクエIIIでああああバーグを建設した商人ああああくらい奇態な名前にはこと欠かない探索者たちのことだからそんな名前のヒトもいるかもしれないと思ってもしまう。詳しくは合流してから確認すればよいのだが、ようするにこの先にワタシこの地おさめるアルシエルアルヨというのがいてそれがべらぼうに強く探索者たちが蹴散らされたので再討伐の算段をしようということだ。

「アルのかナイのかどっちなんだー!」

 一般知識として調べた限りではアルシエルというのは地獄の最下層であるゲヘナに住んでいるという神様で、黒い太陽とやらを象徴する存在らしい。太陽が黒いってなんだよと思うが錬金術には黒い太陽の存在が記述されていて、いわく日食とか土星に象徴される物質の死を意味している。ちなみに1968年に公開された黒部の太陽という映画は世紀の難工事といわれた黒部ダムトンネル工事の苦闘を描いた作品で、特に出水のシーンは熊谷組の協力で愛知県豊川市に設営したセットで420tもの水を一気に放出すると三船敏郎や石原裕次郎が本気で逃げたほどでいつの間にか映像が投影されていた。

(ミフネ様はかっこいいよね)

 いつもはたしなめる役回りのゴルゴンゾーラだがシーサーペント族にも三船敏郎は人気があるらしく、リルガミンにも登場するミフネがテリメインで知られていても不思議はないのだろう。とはいえ太陽が沈められた海に黒部の太陽(違う)が待ち構えてべらぼうに強いというのは言葉の意味は分からないがとにかく尋常なことではない。科学とか物理とかになぞらえてみれば、ある現象の中で反対に思える現象が登場するには相応の理由があるものなのだ。

「たとえば熱を放出する冷凍庫ん中がすげー冷たいというやつか」
「たとえが所帯くさいぞー」

 ひやりとした縦坑をひとつまたひとつと降りて、集合場所だとされている遺跡の広間に泳ぎ出るとそこには見知った顔がいくつも並んでいた。人間は肌も髪の色も年齢も背格好もまちまちで、機械めいた姿や竜とよばれる生き物めいた姿もある。全員が集まっているわけではないようだが、このサンセットオーシャンを訪れている探索者の相当数がいるらしく裏を返せばこれだけのヒトで一度は返り討ちにあったのかと思えば締めすぎてヒモのところがかゆくなるくらいフンドシを締めなおす気分にさせられるというものだろう。別にフンドシをしめてはいなかったが、一人がお子たちの存在に気がついたらしく泳ぎよってくる。

「元気してたー?今回は寄生プレイだよね規制プレイー」
「字がもちがってるぞ弁天ちゃんっち!」

 手をひらひらと振っている弁天ちゃんはあいかわらず年頃の男子が目のやりどころに困りそうな格好をしているが、そんなことを言われたらもくずもゾーラも露出がとても多いにちがいないから気にしてもしようがない。自称漁師力学者らしく?彼女も情報を頼りにナイアルヨシエルとやらの対策を子細に検討しているクチで、曰く守護者は協会未所持の技術を高レベルでいくつも保有していてそれを使いこなしてくるらしい。それを称して羨望と暴食といい七つの大罪にかけてある、どういう理屈かと訊ねるとおおざっぱにいえば回復術と犠牲術と呼ばれる技術に反応して起動する仕組みであるらしく、発生したエネルギーを吸収して黒部の太陽(だから違うって)の出力が強化されるらしい。探索者の装備や戦術や行動に対抗して遺跡の守護者が対策を講じている、ことは探索者の間ではもはや常識で、ならば探索者にとって効率がよいのは先行する同朋が痛い目に遭った情報を利用することである。彼女たちが堂々と宣言するとおり仲間に寄生することも厭わない。

「なんつーかさ、情報戦だよな」
「情報はにおわないぞー」

 かけるの感想に古代の公衆便所皇帝の口調でもくずが断言する。協力しようといいながら仲間を利用するだけになっているのではないかと気がひけなくもないのだが、勇気をもって挑む者と知恵をもって挑むものはどちらも尊いというだけのことである。勇気なき知恵はヒレツでしかないし知恵なき勇気は匹夫の勇でしかないからああいう勇気はHIPのYOU。どこからともなくデッデッデデデデ、デデデデというBGMが聞こえてきたかと思うと、旧式のラジカセを下げた少女を従えた自律形重機が近づいてきた。マシナリーシルエットことMSエチゼンと会うのは先の闘技大会で手伝ってもらって以来である。

「ウアソ・ナイトハルト・染みたげ・エケ・ローザリア・ウ・ワタナヘイナ・モテク・ニザム(デッデッデデデデ、デデデデ)」

 などとまじめなエチゼンは言ったりしないから、彼らが遭遇した守護者のデータと映像を惜しげもなく提供しては協力を呼びかけている最中のようだった。曰くテリメインの古い伝説では七つの海域には七つの武器が封じられていてむろんサンセットオーシャンもその一つであり、アルシエルはそれを守る守護者のことを指している。映像にはぼんやりとした少年めいたシルエットが映っていたが、少年よりも彼が振り回している棒めいた槍めいた道具で起動される防衛システムがとんでもないエネルギーを発生させているようで、どうやらこれがアルシエルらしいと納得させられる。光と熱にあふれた海で少年の周囲だけは確かに暗闇に包まれていて、数えきれないほどの光が暗闇に吸い込まれていった数瞬後に映像が歪むほどのエネルギーが解き放たれると視界がノイズで埋まる。うーんせぼねがおれたと言いたくなるような惨状でよくもみんな無事でいたものだと感心するほどだった。

「光すら吸収する、あとは解き放つだけかー」
「ああ、此方が受けた損害では最大級だった」

 黒い光などというものはこの世に存在しない。まばゆいほどの光の中にある暗闇とはすべての光を吸収する存在というわけで、海水を沸騰させるほどの熱線が飛び交う海であらゆるエネルギーを吸収してからそれを解き放つのがアルシエル・システムということだ。かけるが想像した冷凍庫と似た原理だが、なるほど伝説の武器になぞらえるのも道理に思えてきて海中島の海アトランドの宝石竜以上に協会が追いかけたくなりそうな存在だった。
 暑熱の遺跡で背筋にうすらさむいものを感じながら、腕を組んでいたかけるの横で、しばらく映像を見ながら考え込んでいたもくずがおもむろに拳を振り上げるとウチの方針が決まったぞーといって大見得を切ってみせる。曰く先行したもくずが防護膜を展開してタコデバイスとおおぞらかける(暴力)が至近距離から狙撃、ゾーラが後ろから状態異常を主体にした長期戦を想定する。。。

「それっていつもと同じだよな?」
「ウチのミトナチオは誰とやっても泥仕合に持ち込むのを信条にしている!」

 微妙な修正は入るがいつもよりも役割分担を明確にして、回復だけは三人が都度補完するのではなくもくずに任せたらあとはいつも通りでイクゾー(デッデッデデデデ、デデデデ)というのがもくずの主張だった。厄介なのは高レベルスキルではなく多条件でスキルを起動させる機構の存在で、それは裏を返せば条件を満たさないようにすればスキルが起動しないということもである。先にあんこ食いてえさんとやらから送られてきた通信もそれを指摘したもので、あとは各々が自分たちのスタイルに沿った対策を行うだけである。そしてお子たちは奇抜に見えて奇策に依らないからあえて戦術を変える必要がない、というのがもくずの判断だといえば、誰が奇抜だと迫られたことだろう。
 海中の太陽に照らされている不自然な明るさの中に奇妙な暗がりの空間が存在する。再び水中に映されている映像を見ると光すら吸収する暗闇の中心にぼんやりとした影が動いていて、視認することは難しいが相手は常に暗闇の中心にいるからもくずとかけるが遠慮なく近づくことも殴りかかることもできるだろう。反撃で解き放たれる砲火はもくずが正面から減衰させたらあとはひたすら避けながら耐えられることを祈る。泥仕合、と自らを称したもくずだが痛い目に遭った仲間を利用するどころではなく、仲間が痛い目に遭ったのを承知で今度は自分たちが真正面から受けて立とうというのが彼女の作戦というわけだ。あまりぞっとしない話だが望むところだと奮い立つことはできるし、お子たちの後ろにはゾーラが控えていて彼らの周囲では同じ目的で立つ友人や仲間たちがお互いを助けるために同じ方角を向いている。

「作戦は考えた。おいおおぞらかける、これから景気づけにお前をなぐる!」
「あたしもしごいちゃうよー」
「了解した」
「さあ逃げるぞタコー」

 もはや様式美とばかりいつもの理不尽を予想したかけるがすでに泳いでいる後ろを、もくずの潜水艇がマブチモーターをフル回転にして追いかける。いちおう誰よりも軽快に逃げ回るおおぞらかけるに最前線でがんばってもらうための景気づけなのかもしれないし、もくずも同じように傍らで最前線に立ってくれるはずだと思うがそれがうまく行くかどうかはこの後すぐに見ることができるだろう。


13日目


Icon 浮いている魔方陣を見ながら首を傾げている。
Icon 魔方陣の外側にさらに円を増やし新しく術式を書き加える。
Icon 魔方陣が光りながらすごい速さでグルグル回り始めた。
Icon パタパタとはたく様に書き加えた部分を掻き消す。
Icon ・・・。

Icon 「そんなわけでアルシエルにも無事に勝つことができた」
Icon 「なんか行き先がいろいろ解放されてポルトガを出港したおもむきがある」
Icon 「エジンベアとか」
Icon 「テドンとか」
Icon 「ランシールとか」
Icon 「サマンオサとか」
Icon 「ああああバーグとか」
Icon 「おいおおぞらかける、おまえは商人に転職するつもりはないか!」

Icon 「その流れで言うとかけるバーグで地下牢送りになっちまうじゃねえか!」
Icon (商人の名前は『はん』派でしたのジェスチャー)
Icon 「…でもまあ、確かに一気に行ける場所が広がっちまって正直驚いてるよ。
なんてーか、行ける場所が一気に広がるって意味じゃ嬉しいけど、多分これ、他の探索者のみんなが切り開いてくれた道筋なんだろうな」
Icon 「ま、いろいろ目移りはするけど、目下気になるのは今自分たちで進んできた道の先にあるモンだな。
前のジュエルドラゴンの先の件もあるからなあ。一応ちゃんと見極めた上で先に進んだ方がよさそうだ」
Icon 「…ってもずこ?聞いてるかー?」

 熱と光に満たされている酷熱の海中世界にあって、不自然なほどくろぐろとした闇のかたまりから熱線が放たれと周囲の水を沸騰させるが、予め展開されていた防護膜に遮られると勢いを大幅に弱められる。だが反撃に撃ちこまれた渦潮や氷の奔流が何本も闇に吸い込まれるとこちらも中心に届く前に急速に勢いを減ぜられて互いにたいした打撃を与えた様子はない。さすがに堅いなあ、と大空翔がつぶやきながら水をかく足は止めず、長くなるかなーと考えたが次の瞬間にはあれよあれよという間に何本もの軌跡が海中に描かれると暗闇がはぎとられるようにかき消されていってむき出しになった石とも機械とも言いづらい奇妙なかたまりが姿を現したところで動きを止めた。

「お、勝ったか・・・わりと呆気ない、かな?」
「そんなことはないぞー」

 安堵して息をついたかけるに海野百舌鳥子が言ったように、用意万端に臨んだアルシエルとの対峙はお子たちが守りに専念しているあいだに他の探索者たちが一気呵成に攻め立てて無力化に成功したが、それで彼らが敷いていた二重三重の壁が無意味になったわけではない。物足りないと考えるのは事情を知らない者の放言というもので、なにしろ死人が出なくて幸いだったという先の撤退戦の教訓を糧にして準備をしたのだから誰が活躍するかではなく誰もあぶない目に遭わずに済む作戦を立ててそれがはまったということなのだ。

「これもあんこ食いてー饅頭☆かきぴーのおかげだー!」
「なあ、本当にその名前でいいのか?」

 ちなみに共闘を呼びかけてくれたヒトをそんな名前で呼んでいるのはもくずさんでもかけるくんでもなく私なのですみません。とにかく暗闇が消えると周囲にはサンセットオーシャンの光と熱が急速に戻ってきて、水温も上がり出すとこれはたまらんとアルシエルが残していった装置を皆で引っ張りながら急いで遺跡の広間まで引き上げる。装置を守っていた少年はこれで解放されたからあとは知らないよと、さして悪びれた様子もなく姿を消してしまっていた。
 停止したシステムは壊れたわけではなく、箱根名産寄木細工のひみつ箱のようにいろいろ調べてみるとスライドした外装の裏に外部と接続ができるスロット、端子部を見つけることができた。これで有用な情報や機能を手に入れることができるのではないかと技術に詳しい連中がさっそく接続を始めるが、まずはもくずが自分の潜水具から引っ張り出したケーブルを装置につなぐとたちまち2400ボーで送られる「ピーガッ・ピーガー」という昔のデータレコーダとかファクシミリのような音が聞こえてきて、本当にこれで通信できてるのかよとかけるは不安になるがたぶん通信はきちんとできていて音はもくずの趣味なのだろう。モニタに映っていたNOW LOADINGの文字が消えるともくずの表情が明るくなる。

「おいおおぞらかける、いいものを見つけたぞ!」

 もくずの嬉々とした声に一瞬不安にかられるが、彼女が見つけたのはスキルストーンの機能を条件発動するプログラムとやらでこれを組み込めばわざわざ自分で操作をしなくても一定カウント数ごとに自動でスキルストーンを起動できるらしく確かに便利そうだと思う。ことにもくずが見つけた品は、協会に高額で出回っているものよりも短い間隔で起動できる代物だということだ。

「あとでおおぞらかけるの基板も組み替えてやるー」
「ああ、あんがとな」

 どちらかといえば機械工学よりのかけるに比べるともくずは広範にシステムをいじることができるので、ひっきょうソフトウェアは彼女に手伝ってもらうことも多い。これが海上に戻れば日々の家事とか海ことりの世話なんかはひっきょうかけるに任されてしまうことが多いのだがそこは役割分担とか適材適所とかてきとうな言葉で済ましてしまうのでかけるにエプロンが似合う原因になっていたりする。
 これでパワー・マキシマイズをがしがし使えるぞともくずはさっそく潜水具の基板をいじると自律型重機、マシナリーシルエットのエチゼンに提供してもらったジェネレータ強化機能を自動起動できるように組み替えてしまう。これを周囲の水分子に干渉する拡散化と組み合わせて、かけるのタコデバイスでも使用できるエネルギーを発生させるという寸法だ。最近になってようやくかけるにももくずが考えているシステムの方向性がわかりかけてきて、どうやら彼女の潜水具は端的にいえば「近くにいる者の性能を上げる」システムを目指しているらしい。受けた衝撃は緩和されて使用できる出力は上がり発生した異常は中和される、これらの恩恵が近くにいるだけでしかも無線で享受できるのがもくずの潜水具というわけだ。それっていわゆるヒロイン属性の仲間が使いそうな能力なのにどうしてこんなになってしまったのだろうとかけるが考えているなどとはもくずの知ったことではない。

「むかし世界システムというものがあってだなー」
「ニコラ・テスラかよ」

 テスラといえば知っている人には殺人光線を考案した狂科学者に思われいて某テロ集団が興味を持ったとかとかく悪印象を植えられている人物だが、当時エジソンと二人でノーベル賞に選ばれたのを「こいつと受賞するのは嫌だ」と二人して断ったという天才発明家の一人である。実際には現在も世界中で使われている交流電流の父であり、彼が提唱した世界システムは無線通信の出力を上げて世界中に無線電力を流すという壮大な計画だがそれだと電気代を請求できないという理由で現在も実現していない国境を越えた代物だった。
 なのだがもくずが言うと交流電流の父テスラよりも狂科学者テスラの印象が強くなるなーとかいうとシメられてしまうからかけるは何も言わないが、なんというかガンダムにテムレイ回路を取りつけたらデビルガンダム細胞だったので性能が倍になるどころか自己進化自己再生自己増殖してデビルガンダム軍団とか作ったりしませんよねと訊ねてみたくなる。

 それにしても感心するのはもくずがせっせといじっている潜水具の基板が組み替えられていく手際のよさで、しかも彼女はこんな雑な印象のわりに意外と几帳面だから組み替えられた基板もわかりやすく整理されていた。だからこそこんな遺跡の中で探索の途中に装備を組み直す芸当ができるわけで、むしろ正常に動いているなら海上に戻るまでいじらないというかけるのほうが正しいのだ。もともと複雑なシステムがいま動いているのに並べ替えて不具合が出たら意味ないだろ、というのがかけるの見解で、まして協会から試供されている基板整理用の並べ替えツールはまだ不具合があるといわれている代物なのだから、つまりもくずの整理が整理のためではなく趣味のためだということをかけるは知っていた。

「もずこそれルービックキューブみたく手なぐさみで組み替えてるだろ」

 そんな会話をしていたが、かけるの目になにやら首をかしげている鳥の巣頭が見えておやと思う。どーしたと背中ごしにモニタを覗いてみると映っている海域の地図情報がすべて解放されているようで、これまでは探索者の踏査済み海域だけしか表示されていなかったいわゆる七つの海から表層深層まで未踏査の座標を含む克明な地図が表示されるようになっていた。アルシエルからダウンロードをした際に何かあったのか、あるいはもともと協会のデータベースに登録されていた情報が見えるようになったのか一概には言いづらい。
 もちろんすべての地図が見えるようになって困ることはないのだが、かけるやもくずはもともと学校の自由研究を進めるために探索に赴いていたから明確に目的地があるわけではなくとりあえず先に、とりあえず深くを目指している。だからどこにでも行けるなら更に先に更に深く進んでもよいのだが、それで更に新しい海域を訪れるべきかそれとも最深層まで潜ってみるかといって済む話ではない。

 暗黙の了解の域を出てはいないが、海域には協会が安全を保障できる管理枠が存在してこれを外れるといわゆる「海賊」が現れる危険があり探索者同士の争いに巻き込まれる可能性がある。いまや探索者協会のうさんくささは疑う余地がないのだが、それで協会の管理を抜ける理由はないし暗黙の了解を破ってよい理由もない。お子たちが余計なトラブルに巻き込まれるのはお目付け役のゴルゴンゾーラにとっても見逃せる話ではなかった。

(慎重にね)

 探索は慈善事業ではないから協会はもちろん探索者も海賊も賞金稼ぎもそれぞれの目的や思惑があってこの海を訪れているのは周知の事実である。もともとそれを承知で探索に参加しているのだから、誰かを助けたり誰かに協力するならまだしも誰かと対立するなら自分がまちがっている可能性を承知でやらねばならぬ。少なくともお子たちにはそこまでして他人の邪魔をしなければならない理由はなかったし、それならいま続けているサンセットオーシャンの遺跡調査を進めたほうがよほど有益というものだろう。なにしろ解放された情報の中には協会の秘密を探るために探索者が独自で追跡をしている航路の座標、などというシロモノまでアクセスできるようになっているのだ。

「協会のヒミツは気になるけど海賊は避けたいぞー」
「それって協会から追われてるってヒトだろ?気持ちは分かるけどオタズネモノだぞ」

 なんか困っているから気になるというのは人情としては分からくもないが、誰が正しくて誰が間違ってると決めつけて無責任に介入したら事態がこじれるだけである。珍しくもくずが正義感らしきものを口にしたからといって情報もなしに動こうとするのはたしなめるべきだった。

「じゃあどうするんだー!」
「そーだなあ」
「悩んでるね悩んでるねーお客さん。若い性の悩みならいつでも聞いたげるよー」

 唐突に横合いから声がかかる。いまどきいかがわしい呼び込みでも言わないようないかがわしい台詞を吐いたのはいかがわしく見えなくもない露出の多い布を身に巻き付けた少女弁天ちゃんで、彼女もお子たちと同じくアルシエル討伐に参加すると同じように漁師端末に解放されていた地図情報を見てしばらく途方に暮れていたらしい。さてどうするか、弁天ちゃんとしてはこのようなときは建前に逃げるのではなく本音で語るのがよいと考えている。
 彼女いわく海賊や賞金稼ぎの相手をするのは嫌だ。本音をいえば仲間同士つぶし合うなんて不毛じゃないかと思うが建前ではガチ勢と喧嘩しても勝てる気がしねーと本音と建前が逆のように聞こえるが案外本気で言っているのかもしれない。探索者同士の争いに参加したくないならあくまでその範囲でルートを探すべきであり、そこで集めた情報はそれが海域のものであれ原生生物や防衛システムのものであれ共有すれば助けになるのは先のアルシエル討伐戦でも証明されているのだ。

「だからルートはあたしがはーい三名様ごあんなーい、ってね。どーよ?」
「よし弁天ちゃんっち、座標送ってくれたら前の車を追っかけるぞー」
「いやそれなら停めてあるバイクで追っかけるのが石原軍団でしょー」

 つまり解放されているが未踏査の海域をまわり、協力者を探しながら情報を共有していこうということでうまくいけば海域外縁部の安全を確保することができる。それは海賊であれ賞金稼ぎであれ協会であれ間接的に彼らを助けることにつながるかもしれないし、いまや探索者の行動に対抗して勢力を取り戻しつつある原生生物や防衛システムを押し返す役に立てるかもしれないだろう。

「ちなみに性と書いてセイではなくサガと読んでねー」

 あっけらかんと言うが考えてみれば協力して情報共有しながら海域を巡っていこうというのは協力して情報共有しないとちょっと怖いかなーというルートに案内するよという意味でもあるのだがお子たちがそれを理解して乗せられているのかそれとも漠然と不安に思っているのをゾーラだけが無言でたしなめているかもしれなかった。

(慎重にね?)


14日目


Icon 微妙に残ってついてきているイワシを手で払いながら散らしているが・・・。
Icon ・・・数が多い。
Icon あきらめて水面近くに浮いて退避している。

Icon 「暑いー!」
Icon 「夏バテを防ぐためにも涼しくなる食事は必須だと思う!」
Icon 「ターメリックの効いたカレーとか」
Icon 「コリアンダーの効いたカレーとか」
Icon 「クミンの効いたカレーとか」
Icon 「ガラムマサラの効いたカレーとか」
Icon 「とんがらしの効いたカレーとか」
Icon 「おいおおぞらかける、今日のご飯は」

Icon 「…もずこ、それ全部入ってればなんだってカレーになるから」
Icon (むしろ本場は何がカレーで何がそうなのか分かんなくなるよね、のジェスチャー)
Icon 「まーむしろ、カレーってのはルーじゃなくてスパイスからぶっこんで作る方が本場仕様なんだよな。カレールーって、あれほとんど小麦粉と油だもんなあ…そら胃もたれするよなあ」
Icon (塩も好みで加減できるのがいいよね、のジェスチャー)
Icon 「まあ正直な話俺が作ると油も使わないからカレー味の味噌汁みたいになるんだけどな」
Icon (本場ってなんだろう、って顔)

 サンセットオーシャンの遺跡と遺跡を繋ぐ回廊を脇にそれて断崖の隙間のような場所に入り込む。これまで未踏査とされていた地図はすべて開かれていたからルートを迷う心配はなく、海域の外縁部に直通する縦坑に飛び込むとあとは海面近くまで一息に浮上する。普通なら水圧の影響を受けるに違いないが何の違和感も感じないのは彼らが身に着けているスキルストーンのおかげでこういうときにはありがたみを感じさせられた。

「排気管を外に出しとくと浮くときに便利だぞー」
「スキルストーンの効果外だと泡の体積が変わんの?もはや魔法の世界だね」
「おーい、二人ともちょっと速すぎんぞー」

 漁師端末に映されているルートを辿りながら、頭上を泳いでいる海野百舌鳥子と弁天ちゃんの水着姿を下から見上げるのは本来年頃の男子には刺激的なのかもしれないが、海洋世界であるからには男性も女性も肌を晒している例が多く若くて生意気な年頃の大空翔もすっかりてきとーに流している。
 縦坑はもともと移動用なのか他の用途に用いられていたのか判然としないがつくりは充分に広く、かけるの頭上で二人の娘が並んで泳いでいても充分に余裕はあったし、足下ではシーサーペント族のゴルゴンゾーラが長い身体をゆっくりとくねらせながら続いていて更に後ろの者たちを待っている。ここ数日来、彼らが踏査してきた太陽の海サンセットオーシャンは昼も夜もないどこまでも黄金色に光り輝く熱気漂う世界である。切り立った断崖には飛び交う熱線を避けるように分厚い石壁の遺跡群が刻まれていて、それぞれが回廊や縦坑で結ばれていた。遺跡は更に深く奥へと続いていたが、今は彼らは一度海域を離れるために最短距離を頭上へと向かっている。協会にはすでに連絡を入れていて、手配されているシャトルシップに乗れば近隣の海域までひととびに移動することができるはずだ。

「おいおおぞらかける、準備はシルバームーンに着いてからにするぞ」
「了ー解、うちの船は海域の外に逃がしとくぞ。暑いから」

 遺跡で発見された、黒い太陽と称されるアルシエルシステムを停止した彼らはさてこれからどうしようかと顔を見合わせたが、お客さんそれならイイトコアルヨともくずたちに声をかけたのは弁天ちゃんである。曰く、七つの海域には七つの封印があると言われていてシルバームーンにもアルシエルに並ぶシステムの存在が確認されている。海水を煮立たせるサンセットオーシャンの熱線すら吸収してエネルギーに換えるアルシエルのシステムは強力すぎて放置できるものではなかったが、それに匹敵する力がやはりシルバームーンにもあって無視できるものではない。放置すればいずれ仲間たちの安全に関わるかもしれないというのが彼女の主張だった。

「あといい加減暑いから涼しいとこでイキたいじゃん」

 探索者がつぎつぎと乗り込むとさほど時間をおかずにシャトルシップが海上を滑り出す。探索者がふつう使っている探査船でも「海峡越え」は不可能ではないが時間と危険が割に合わないからたいていは協会が用意をしたシャトルに便乗させてもらうことが多い。シャトルは定められた航路を定期的に巡航するが今回のように大勢が一度に利用するなら協会に出してもらう程度の融通を利かせてもらうこともできたし、それなりの施設や装備も積まれていたから風景が流れていくあいだに必要な補給を済ませることもできる。
 シルバームーンは「月の海」と呼ばれている海域で、地形はサンセットオーシャンに似て切り立った断崖を貫く遺跡と岸壁群に張り渡された回廊で構成されているらしいが冷たい静謐な海はほとんどいつも深い闇に覆われていて、上も下も分からなくなる暗い世界にときおり差し込んでくる柔らかな銀色の光が周囲を照らしているおかげでかろうじて視界を確保することができる。その光が頭上からではなく、海中で放たれているらしいこともサンセットオーシャンと同様だが光は周期的に強くなったり弱くなったりしていわゆる新月時には一寸先すら見えないほど漆黒の闇に覆われてしまう。

「(今日人類がはじめて木星に)ついたー!」
「懐かしいな」

 シャトルシップが足を停めたのは通常の探索を行う地点からは随分離れた場所で、当初の地図では遺跡への入り口は確認できていなかったがここも地図が開かれたことで直接深層へと繋がる縦坑が見つかった、その侵入路に近い場所を選んでいる。皆が必要な準備を終えていて冷たい水にどぼん、どぼんと落ちると今度は広い縦坑を底へ底へと降りていくような恰好で、海面に足を向けてゆっくりと進んでいくとやがて石造りの広まった区画に出ることができた。周囲は薄暗くて水は冷たく重々しさすら感じるが、本来海の底とはこのような雰囲気ではないかと思えてくる。やはり分厚い石壁に囲われている広間の四方に簡易灯が据えられているのはすでに先行している探索者がいるからで、この広間の中だけは明るさとにぎやかさを感じることができた。お子たちがぞろぞろと入っていくと幾つかの視線と挨拶が向けられて、彼らが集まっているあたりの床にはいかにもといった高札が立てられていて海ことりが一羽ちょこんととまっている。

(サリエル討伐情報求ム)

 もくずの姿を見つけた海ことりがぱたぱたと鳥の巣頭に潜り込むと数人の探索者が近寄ってきた。ただのことりでしかない海ことりがどうやって彼らに先行したのか深く考えても仕方ないが、高札に書かれているサリエルというのがこのシルバームーンで発見されたシステムの名称で、由来に従えば死を司る天使や堕天使として扱われている存在のことである。

「死神っていうと収穫の神様のイメージもあるんだよな。デメテルとかペルセポネとか」
「デスエンゼルとか呼べばあたまのわるい暴走族みたいだぞー」

 ワタシココヲオサメルアルシエルアルヨもそうだったが、システムを作った者もまさかお子たちにこんな好き勝手に呼ばれているとは夢にも思わないだろう。もくずの莫迦なひとことで今やサリエルといえばお子たちにはスーパーリーゼントに特攻服を着て朱塗りの木刀を手にして背中には「沙裡餌琉上等」と書かれている姿しか思い浮かばないがそれはそれとして、高札の傍らに集まっていた一人が、口の端を持ち上げるような笑みを浮かべると緊張感のないお子たちに値踏みをするような視線を向けた。

「こいつを立てたのはあんたらかい?なかなか面白いことしてるじゃあないの」

 ジャルドと名乗る青年は先行してサリエルの情報を集めていた一人らしく、役に立つかもしれないからオレが見たとこのアイツの感じを教えてやるよと申し出てくれた。協会のデータベースに照会するまでもなく、一見して歴戦のベテランにしか見えないふいんき(誤字)を醸し出している上にハンターズオフィスであればブレイドトゥースの隣に手配書が貼り出されても不思議はない貫録をごく当然のように漂わせている。まがうかたなき現役の賞金首はどこか楽しそうに高札を指差した。

「普通こういう連中は動くたびに攻め手が強くなり、逆に守り手が弱くなる手を講じているもんでな」

 曰くビッグウェーブやプロトタイプガーディアン、フラウロスにアルシエルと聞いたこともない存在も含めた知識を披歴してみせる。つらつらと並べ立てる説明と対策が丁寧に分析されて分かりやすく、これだけ把握しているからこそ歴戦たりえるのだろうと思わせるが、まあ意外とあっさり終わると思うぜ、などと結ばれるとそれはたぶん彼の実力に照らしてみれば意外とあっさり終わるという意味だろうからお子たちとしては慎重を期すに如くはない。ひととおり説明が終わったところでもう一度口の端を持ち上げるような笑みを浮かべてみせると、頭上に海ことりを乗せたもくずが講義を聞き終わった学生のように手を上げてみせた。

「なるほど大儀であるー!目つきは悪いがいいやつじゃないか」
「そいつァすまなかったな!」

 目つきの悪さよりも口の悪さを問題にするべきだが先方は大人なので気にしないでくれているようだ。それどころかお子たちが長期戦を考えるなら相手が使ってくる麻痺には特に気をつけたほうがいいとアドバイスまでしてくれて、やっぱり海賊でも賞金首でもみんないいヒトが多いよなーと傍らでうなずいているかけるなどは思ってしまう。
 ジャルドの話を聞いていたのはもくずたちだけではなく、数人がうなずいている姿を見ると中には以前に模擬戦闘などで見知った姿もある。視線が合うと小さく手を振り交わすが、今は討伐戦の準備が優先、というわけだろう。例えば公国の首長の系譜というアウレリアはバレーボールのようなお胸をしている方々と同行していた姿が記憶にあるが、当人は生真面目そうな性質で淡々とうなずきながら誰ともなく自問自答しているように見える。高札の向かいでは冷たい海の水そのものが揺れているかのように、水の精霊ディーネが海ことりをゆらゆらと揺らせながらやはり自分が使える有効な術について頭を悩ませている姿が見えた。慎重で綿密な準備があってこそ高位の探索者たりうる、彼女たちは生きた実例といったところなのだろう。

「丁度今回、ラストを扱えるようにしておいたから使うとしよう。もとは邪気を利用する術だが私の力でも打ち消さずに使えるようにできたからな。防御崩しの一端くらいは務めさせてもらう」
「私は、速攻をする自信はありませんからジャバウォックで守りながらラストをさしこみましょうかね」

 お子たちが聞いたこともない術やスキルの名前が飛び交うが、アウレリアであれば自分の性質にそぐわない邪気を制御するとかディーネであれば自分の特徴を活かして最大限の効果を出せる術を選び出すとかそれらを当然のように使いこなしてもいるらしい。しかも彼女たちはそれで自らが活躍することよりも、大人数の中で全体の戦力に貢献して仲間を助けようとすることを考えている。目的は武勇伝や英雄譚で語られることではなく障害を排除して海域に道を拓くこと、彼らはそのために準備をしているのだと思い知らされてお子たちもたぶん一人は真面目な気分にさせられる。そして彼らを遠巻きに眺めている者たちも無関心なのではなくむしろ自分がすべきことを充分に理解している者たちで、短期戦を想定して先んじて打撃を加えようと槍先を磨いている者たちだった。

「めんどくさいから自爆。あとは任せた」

 和知梓子などは韜晦するように呟きながら、先攻して一撃する雷撃戦の先頭に立つことを宣言する。戦闘開始時にタイミングを合わせて自主的に装備を暴発させることで相手のあらゆる行動に先んじて一撃を加えることができる、これを自爆という(吟遊詩人談)!と通称されてはいないが自爆攻撃はそれで手の内を失うことが前提だから強力な一撃の後の二撃目以降は続かない。つまり彼女が宣言している通り他人を信頼して「あとは任せた」と我が身を無防備にする覚悟があるからこその自爆なのだ。先攻して、という話にディーネが思い出したように付け加えると傍らに通信用のスクリーンが投影される。

「伝え忘れていたのですが、恐らく私たちのチームが一番先に行動するのかなと思います」
「私らがトップバッターらしいな。まぁミカサにはミカサの仕事をやらせるだけ・・・他の選択肢が無いとも言う」

 レイド戦と呼ばれる集団での車がかり戦は単純に海中での航行速度の順に相手に挑むことになり、今回集まっている者たちではディーネたちが最速らしい。スクリーンに姿を映しているのは彼女のチームメンバーである海中探索機ミカサの開発者でアサヒと名乗る夫人である。事前情報によればサリエルには先攻されても一気に後退離脱する機動力があるらしいが、それで力を使わせれば連続起動はできないから試みるに如くはない。行動順の並ぶ者同士が連携すれば互いの動きを活かすことも不可能ではないが、小細工を弄したあげく互いの足を引っ張っても仕方ないので神様のタイミングを期待するか否かは自らと相談して決めればよいだろう。交わされている話にいちいち耳を傾けていたもくずももっともらしくうなずくと力強く宣言してみせる。

「よし!ウチは守りながらおおぞらかけるで殴る」
「なんか俺を武器にして振り回すみたいに聞こえるからやめて」

 やっぱり緊張感のないお子たちのやり取りに、ディーネは水のかたまりとは思えない豊かな表情を見せていたし生真面目そうなアウレリアなども少女じみた笑みを浮かべている。ともあれ彼女たちのように最新の64ビット機でなく、ガードとかウォークライとか物持ちよく使っているもくずたちでも自分ができる手段を講じて仲間を助けるという立場に違いはない。PC8801でもMSXでもX68000でもメガドライブでもスーパーファミコンでもプレイステーションでもWindowsパソコンでもコモドール64でも倉庫番は遊べるのだ。

「コモドールってなんだ?」
「車はT型でパソコンはコモドールというのを知らないのかー!」

 もちろん知らないと思うし別にお子たちの装備はT型フォードやコモドール64ほど世界を席巻したことはないが、倉庫番を開発したシンキングラビットといえばファミコンディスクシステム向けにメット・マグを開発した会社でもあるので今でも熱烈なうさぎ倶楽部好きは存在する。

「はい脱線しすぎ。準備しよ準備ぃー」

 などと弁天ちゃんに促されてしまうが今回もお子たちの方針といえば「誰もあぶない目に遭わずに済む」ことであるから自分たちでできるだけの壁を張るのが彼らの役割になりそうだ。


15日目


Icon 海面上に身を浮かせ、ゆっくりゆっくり回りながら周りながら泳いで身体を日に当照ている。
Icon 時折、通り過ぎる人々を顔だけ出して見ている。
Icon 再びゆるりと漂っている。

Icon 「ディーププラネットに到着したぞー!」
Icon 「いちおうここにはバカンスをしに来たことになっている!」
Icon 「もともとバカンスはフランス発祥で貴族や金持ちがなにもしないことを指して呼んだものだった」
Icon 「これが二十世紀になって労働者に休みを取らせる法律を作ったのが今のバカンスだ」
Icon 「1936年には二週間連続の有給休暇が認められた」
Icon 「1956年には三週間連続の有給休暇が認められた」
Icon 「1969年には四週間連続の有給休暇が認められた」
Icon 「1982年には五週間連続の有給休暇が認められた」
Icon 「そして2000年に週35時間勤務制にして企業はこれを調整休で埋めることにした」
Icon 「つまりフランスでは有休+調整休で二ヶ月近い連続休暇を取ることができるのだ」
Icon 「おいおおぞらかける、二ヶ月前のフランスパンがたいへんなことになっているぞ!」

Icon 「やっべ!忘れてたー…ってもずこそれ何冷静に観察してんだッ!>二月前のフランスパン」
Icon (青カビまではギリギリセーフ?のジェスチャー)
Icon 「…それはそうと、さすがフランス。バカンスに命掛けてんなあ。
ジュテーム立国を自称するだけあってそら出生率も上がるよなー」
Icon 「そんだけ休んでも回るような仕事の効率を常に求められるって意味では別の厳しさはあるかも知れねえけどな」
Icon (安易に真似するとそれはそれで反動多そうだから慎重にね、のジェスチャー)
Icon 「も…本来生産性云々もあくまで企業やら工場とかの単なる労働環境において用いられるべき単語ってだけなんだけどな。勘違いしないことが大事だな」
Icon 「それはそれとしてバカンスな。むしろあれ、経済発想のほうでうまく回してんじゃなかったっけか。しっかり賃金払って休みを与えると人間『使う』ようになるってことで経済が回る、ただそれだけの話だったような…?」
Icon 「…むしろそっちのほうが絶対効果高いよなあ…」
Icon (海ことりは日向ぼっこしている)

 深海の宇宙ディーププラネット。いつからかそう呼ばれるようになったというが、たとえばアトランドであれば海中島の海と呼ばれていたものがこの海域では堂々と海ではなく宇宙とうたわれていて、ひとたび海面から深く潜ればそこが海であることを忘れてしまうかのように静かで暗く、不気味で、果てがないかのような錯覚さえ覚える世界に放り込まれてみればそれも道理であろうと思われた。この海ともつかぬ海は重力も浮力も抵抗もすべてが通常とは異なっていて、水中をただひとかきするだけで遠くまで進んでいきそうな感覚にも囚われる。視界を遮るものは何もなく方角すら容易に失いそうになる、一見して何もないかのような静かな海域だが、それでもこの世界を根城にする生物はいてはるか遠くを漂う姿をちらほらと見ることはできた。そのはるか遠くまでどのように辿りつくことができるのか、それすらも不確かな世界である。

「ここでバカンスをしようなんて言い出した奴は尊敬に値するよな」
「おおぞらかけるのくせに言うようになったではないかー」

 感心したような呆れたような大空翔の言葉に海野百舌鳥子が返してみせる。星の海、どころか深海の宇宙と呼ばれるディーププラネットにはこれまでの海域のような遺跡の欠片すら見当たらずにただひたすら上下左右なにもない空間が広がっていて、遠くおぼろげに見える光が他の生き物か探索者なのかすらも判然とはしない。あるいはこれが本当に星空であれば一面を星座に囲まれながら傍らに立つ副官をかえりみて「星はいいぞ、キルヒアイス」とか銀英伝ごっこをすることもできるかもしれないが、ただ静かでまっくらなだけの世界では俺の体はエイトビートで満ちているとうそぶきながら「ごきげんさあ、あんたもどうだい」とかスペースコブラごっこをすることならできるかもしれなかった。

「でも宇宙にたとえるなら水をかいて前に進む宇宙はありませんよね」

 タコでも潜水服でもなく、宇宙服のようなスーツを着込んでいる小柄な姿の声が届く。海域を越えてこの深海の宇宙を訪れている探索者は何人もいて、こくりと名乗る動く潜水服もその一人である。長い探索を続けて七つの海の更に奥深くに辿りついている者にはすでに初心者というものは存在せず、バカンスに興じるとして深淵に漂っている彼らが経験も体験も重ねた面々であることは疑いない。
 無重力で抵抗が存在しない宇宙空間では推力は自ら作らなければならないから、水をかいたところで先に進むことはなく例えば質量を後ろに打ち出した反作用で前進するアストロロボササ的な移動が必要になる。ところがこの世界ではあくまで水をかくことで進むことはできる一方で自分を遮る水の抵抗はきわめて弱く、まるでマイティボンジャックのような独特な操作感を味わうことができていずれにせよ例えとしては分かりにくい。なにしろシーサーペント族のゴルゴンゾーラが泳ぎづらそうに長い身体を持て余しているかに見えるのだからまっとうな物理法則が働いているとは言い難かった。

「おいおおぞらかける、加速度の変数ができたんで送ってやるぞ」
「もうかよ!?早いな」

 スキルストーンの影響で水圧の影響を軽減することができるとして、そうであれば外的な要因を強引に打ち消した世界で活動する違和感はすべて吸収する必要がある。もくずのいう変数とは彼らの潜水具やタコデバイスにあらかじめ組み込んでおくことによって人間側のしぜんな体感覚を運動エネルギーに変換するためのプログラムのことで、かけるであれば彼が泳ごうとして手足をかいた感覚がタコデバイスに伝えられると海域に応じた体捌きの制御を代わりに行ってくれるというものだ。

「成功すればおまえのパンチのスピードは倍になるー!」

 趣味の悪い冗談はともかく、潜水具から伸ばしたRS232Cケーブルをタコデバイスに繋ぐとしばらくして上下の失調感が消えたように身軽に動けるようになる。もくずのプログラム自体はこの海域の重力や浮力や抵抗や水圧を数式化したものでしかないから、ゾーラのスキルストーンにも有効なのでこちらはケーブルの先についたお椀のような通信カプラーを豊満なボディの上からかぽりとはめると同じようにデータを送る。どのような原理なのか、しばらくして動きやすくなったらしいゾーラが水中を数度旋回してから目を細めるが、もしも平坦なムネの上からかぽりとはめても効果はあったのだろうかと不埒なことをおおぞらかけるが考えたという記録は存在しない。

「こちらにもデータ頂いていいですか?計算に手間取ってしまって」
「もちろんだー」

 こくりはこの奇妙な感覚の中でも水の中の魚のように自由に泳いでいたが、仲間にはデータを共有する必要があってなまじ自分が身軽に動けるだけ計算に苦労していたらしい。彼女の宇宙服ともくずの潜水具は規格が多少異なるらしく、伸ばした電話の受話器のようなコネクタに通信カプラーをはめるといつの二十世紀だよという方法でピポパピポパという通信音が深海の宇宙にこだまする。

 通信速度2400bpsのやり取りを待っている間に体感覚とタコデバイスへの負荷を点検しようと水中をただよっていたかけるだが、考えてみれば背景はまっくらで登場人物もアクションも少ない世界なのでここでセル枚数を節約すれば某アニメ番組のように過去の総集編を何度も流さなくても済むかもしれない。思い返してみれば穏やかなセルリアンに沈む遺跡の街を外海に向けて進み、海中島の海アトランドで海中に漂う岩塊の奇景奇観に宝石竜の採掘場を見つけると太陽の海サンセットオーシャンでは燃えるような熱さにさらされながら遺跡を進んだものであった。

 受話器の向こうから 聞こえる涙声 君はだれにはぐれた
 都会を舞う君は 黄色いツバメのようだね 心を染めないで

 昇るサンライズ 見上げてごらんよ ひとり素顔に戻って
 いつだって俺は此処にいる だから朝日と出会い
 君は春をゆけ熱い今日を生きて夏をゆけそしてララバイ
 やさしさを知れば微笑いあえる

 ざわめく人波に 消された細い声 君はだれを愛した
 素直になれた時 黄色いツバメと気づくよ すべてを脱ぎ捨てて

 燃えるサンセット 唄ってごらんよ 遠くあどけない日々を
 振り向けば俺は此処にいる だから夕陽に踊り
 君は北へゆけ寒い今日を生きて西へゆけそしてララバイ
 淋しさを知れば愛しあえる

 サンライズ 朝陽と出逢って
 サンセット 夕陽に踊って やさしさをしれば きっと微笑いあえる
 サンライズ 朝陽と出逢って
 サンセット 夕陽に踊って 淋しさを知れば きっと愛しあえる・・・

 (中村雅俊・心の色)

「こんなところで中村雅俊がフルコーラスで聴けるとは思いませんでした」

 こくりにたしなめられるまでもなくあまりにも脱線しすぎだがともかく深海の宇宙ディーププラネットで活動するための準備と調整を終えると、ゾーラが宝石を並べて周囲を淡く照らす灯火と遠くに方角を定める灯火を生み出して導を作る。かけるは新しい海域に慣らしたタコに四肢を支えてもらったり離れたりしながら上下に泳ぐ動きを試していて、もくずは周囲の水分子への干渉範囲を広げて水そのものを彼らの身を守る障壁として展開する。水の抵抗が弱く加速しやすいということは、こちらに向かってくる障害物に高速でぶつかられる危険も増すから対策を講じておくにしくはない。

「準備ってもこれからどーすんだ?別に行き先は決めてないんだろ」
「なにをゆー」

 首を傾げるかけるにもくずは今さらのような顔をする。海域の最深部と思われるディーププラネットを訪れてまで彼らが慎重に振る舞っている理由は他でもない、この周辺では協会の統制が及ばず探索者同士の対立や海賊も横行して正直なところ巻き込まれたらたまらないという状況だからである。だが境界線の一歩向こうが治外法権であることを承知で進出する理由はあって、彼ら以外にもここを訪れている探索者は何人もいたから知人や友人を助けるための人手はいくらでも必要だった。いざ呼ばれたときに別の海域にいましたではシャトルシップに乗ってもそう間に合うものではないし、昨今でもサンセットオーシャンの深部にあるアルシエルやシルバームーンにあるサリエルが他にも数台見つかっていて、後続の探索者が処理したり逆に撤退させられている状況で同様の設備がこのディーププラネットに置かれている可能性は大きいだろう。

「まあこんだけ違う条件下が体験できるってのはいいデータになるからな」

 仲間や知人や友人の役に立つとかはあえて言わず、彼らの本来の目的である卒業制作にかけるは言及する。タコデバイスの運動データの収集にこれまでの探索は大いに役に立っていたし、もくずの研究テーマが何かは知らないが彼女の水分子への干渉システムにとっても周囲の水がこれだけ激変する環境下で得られるデータは多岐に渡るに違いない。その上でついでに人助けができるのならそれに越したことはないし、そもそもこれまで彼らは協会や他の探索者たちに様々なことで助けられているのだから相互協力するのは当然だった。表情のない宇宙服の中身がくすりと笑ったように見える。

「人が人を高めることは素晴らしい目的です」

 ありがたいお坊さんの説法のような言葉だなと思い、ふと淡い光に照らされたヘルメットの中身に意外なものが見えたような気がしてかけるは目をこするがこくりは何も気にしたふうがなく泰然としている。深海の宇宙ディーププラネットに拠点を置いて周囲の動向を見ながら他の探索者たちの手伝いをする、ただし探索者や協会の争いには近づかない、その上で行ける場所が見つかればそのとき考える。それが水かきのついた長い指を立てたゾーラがお子たちに諭した方針で、好奇心と体力の赴くままに泳いでいるお子たちに首輪をつけているのはやはり彼女らしい。ちょうど海域の様子を探っていた一団が戻ってくるとおやびんてえへんでーという勢いで一人が泳ぎ近づいてくる。

「出たよ出たよー、アンドロー梅田とかいうのが協会様御一行に立ちはだかってるってさ。方角はあっち、目印ないから座標わかんないけどドンパチ始まればまー探せるでしょ。助けに行くあいだにすっかり片付いてるか弱点だけ分かって後はトドメを刺すだけにしといてくれることに期待してれっつごーしようよれっつごー」

 これだけ短い言葉でこれだけ韜晦してみせる弁天ちゃんだが、彼女が海域のあちこちを巡っていわゆる火消しを続けていることは間違いない。さっそくもくずやかけるたちも出立しようと宣言したその数分後にはなにもない静かな海域だけがそこには残されていた。今のところ彼らがいうディーププラネットでのバカンスとはこのようなものである。

「よーし打倒アンドロー梅田にでっぱぁーつ!」
「絶対わざと間違えてるよな?」
pic

16日目


Icon 魔方陣の中で新しい術をせっせと組み立てている。
Icon 魔方陣の中で光っている石に指を近づけ様子を見る。
Icon ちらちらと休み場を気にしている。

Icon 「ところで最近原生生物が通常攻撃ばかり繰り返しているようだ」
Icon 「どうやら海域をまたいで原生生物を送り込むシステムがあるらしいのだが特に大型の生物は浮力とか水圧とか水温とか異なる環境に調整するために時間がかかってスキルを使えずにいるらしい」
Icon 「一方で探索者は先んじて調整を済ませているから一方的にスキルを使用できているのが昨今の状況だ」
Icon 「つまり探索者はいよいよ防衛システムに先んじて海域の奥に到達しつつあるということでもある」
Icon 「おいおおぞらかける、次回もディーププラネットでバカンスをするぞ!」

Icon 「(うん、うん、うん、と聞いている)」
Icon (聞いてる)
Icon 「…そ、そうだな!」
Icon (オーケーサインを出しかけて)
Icon 「…ってええ!?な、なんで!?」
Icon (焦ってる)
Icon 「話の前後が繋がってねえだろが!?せっかく真面目に考えてるっぽかったのに
此の期に及んでどうやったらバカンスって発想が…」
Icon 「…でも、アリなんだよな。バカンスって名目だったら出来るメリットってのも、あるっちゃああるわけだし…」
Icon (一種のボランティアってやつですかねー、のジェスチャー)
Icon 「…ものはいいよう、ってヤツとも言わねえか、それ?」

 深淵の宇宙。いつからか、そう呼ばれているディーププラネットの海域。遮るものとてない暗黒の世界が視界を埋め尽くしている姿はそこが海であることを忘れてしまうかのように静かで暗く、不気味で、果てがないかのような錯覚さえ覚えるかもしれない。他の海域とは違い、その浮力さえもまるで宇宙にいるかのごとく・・・と、そんなディーププラネットで堂々と「バカンスをしよう」などと謳っている探索者が思いのほか多く、実際に何もない空間にたゆたっている人影をいくつも見かけることができる。頼りない光源が海中に点在している、それは宇宙や星空というよりも小さな水辺に集まっている蛍のように見えるがいずれにせよ実態はといえばそれほど詩的なものでもなかった。

「しっかしなにもないとこだよな」
「バカンスなんだからなにもないところで新聞でも雑誌でも読んでればいいぞー」

 海中に浮かびながら、海野百舌鳥子が映写機から投影されている月刊テリメイヌーの記事を呑気に眺めている様子は死海の水に浮かびながらバカンスする姿をまねているのかもしれないが、海抜マイナス418メートルの塩湖とはちがってディーププラネットの泥をお肌にぬったところでミネラルたっぷりでもちもちの美肌とやらは期待できそうにないだろう。そもそも水着姿でさんざ日焼けした肌にそばかすなんて気にしないわオマエの鼻をこぶしでぺちゃんこにしてやろうというもくずにもちもちの美肌とか考えても仕方がない。
 もくずほど達観してなにもしないという気分にはなれずにいる大空翔は、もくずの潜水具が定期的にたたいているらしいセンサーやソナーからの応答に目をやったりもするが、周囲には彼ら自身を含む探索者の姿しか確認できずにいる状況は相変わらずだった。このなにもない海にも原生生物は周遊しているのだが、なにしろ莫迦げたほど巨大な生き物ばかりで遠くにいるのを見つけてから逃げるのも迎えるのも容易にできたから緊張感を強いられることもない。

 静謐な暗渠は視界の果てまで遮るものがなにもなく、心身の緊張を強いられることもなければなにも考えず浮力に身を預けることで彼らが想像する以上にリラックスをすることができる。もちろん彼らの多くはこの後の行動に備えて休んでいるだけだから、情報の収集や交換は怠っていなかったし準備ができた者から出立したり帰還することを繰り返している。

「おっひさしぶりでーす! 元気してたー?」
「おー。シアっち、エチゼンっち、手紙がトドいてたようでなによりだー」

 人型重機、マシナリーシルエットのエチゼンとその傍らを泳ぐ少女の姿がもくずたちに近づいてくる。七つの海の最奥部ともなれば訪れている探索者は経験でも実力でも相応以上の者ばかりで、彼らは暗黙のうちに連携することにも慣れている。特に誰が言い出したわけでもないが、バカンス組と称する者たちが海域に留まるとそこを拠点のようにしながら探索組が出立して捜索の範囲を広げていく。これまでは探索者協会が大がかりな設備を設営しながら手厚く探索者を助けていたが、ディーププラネットでは協会は海域外縁部のぎりぎりに居を構えて後はそれ以上は動こうともしていない。これまで協会と探索者は互いの目的のために手を結んでいたが、いよいよ相手を出し抜くために両手をポケットに入れたのではないかとは根拠のない噂である。

「この海域に特有の原生生物もすでに確認されている。緊急時以外は行動が4の倍数になる度に横にポジショニングしよう」
「うむ!さすがエチゼンっち、理解がメタメタに早いぞー」

 拠点といっても別に建造物が建てられているわけではなく、補給と通信ができる設備があればいいから簡易な装置が組み上げられているまわりに探索者が集まっているだけである。エチゼンが伸ばしてきたRS232Cケーブルをもくずの潜水具に繋ぐと、デスペンギンやらエイトシーズーといった記録が投影されて月刊テリメイヌーの記事と入れ替わった。大きさの比較のためにマイルドセブンの箱が映っているが、大きさ十数センチの箱と体長十数メートルの生き物を並べることにどんな意味があるかは分からない。

「なあ、なんかますます大きくなってないか?このへんの生き物」

 かけるの個人的な感想というばかりではなく、お子たちもこの深淵の宇宙ですでに原生生物と対峙していたがデスなんちゃらとかハオウかんたらとかいう名前がデータベースに並んでいるのを見ると口から血をたらして宙づりにされそうなデストロイぶりを思わせてしまうかもしれない。

「そもそも深海の生き物が大きいのに違和感があるんだよな。クジラでもサメでもでかい生き物って海面近くにいるものだろ」
「なんのことはない、もともとそこにいなかっただけだろー」
「え?つまり誰かが連れてきてるってことか?」

 なんのためにと言いかけて、そういえば以前の海域でもコシロの杖を置いたところに原生生物を集めていた遺跡があったことをかけるは思い出した。穏やかな海セルリアンでも海中島の海アトランドでも(曲)燃えるサンセット唄ってごらんよ遠くあどけない日々を振り向けば俺は此処にいるだから夕陽に踊り君は北へゆけ寒い今日を生きて西へゆけそしてララバイ淋しさを知れば愛しあえる・・・(中村雅俊・心の色)

「まさか二週続けて中村雅俊が聴けるとは思いませんでした」

 通りすがりのこくりがたゆたいながら視界の向こうに離れていくと巡回に戻っていった。脱線はともかくこれまでの海域で遭遇した原生生物は遺跡の表層よりも深層に潜るほどに大型化をしていって、たとえば体長1メートルのサメが2メートル4メートル8メートルとありえない勢いで大きくなるといつの間にかそれに慣らされていたように思う。だが遺跡の深層を守るために誰かが原生生物を配置しているのだとすれば、浮力も重力も水圧も特異なこのディーププラネットではさらにタガが外れていてとにかく徘徊する生き物が大型どころか巨大化しているという有り様だった。体長が30メートルを超えるペンギンやイワシなどもはやフューチャー・イズ・ワイルドの世界である。

(いまのところ向こうの動きがおかしくて助かってるよね)

 目を細めながら、ようやくこの奇妙な海の感覚に慣れてきたらしいゴルゴンゾーラが身をくねらせている。奇妙な話ではあるのだが、昨今あちこちの海域に現れている大型の原生生物がどれも動きを縛られているかのようにぎこちないまま撃退される例が散見されていて、先にお子たちが遭った舟のように巨大なペンギンやイワシもなにをするでもなくあっさり返り討ちに会うと逃げ出していた。それ自体はありがたいのだが事情もわからないまま素直に安堵できる話ではない。
 海域を移るごとに浮力や重力や水圧まで極端に変わる、それに対応するためにもくずやかけるはスキルストーンの調整をたびたび行っているし、それはこの世界の住民であるシーサーペント族のゾーラも同様だった。上下の失調感、不自然な水の抵抗や浮遊感、そうしたものに探索者と同様に原生生物も振り回されている。つまり遺跡や海域を守るために原生生物を本来の生息地から強制的に移動させるシステムがあって、探索者は環境の変化に対してスキルストーンを調整することで対応しているが原生生物はそうもいかない、特にディーププラネットや遺跡の深層のように環境が大きく異なる場所ではなおさらである、確証はないがそれが昨今の原生生物側の事情かもしれなかった。現に長くそこに設置されているらしいアルシエルやサリエルといった防衛システムは正常に動作しているのだから。

「なんつーか、俺たちを迎える側も苦労してるってことか」
「苦労してるのは振り回されるものだけだ。振り回す側は苦労していない!」

 もくずの答えはもちろん海域や遺跡を移動させられているらしい原生生物に対してのものなのだが、同級生を振り回している人間のことを指しているように一瞬思えたなどということは口が裂けてもいえなかった。ともあれ探索者が原生生物に先んじて海域に適応している状況は優位にはちがいなく、協会や遺跡側の思惑がなんであれ危険に備えたり対策を講じる余裕はありそうだ。

(でもアンドロさんあれどうするもんなんだろうね)

 ゾーラの尾が?の文字を描いたように見える。ディーププラネットを先行する探索者から救援要請が届いているのだが、海域の先にアンドロメダと称する防衛システムの存在が確認されていてすでに数次攻撃が失敗に終わっているらしい。これまで彼らが対峙したアルシエルやサリエル以上に難攻不落の代物で、皆がなにをする暇もなく蹴散らされると方々から手を貸すために探索者たちが集まっている、もくずたちもその中の一つだった。視界を遮るものはなく、予定通りなら次の攻撃には一緒に参加できるだろう。
 本来、もくずたちのスタイルはキングマーリンを釣る釣り大好き三平くんと魚信さんのように長期戦を想定して相手のすべての攻撃をしのいだら時間をかけて少しずつ優位に立つというもので、正直なことをいえば強い相手に速攻をしかける作戦には向いていないし足手まといになるくらいなら後ろで拠点を守っていたほうがよいには違いない。適材適所という言葉にはほど遠いが頭数が不要というわけでもない。ミツバチの自爆攻撃よろしく力を合わせればスズメバチを撃退することもできるだろう。

「一本の矢は折れても65535本の矢だったらあと一本でオーバーフローだ!」
「8ビット機なのか、アンドロさん」

 義を見てせざるは勇なきなり、友人知り合いがいるのに見過ごすこともないというのが彼らの本音である。お子たちの目的は七つの海で財宝を手に入れることでも真理を追求することでも英雄になることでもない。海域を訪れている探索者でも海賊でも賞金稼ぎでも協会でも、誰のじゃまをするつもりもないが困っているなら助ける、太陽賛美のポーズをとるかはまた別の話だろう。
 そもそも彼らは学校の研究課題のためにこの海を訪れているのだが、人が困っていたら助けることを学ぶことだって立派な学業の成果に数えてもよいはずではないか。
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17日目


Icon じっと遠くを見ている。
Icon 視線に気付くと首をゆらゆらと揺らして小さく回る様に泳ぐ。
Icon 行き先を指差し・・・。

Icon 「いよいよ魔王とかいうのが復活したらしい」
Icon 「おとーさんそこに見えないの魔王がいるこわいよ」
Icon 「ぼうやそれはさぎりじゃ」
Icon 「おとーさんおとーさん聞こえないの魔王がなにかいうよ」
Icon 「なあにあれは枯れ葉のざわめきじゃ」
Icon 「おとーさんおとーさんそれそこに魔王のむすめが」
Icon 「ぼうやぼうやああそれは枯れた柳の幹じゃ」
Icon 「おとーさん!おとーさん!魔王がいまぼうやをつかんでつれてゆく」
Icon 「おいおおぞらかけ

Icon 「わかったから!!(滑り込みつつ悲痛の叫び)」
Icon (おいたわしや、的なジェスチャー)
Icon 「(ゼイゼイと息を切らし)…いや、あのなあ?ここが要するに異世界だから助かってると思って好き放題やってんだろうけどさすがに節度ってもんをだな?」
Icon (でも古典楽曲だからセーフかな、のジェスチャー)
Icon 「そういう問題じゃないんだけど、正直ほんと信じられないんだよなー。
だって『魔王』だろ?自称なんだか他称なんだか知らねえけど、ケレン味なく名乗れるくらいの奴が出るってだけで一応身構えてんだけど…」
Icon 「ごたごた考えててもしょうがねえし、腹くくらねえとな。
俺たちだってやるときゃやるってこと、少しは見せたいもんだな」

 星の海、深淵の宇宙とも呼ばれているディーププラネット。奇妙な場所である。そこは海であることすら忘れてしまうかのようにただひたすら静かで暗く、不気味で、果てがないかのような錯覚さえ覚えさせられる。全身の力を抜いて浮かんでいれば死海もかくやというばかりにあらゆる刺激から解放されて、一説によればディーププラネットで二時間の睡眠をとれば並みの八時間に匹敵するくらい疲れがとれて戦場では夢を見る必要はないさとは旧アニメ版銀河英雄伝説でクルト伍長がトニオにつぶやいていた言葉である。そんな我が征くは星の大海に身を浮かべながら何よりも奇妙なのは、宇宙にいるかのごとく、ひとかきすれば遠くまで進んでいきそうだといわれるその体感覚である。

「宇宙は!宇宙はこうじゃありませんから」
「宇宙でなくて海だぞこくりっちー」

 ジャズが聞こえたら奴が来た合図なフルアーマー潜水服が力説している様子に、海野百舌鳥子はいつもの調子でこの奇妙な海域の奇妙な物理現象について解析を続けているらしい。本来、水の抵抗が小さければいくら水をかいても前に進むことなどできないが、抵抗が大きければ遠くまで進む前に水の壁にさえぎられて推力を失ってしまう。いわれるとおりディーププラネットが深淵の宇宙であれば、いくら水をかいてもどこに進むこともできず、だがひとたび進めば止まることもできず動き続けることになるだろう。推進力を得るためにはロケットなどで後ろに力を噴出するしかない。

 この奇妙な現象は海中の浮力や重力、水圧が一様である限り決して実現しない、つまりディーププラネットの海中では水は一様なものではなく、あろうことか水そのものに複数の種類が存在してそれが混在しているのだ。水の中にまだら模様に水が浮いていてそれらが一見してまったく区別できないのである。水中に投影した水質の分布図を指してもくずが説明する。

「こーしてセンサーで見ると異常に薄い水の中に濃い水のかたまりが浮いていてだな」
「ほんとだ・・・水の宇宙に水のデブリが浮いているようなものですね」
「その通りだー」

 もくずの潜水具は周囲の水分子に干渉する機能を持っていたから、それで周囲の水を調べてこの奇妙な現象を見つけることができたらしい。ディーププラネットを訪れた者はふだんは疎な水の中で上下感覚すら失うほど動きを制御することができなくなるし、いざ密な水に当たると反動ではねかえされるように動き出して今度は止まることもできなくなってしまう。つまり水中に浮かぶ水のデブリを蹴って前に進み、いざ進んだらデブリを避けることで速度を維持することもできる。抵抗のない水中で相応の推進力を得る手段さえ用意すれば、海中とは思えぬ高機動を実現することも可能というわけだ。姿勢制御のプログラムを背中のタコデバイスに落とし込んでいた大空翔もこの件ではすなおに感心しながらもくずの話を聞いていた。

「おかげで原生生物より早く活動できてるくらいだからな。あいつら見てると気の毒にもなるけど」
「納期に追われて検証なしでシステム導入するとひどいめに遭うのだー」
「その発言ヒトによっては耳が痛いから注意な?」

 お子たちには関係のない話なのでなんのことだかさっぱり分からない。だがこの奇妙な海域の奇妙な物理現象に苦労しているのは探索者だけではないらしく、この海洋世界の出自であるはずの原生生物すらろくに動けずにいる姿を目にするほどで、他の遺跡でも散見された原生生物を集めたり呼び寄せるシステムがどうやら強制的なものであるらしいことを窺わせた。クジラのような巨体が上も下もなく身をよじらせている横で、水質の分布状態まで解析したもくずたちがあらかじめ定めた進路のとおりに流されながら、ときおりコースを変えるだけであとは悠々と通り過ぎていくことができるのでここ数日は危険な遭遇戦めいたものにはまったく縁がない。

(ウチは安全第一だからね)

 シーサーペントとしてもありえない高速移動の感覚に身をゆだねて、目を細めているゴルゴンゾーラもディーププラネットの海域にはすでに慣れていて長い尾を後ろに引きながら海中を貫いている。お子たちの案内役兼保護者を自認する彼女としては、不要な争いなど避けられるに越したことはない。一般に高火力短期戦が主流の探索者たちの中で、彼らが相手の攻撃をひたすら防いで泥仕合上等の持久戦勝負を主にしているのもあくまでお子たちが怪我をしないようにとの配慮から、らしいがもしかしたら故アンドレ・ザ・ジャイアントのように相手のチョップを受けても微動だにせずぱんぱんとホコリを払うだけで強さをアピールする目的があるかもしれなかった。

「それよりどーすんだ?魔王とかいうの」
「義を見てせざるはHIPのYOUぅー」

 かけるの言葉にわけのわからない言葉を返しているもくずだが、先だって海域に立ちはだかっていた「女王」アンドロメダは苦労の末に無事に停止させることができていた。主に苦労や活躍をしたのは一緒に討伐戦に参加していた他の探索者たちに違いないが、スターバウンドと称する雨のように降り注ぐ光の矢にさらされる中で一本でも多く矢を受け止める的が必要になる。たとえばいまはやりのファミコンを例にとると無数のロックオンレーザーがたった数人に集中したら防ぐどころの話ではないが、目標が数十人に分散すれば威力をかろうじて抑えることができるだろう。みんなで協力してボスを倒すにはやはり仲間は一人でも多く必要なのだ。

「ファミコンでロックオンレーザーってあったか?」
「自動追尾ならテグザーのレーザーがある!」
「ファミコン版はドットだぞ」

 今はアンドロメダが置かれていた海域を離れたいくつもの探索者たちの影が、ただひとつの座標を目指して流星群のように進んでいる。「魔王が復活した」などというわけのわからない通信が唐突に送られてきたのはつい先ほどのことで、協会から一斉に配信されたらしいメッセージは詳細もなにも知れず、ただ座標だけが記されていた。探索者協会が独自の目的をもって動いていることはいまさらではないが、魔王とやらが彼らの目的なのか目的に立ちはだかる存在なのかもわからない。ただ少なくとも海域の探索がいよいよ最奥部に達したことは間違いがないのだろう。

「でも何もわからないのに魔王ってもな。俺たちが行って役に立てるのか?」
「役に立たなければ役に立とうとしないのかー」

 ついぼやくようにつぶやいたかけるに珍しくもくずがまともなことを言っている。もともと学校の研究課題のために訪れた海であり、重ねていうが彼らの目的は七つの海で財宝を手に入れることでもなければ真理を追求することでも世界の英雄になることでもない。海域を訪れている探索者でも海賊でも賞金稼ぎでも協会でも、誰のじゃまをするつもりもないが困っているなら助ける、友人知り合いがいるのに見過ごすこともない、日めくりカレンダーに目をやれば松岡修ZOの暑苦しい言葉も残り少なくなっていたが、ちなみにこのカレンダーはあいだみトゥをカレンダーから差し替えたときに「アレなものをアレなものに替えてどうする」とたいへん不評だったという一幕があったらしいが話を戻すと基本的には友人知り合いの助けになればいいかというのが彼らの方針である。どうせ他に危急の用事があるわけでもなく、星の海、深淵の宇宙とやらの果てを見にいくつもりで訪れてみてもいいではないか。

「宇宙の果てまで行くと一面からループするものですよ」
「こくりっちはシューティングが好みかー!」

 いくつもの小さな光が深淵の宇宙をつらぬいている。どうやって繋がっているのか見当もつかないが、空気管が海面まで伸びているもくずの潜水具も、タコデバイスを背負って魚のように泳いでいるかけるに劣らないスピードで海中を並走している。身体が長いせいで初速が遅いゾーラも抵抗が少ないこの海なら加速を続けることで追いつくことができたし、他の探索者たちも暗黙のうちに速度を合わせて同じ場所へと流れていく。みなでピクニックに行くかのように、鼻歌のひとつも歌いたくなるではないか。

「おとーさん、おとーぉさん」
「その歌は怖いからやめて」

 果たしてなにが待っているのかもわからないが、少なくとも悲観的な結末だけは彼らに縁がなさそうである。


18日目


Icon 遠くの魔王を見ている。
Icon ぐねぐねと尾の先端を顔に寄せて見ている。
Icon ・・・。
Icon 視線に気が付く。
Icon 顔と手を小さく横に振る。

Icon 「(炎をまとった巨大な蛇を見上げている)」
Icon 「テリメーインからぁー、封ぅ印ーさーれたー」
Icon 「そのくやしーさは忘れはしないー」
Icon 「めーでたく目が覚め、目ぇーにつーいたー」
Icon 「世界をかならず、支配すーるぅー」
Icon 「おいおおぞらかける、攻撃のときはきた!」

Icon 「(ものすごくものすごく不本意そうな顔で)…ワァー」
Icon (宇宙エンジン…と書きかけて様々な思いが去来した様子)
Icon (それ以上はいけない、のジェスチャー)
Icon 「ってか、むしろ素で『わあ!?』だってのコンチクショーもずこ!
おまえ今度という今度はなんというかこの際はっきりと言っておくというか…」
Icon 「第一な。冒険も大詰めだってのにお前のそのノリ結局変わらねえどころか酷くなってんじゃねえか。
まあおかげさんでこっちも深刻にならずに済んでるってのはあるんだけど…」
Icon 「正直信じられねえよな。魔王だぜ魔王。
ノリで名乗ってくれてる系の話のわかるヤツって感じならいいんだけど…ま、サリエルだのの例もあるし、期待薄かなあ?」
Icon (がんばろうね、のジェスチャー)
Icon 「伝説の武器なんてねえけど、だれかが倒しゃ、また新しく伝説が生まれるってだけだろうからな。
とりあえず一介のモブの魂、少しは役立ててくれよって思うぜ」

 世界の中心に巨大な熱とエネルギーのかたまりがある。それは地殻を隔てて世界に熱をもたらすと最初は自然を、次には生命を、更には文明を生み出す源泉になった。いわゆる地球型惑星における核とそれを覆うマントルのことを指すがこの世界ではペルセウスβの変光星、掲げられた怪物の首アルゴルの名で呼ばれている。

「つまり俺たちは聖蹟桜ヶ丘からバスに乗ってアルゴル星系を訪れていると?」
「ここには惑星パルマとモタビアとデゾリスがあってだな」
(それだと黒幕が地球人になっちゃう)

 還らざる時の終わりに大空翔と海野百舌鳥子が交わしている会話にゴルゴンゾーラも参加している。かつてテラムと呼ばれていたこの世界を炎で包んでいたアルゴルが七つの封印によって七つの海に覆われた経緯は定かではないが、巨大なエネルギーを遥か海底に封じ込めた新しい世界はテリメインという海洋世界として新しい文明を人々にもたらした。
 太陽の海サンセットオーシャンでは海底の太陽と見まごう熱と光があまりにも強く、エネルギーを吸収するアルシエルを据え付けることで無尽蔵にあふれる力をどうにかして制御しようとした。封印の力は海域によって異なるから、セルリアンのように穏やかな環境に多くの居住区を設けられた海域もあれば、シルバームーンのようにあまりにも封印が強く寒冷すぎて使い物にならなかった例もある。テリメインの新しい文明が遺跡として残される以前、遥か昔の話である。

「発電所みたいなモンだとすれば、それこそこの辺じゃ何もできなかったんだろうな」

 見渡す限り深淵の闇が広がるディーププラネットに視線を巡らせる。異様な水圧と水質のせいで、自分たちが水の中にいることすら忘れてしまいそうになる海域には文明の痕跡すら残されてはいない。
 テリメインの七つの海にある封印とは、この巨大な熱と光を利用するためにそれぞれの海域に設けられた施設と設備を指している。それはこの世界におけるロストテクノロジーであり探索者協会はそれを掘り起こして手に入れることを望んでいた。すでに「貪欲」やら「暴食」など遺失技術を応用したスキルストーンの実用性が一部の探索者には普及して、別に名前の割に罪深い技術というわけでもなくその有用性も実証されている。問題は他を出し抜いてでも遺失技術を求めようとした協会にはなかったし、そのために封印を解放したことにもなかった。封印そのものに近づいたことによって、この巨大な熱とエネルギーのかたまりの中に生息する魔王アルゴル、れっきとした生物の存在が確認されたことである。

「それにしてもこれどーすんだよ」
「問題ない!ウルトラマン無しで怪獣に挑むようなもんだー」

 それは大いに問題があるような気もするが、それでげんなりする事実が変えられるわけでもない。もくずの潜水具から海中に投映されている映像にはまだ不鮮明な姿しか映されていなかったが、印象をそのまま語れば海底の亀裂から覗いている真っ赤な溶岩のかたまりから、炎をまとった巨大な蛇のようなものが海面近くまで伸び上っている。周辺に設営されていた協会の施設や重機は飴細工のように溶けるか砕かれていて、ディーププラネットの異様な海流は沸騰して煮立ちながら深淵の海に荒れ狂う流れを巻き起こして絶望的な光景を描いていた。

「多摩川にダムを建ててたら蒲田くんが出たと思えばいいぞー」
「まあたとえはともかくそんなもんか」

 地殻の亀裂周辺に据えられていた遺失技術を発掘していたらマントル層を回遊していた巨大生物が出現した。海底から海面まで届きそうな炎の蛇は静謐なディーププラネットを灼熱のサンセットオーシャンのような姿に変えていたが、それは不定期に投げ出されていただけのエネルギーではなくれっきとした生物である。これがおとぎ話なら過ぎた科学力に対して自然がお怒りになられた展開そのままにも見えるし、災害パニック映画であれば訪れたリゾート地で火山が噴火しましたという場面にも見えるがいずれにせよ逃げるという選択肢は今回ありそうにない。

(いや別に逃げるのもありだよ?)

 無言でたしなめるゾーラの意見が一番常識的に聞こえる。災害を目の前にして真っ向から立ち向かうのは正しい人間の姿ではなく、ひたすら逃げて災害が去ってから復旧させて未来に備えるのが文明というものである。水かきのついた長い指を立てているゾーラはそれでもお子たちが協会の魔王討伐戦に参加するつもりでいることも理解はしていたから、あまり危ないことはしないようにねと釘を刺すだけにしたが必ずしも賛成しているわけではない。とはいえ友人知り合いが危ない場所に赴くのをそのままにはしておけない、彼らは蒲田くんから逃げまわるまっとうな市民よりも対策本部の人たちに近い存在なのだ。

「魔王退治の勇者にはなれなくても、やれることはやったほうがいいですものね」
「おー、ふぃーな元気だったかー」
(ひさし、ぶり)

 友人知り合いが危ない場所に赴くのをそのままにはしておけない。多くの探索者たちが同じことを考えているようで、海中を飛ぶように泳ぎながら近づいてきたフィオナ・ターナーがもくずたちに声をかけてくる。ディーププラネットでは泳ぎ出してから一度勢いがつくとそのまま流されていくのだが、もくずのように海中であぐらをかきながら流されているのではなく生真面目に泳ぎながら広すぎる視界に注意を怠らずにいるのがいかにも彼女らしい。
 フィオナたちも三人のチームで潜ると白衣に魚マスクを着たギョタロウに協会管理生物第502号ウーヴォーの巨体も見えて同じ目的地に向かっている。人間ふたりに大きな生き物の構成はお子たちとゾーラの三人組と似ているがたぶん真面目さとかは比べるべくもないし、そもそもフィオナは仲間にコロッケパンを買ってこいとか焼きそばパンを買ってこいとか要求したりはしないだろう。

「大空さん!海ことりはお元気ですかー」
「ああ、そういえばいま何羽いるんだろ」

 フィオナの質問に、かけるが泳ぎながらあごに手を当てると彼のタコデバイスが器用に姿勢制御を助けている。このディーププラネットでも会場には彼らの拠点となるゲル船を置いているが、海ことりたちの渡りの拠点にもなっているのか、探索に出たり戻るあいだに増えたり減ったりしていることがめずらしくない。少なくとも一羽は律儀にもくずのヘルメットの中にいるはずで、いったい何の役に立つのかといえば酸素が少なくなるとぴいぴい鳴いてくれる古いのか新しいのかよくわからない仕事をしてくれているらしい。
 見渡す限り深淵の虚空が広がっている海で、勢いのまま流されるように進みながら水質が少しだけ変わってきたように思えて周囲に注意を向ける。魔王が現れて上昇した水温と生まれた海流がわずかに感知できる距離にまで近づいているらしい。それぞれの距離は離れているが、周囲には討伐戦に集まろうとしている小さな光の点が数十ほども見えていて、そのほとんどが仲間だと思えば心強かった。

「おっすおっすー。たぎる若い情熱は元気してるかねー」
「弁天ちゃんっちー!やってるかー」
「えーとそのコンニチハ」

 同じように女性からお元気ですかと聞かれているのにどうしてこれだけ違うんだろうかとかけるは考えなくもない。常の彼女らしく年頃の男子にはちょっぴり毒な恰好をした弁天ちゃんは、常の彼女らしく皆に従いながらあとは任せたという態度を隠そうともしていないがいざとなれば漁師力学の専門家としての腕前とか年頃の男子をアレする腕前には間違いがない。
 探索者の間で流れている情報では、もともとアルゴルを封印するために置かれていた装備がそれぞれの海域では発見されているらしく、これをうまく起動させれば討伐の役に立つのではないか、あるいはそれを奪ったり妨害する輩も現れるのではないかと言われていて混乱も予想されていたのだが、海域を流れている光の点は一様に集まる動きを見せていて何の異常も混乱も見られない。噂ではせっかく発見された「装備」を放置したり手放した探索者もいるらしく、フィオナの言葉ではないが魔王退治の勇者になるよりも手に馴染んだ装備のほうが力を発揮できるということかもしれなかった。

「だって伝説の武器とか持って海賊に狙われるほうが魔王より怖いもんねー」
「正直は美徳だぞ弁天ちゃんっちー」

 冗談めかしている弁天ちゃんの言葉も半ば以上は本音に違いなく、正体が分からない魔王よりも確実に強い海賊のほうが恐ろしいのは探索者の間では共通の認識である。発掘された遺失技術を使いこなしている者は誰よりも協会の探索者たちであり、恐ろしい海賊たちを恐ろしい賞金稼ぎが止めてくれている間に、他の探索者たちは魔王討伐に赴くことになるのだ。深淵の虚空を切る星の群れは一つまた一つと数を増していて、彼らが記憶している限りこれだけ多くの探索者が同じ海域に集まった例は思い浮かばなかった。光点の一つが軌道を変えるとこちらに近づいてきて、水陸両用機動戦士めいた機体に引かれている小柄な娘の姿が目に入る。

「もくずさんお久(略)ですかー」
「その様子では基板の動作も順調なようだ」
「シアっちエチゼンっち来ると思ってたぞー!パワー・マキシマイズの出力上げたいからデータくれー」

 水中を直線的に進んでいるマシナリーシルエットことMSエチゼンが機体を並走させるのを待って、潜水具に掴まりながらあぐらをかいていたもくずはちょうどいいとばかりにいつものRS232Cケーブルを伸ばす。発掘された遺失技術というならいまどき彼らが使っている規格も充分遺失技術に当たるかもしれない。

「魔王戦の戦術はもう組んだのかー?」
「情報がない。守備を固めながら通常モードで行くしかないな」

 そろそろ視界の遠くが赤く見えるようになると、海底から海面までを貫く火の柱のようなものが彼らが挑む相手なのだと思わせて身震いさせられる。まずは返り討ちに会うだろう前提で少しでも安全策を取りながらデータを収集する、少しでも交戦を長引かせて相手の手の内を晒させるつもりで装備や作戦を組む。エチゼンにはそれだけの性能があるだろうが、もくずの潜水具はその域には達していないからシステムを同期させて少しでも守りを固められるようにクロックを調整する必要があった。
 魔王を相手にして彼らは件のタイムシェアリングシステムを用いて集団が入れ替わりながらほぼ同時に挑む方法をとることになるが、綱引きと同じで皆が同時に攻撃して皆が同時に守れば効果が増す道理である。エチゼンらが攻撃を弾いた瞬間にもくずたちも防護機能を発動できれば互いに損害を軽減できる可能性は高くなる。大きな龍や雷だけではなく、クマや鹿やウサギやネズミまでも集まって一つにまとまれば山を崩して湖のあとに畑を拓くこともできるはずなのだ。

「そんな昔話があったねー」
「貴ドラっちー!以下略だー!」
「あはは、変わった挨拶だねー」

 のっそりと巨体を現した貴ドラはれっきとした竜族の一員だが、恰幅にふさわしく穏やかで鷹揚な性格をして多少の困難では揺らぐ素振りすら見せることがない。もくずがたびたび顔を出している「生命壁」の集まりでの知り合いだがまさしく巨体を壁にしてこれまでいくつもの戦いで仲間を助けていた者である。どうやらそうそうたるメンバーが集まっているらしく、その中でもくずがいつもの傍若無人な態度でいるのは大したものなのかもしれないが、大人たちの中でお子たちが傍若無人でいても鷹揚に見逃してもらえているだけかもしれなかった。

「なんか気が引けるな」
「なにをゆー。ウチだってゾーラとおおぞらかけるを頼りにしているぞー」
「そーなのか?」

 頼りにしているなどと言われて思わず戸惑ってしまうが、もくずはいつもの調子のままでかけるをおだてている素振りもない。こいつが嘘をつく性格にも思えないから正直な感想を言ってくれているのだと信じることにするが、昔話だったら遺失技術や魔法よりもよほど役に立つものがあって、それが彼らの視界の端々に集まっている星の一つ一つが力を合わせること、確かにそれこそが強い力になるのではないかと思うのだ。
 海の底から伸び上がると弧を描いている何本もの火の柱、彼らの目的は災厄のただ中に飛び込んでいって仲間と友人を少しでも助けることである。

(みんな怪我しないようにね)


19日目


Icon 見ている。
Icon 仲間に視線を向け、ゆっくりと身体を浮き上がらせる。
Icon 何かの合図のように鐘を指でピンと弾く。
Icon 前でもなく後ろでもなく横に並び進むように促す。

Icon 「そんなわけで魔王討伐に成功してしまったらしい」
Icon 「だが会長代理のシュトレンとかいうのが襲ってきた!」
Icon 「シュトルムだっけ?」
Icon 「シュタインだったかも」
Icon 「ショコラはちがうと思う」
Icon 「ショゴスか!ショゴスだな!」
Icon (てけり・り・てけり・り)
Icon 「おいおおぞらかけ

Icon 「(例の顔で)ヤダーーーーッ!!!」
Icon 「…ってかな?お前その世界観を壊す発言をほんとうに大概にしやがれというかクトゥるフはもういっぱいいっぱいだっての!」
Icon (何が流行るかわかんないもんだねーのジェスチャー)
Icon 「それはそうと、なんというか案の定厄介な黒幕が出てきたなー。
ま、予測はついてたけど、予想外があったとしたら探索者のほうも連中の想像以上にしっかり強くなってたってとこだろうな」
Icon 「ま、いいようにやられっぱなしってのも面白くないしな。
こうなったらとことん付き合ってやろうじゃねえか!」

 海底を割ってはるか頭上に伸び上る炎の柱が虚空のディーププラネットを煮立てると、異様な水流が荒れ狂ってこの災害にも等しい存在を討伐するために集まっていた面々を翻弄する。統率があるわけではない、探索者たちの集まりはさしたる作戦もなく挑みかかるとそれぞれが身を以てこれに対することによって少しでも「魔王」に多くの手札を開かせることを目論んでいたが、予想を超えていたのは魔王の強さと彼ら探索者自身が積み重ねた強さの双方であった。

「みなのもの被害を報告せよー」
「見ればわかるだろ。なんとか[いのちだいじに]戦えたのは幸いかな?」
(がんばったね)

 海野百舌鳥子の髪が鳥の巣あたまをしているのは豪快に火あぶりにされてススだらけで口から煙を吐きながら「だめだこりゃ」という目にあったためではなくもともと彼女の髪が鳥の巣あたまだからだし、大空翔もゴルゴンゾーラもどうやら焼きダコや焼きヘビにされずにすんでいる。
 探索者協会謹製、タイムシェアリングシステムを駆使して可能な限り守りを固めつつ一撃して離脱、これを大勢で繰り返すのが彼らの戦法だが、まず魔王に近づいただけでとんでもない火と熱にさらされて秒単位の時間すら保たせるのは至難である。大空翔がタコデバイスに差し込んでいる基板もゴルゴンゾーラが身に着けている宝石も警告する光を激しく明滅させて処理能力が及ぶ限りのスピードで高熱を中和すると、タイムシェアリングが切れるまでの数瞬のあいだ自分たちの身を守ることができる。スキルストーンが危険を認識するとそれ以上の再突入を認めてくれずに攻撃は断念される、つまり負けて逃げ出したことになるというわけだ。

「今回はおおぞらかけるが頑張ったのでヨシとしてやるー」
「もずことゾーラが防御を組んでくれたからだろ。俺一人じゃムリだぞあれは」
「つまり次はおおぞらかける一人で」
「やめて」

 状況はいささか奇妙だった。彼ら自身は三人で守りを固めると荒れ狂う火をかけるが耐えることができて、けっこうな量の渦弾を魔王に撃ちこむことができたのである。もくずとゾーラが倒れて長期戦に持ち込むことこそできなかったが、同じように反撃を試みることができた探索者もいてついには魔王アルゴルが全身から噴き上げる火を消し止めることができた、つまり探索者たちが魔王を倒してしまったのだ。
 数十人が一体をふくろだたきにするレイドバトルのシステムは相手に気の毒なんじゃないかと思える一方、いざとんでもない脅威に対峙して知り合いや友人が安全圏に放り出された姿を見るとこれが探索者を守るためのシステムだったことに気付かされる。これがなければ災害そのもののような存在を相手にして洒落でも冗談でもすまない犠牲が出ていたろうし、それで力を合わせる数が減っていれば魔王討伐に成功したかは疑わしい。探索者協会さまさまだ、といいたいところだが事態はそうも言っていられない具合に変わっていた。

 もくずの潜水具から投影されている記録映像は鮮明にはほど遠いものだったが、タイムシェアリングに参加していた探索者の中にぼろぼろの黒衣に身を包んだ怪しげな銀髪蒼目の男が映っていた。奇妙な格好をした探索者など珍しくもないから誰も気にしていなかったし、数千人も登録されいる全員の顔を覚えている者などほとんどいないからそれが誰なのかも知らなかった。だが皆が次々と安全圏に退散させられて、それでも打倒された魔王の残骸、火の消えた巨大なヘビ型の遺物に向かってごく自然に近寄った男はそれが何であるかを知っているように背中の肌面に触れると触れた箇所が明滅する。次の瞬間、開いた背から乗り組むように男の姿が消えて、聞き覚えのある声が海域に響き渡った。

『よくやってくれた!もう少し手こずると思っていたのだが、探索者の力は予想以上だったらしい。それよりも初めまして。自己紹介がまだだったが俺は海底探索者協会会長代理、そして魔王シュテルン。好きな食べ物はシーアップルパイだ!』

 スキルストーンを通じたその通信はまぎれもなく先だって魔王出現を告げた声と同じもので、同時に全身から火を噴き上げる巨大なヘビが息を吹き返す。それまでこの星の力そのものであったアルゴルはただの災害に過ぎなかった、だがこれを人為的に操作する方法が存在する。その力を秘めたスキルストーンにはサンセットオーシャン、アトランド、レッドバロンといった七つの海そのものの名前が与えられていて、それが彼、魔王シュテルンの手に握られていた。



「ふざけた話だなあ」
「うむ!マyaクドナルドのシーアップルパイは揚げパンであってパイとは呼べないからな」
「いやそうじゃなくて、つーかそんな感じで莫迦にされてるんだろうな。俺たち」
(マyaクドナルドの表記はよくないよ?)

 七つの海を封印した技術は探索者によって発掘されると、協会はそれらの遺失技術を次々にスキルストーンにして小型化実用化することに取り組み続けていた。彼らが最初からそのつもりでいたのかどうかは分からないが、それが地殻の底にある巨大なエネルギーを制御できる技術であることに気がついた者がいて、それを使えば星の力そのものが自由に使えると考えた。星から無尽蔵の力を得てそれを身にまとい自在に撃ち出すこともできる、世界を縦に貫くあの巨大なヘビを災害ではなく人為的な事象として操ることができる。例えるなら発電所と潜水艦と爆弾をいっぺんに手に入れるようなものだ。
 探索者協会の中におかしな動きをする者がいる、彼の存在に気が付いた者はいたが周到な彼は自分に調査の手が及びそうになると追跡者を賞金首として手配してしまい時間を稼ごうとする。そう長い間のことではない、理不尽な仕打ちに探索者たちが動き出すまでのわずかな時間で彼の目的は達成できるはずだった。彼は明白な罪はなにひとつ犯してはいなかったから逃げ切るのはそう難しくはなかったし、彼自身が用意した組織と権限を利用して協会に集積された封印の技術を揃えると魔王戦に赴き、皆が討伐に成功したところで他の封印と同じく「協会が遺失技術を回収してみせた」だけである。彼の存在も彼が持ち出した遺失技術も別に非公開にされてはいなかった。

「てーよく利用されたって感じだねー。ウチらの流儀でいうなら義理は欠いてるよねー」

 弁天ちゃんの言葉がほとんどの探索者の意見を代弁しているように聞こえる。海賊と賞金稼ぎを含めて競い合いをしていたリングの上で、それまで姿も見せなかった団体のオーナーが唐突に入場してくると天井からぶら下がっているチャンピオンベルトをさらって私が王者だと宣言されたようなものだ。それではオーディエンスもスーパースターズも納得するものではない。

「それに魔王さんきっとあのままでいませんよね。公開された遺失技術で魔王が制御できるならそれを知っている人たちが邪魔に思えてきそうですし」

 フィオナ・ターナーが心配するように、魔王を手に入れたシュテルンがその巨大なおもちゃを建設的な方向に利用してくれるとはとても思えなかった。探索者を相手に大立ち回りを演じた直後であり、無傷ではないがすでに火を噴く巨大なヘビは動き出していて、たった今かかされた恥を雪ごうとしている。彼にそのつもりがあれば最初から探索者たちを出し抜こうなどと考えるはずがなく、せっかく手に入れた魔王が討伐されることを恐れるからこそ彼は自ら魔王シュテルンを名乗るのだ。

「つまりあれか。りゅうおうがしょうたいをあらわしたりわがはかいのかみシドーがぐふってやつか」
「最終ラウンドだってやつですね!」

 シュテルンは魔王と融合したかのように火のヘビの中にいてその力を自在に振るうことができる。無秩序に暴れまわる力が人為的に制御されるだけ厄介だが、裏を返せば相手が人間であれば動きを読むことができる可能性もある。いわば「この世界を相手にしたPK戦」であり同じことを考えて意気上げている者は海賊や賞金稼ぎを生業にしている者に多かった。たったいま対峙した相手であり手に入れた情報はゼロではない、フィオナの言葉ではないが次のラウンドがあるなら撤退させられた者にとってはリベンジのつもりでもう一度挑むことができる。
 探索者たちに配られているタイムシェアリングシステムへのアクセス装置が起動されると、各々が武器を握り直したり装備に不具合がないことを確かめていたが、彼自身もタコデバイスの起動を確認していたかけるは奇妙な顔をしている幼馴染の様子に気が付いた。

「ん?どーしたもずこ」
「気に入らないー」

 何がと聞かれるまでもなくもくずは口を開く。

「探索者の名簿にシュテルンなんてやつはいない!名簿にもいない奴が討伐された魔王の上前をはねるのがズルっぽいしそもそも倒した魔王の力をを使うなら倒した探索者が使うのがスジというものだろー!」
「お前探索者名簿の全員覚えてんのか」

 もくずが主張しているのはもう一度魔王に挑む大義名分のことである。一度は打倒できたとはいえほとんどの探索者が蹴散らされたのは事実であり、次も無事でいられるとは限らないのだから。探索者名簿に登録もされていないシュテルンが協会の技術を利用しているというのであればもくずが手にしている「海底探索初心者がんばろうマニュアル」に書かれているルールに違反する、悪いやつにはスマックダウンというのが彼らの流儀である。

「あはは。じゃあその方向で行きましょうか、目的は無断利用者をこらしめろ!で」
「しごくの?しごいていいの?」
「それをいうならしばくだぞ弁天ちゃんっちー!」


20日目


Icon 泳ぎながらぐるりぐるりと回っている。
Icon 脱ぎ捨てるように傷を負った表皮が後方に剥がれ落ちている。
Icon 全身にボンヤリと光を纏っている。

Icon 「魔王討伐第一次攻撃は失敗に終わった」
Icon 「だが第二次攻撃の準備はすでに万全である!」
Icon 「ヘルメット点検ー」
Icon 「マスク装着ぅー」
Icon 「角材構えぇー」
Icon 「火炎瓶投げぇー」
Icon 「それからえーとえーと」
Icon 「おいおおぞらかける、ここに書いてある(自主規制)ってなんのことだ!?」

Icon 「こっちが聞きたいよ!!>自主規制」
Icon 「…まあなあ、正直シャレにならないよな。
たいていの場合魔王なんて呼び名、後から適当に付けられたりするもんだけど、」
Icon 「実際のところは誰が都合よく利用するかだけでしかないなら、
俺たちも居合わせちまった以上、何もしない訳にもいかないんだよな」
Icon 「でもなあもずこ、正直お前の作戦、ほんとうに大丈夫か?
なんだって最後の最後で単なる正面突破しようなんて考えついたんだよ。そりゃあ確かにデバイス設置しときたいって言ったのは俺だけど…」
Icon (それ以上はよくない、のジェスチャー)
Icon 「ちょっと待て?!実働部隊の俺相当割り食ってないか!?この場合!?」

 飛び交う轟音に鼓膜どころか全身を激しく揺らされる。そこが海中であることを忘れそうになるディーププラネットの深淵の中で、はるか海底深くにある暗がりから漏れ出している赤黒い熱と光が見えて、そこに地殻の裂け目と膨大なエネルギーがあることが認識できる。魔王はその熱と光を吸い上げて制御する機構を持つ、巨大な蛇のような姿をした古代遺物であり、先ほどまでは魔王アルゴルと呼ばれていたが、今は搭乗者の名前である魔王シュテルンと称していた。

「我が力となりなさい」

 探索者協会の副会長の地位にあった彼が探索者を出し抜いてまで手に入れた古代の遺失技術は、強引に例えるならかつてこの世界で利用されていた発電所と潜水艦と兵器を兼ねたように思える存在であり、地殻の底に流れているこの世界そのものの力を動力にすると半永久的に動き続けることができる。子供向けの物語に登場する「かつて世界を滅ぼした超古代技術」をそのまま具象化したような存在だが、違いがあるとすれば魔王アルゴルはかつて世界を制御するために用いられていたが、今目の前にいる魔王の用途は操作するシュテルン個人の意思に委ねられていてそれが探索者たちに牙を向けている。
 探索者はこの冗談のような存在を相手にして、彼らの最大の武器、分割した時間に侵入した大勢が同時に戦闘行動を実行するタイムシェアリングシステムを駆使して対抗することを試みていた。数十の個人や小隊が相手に秒単位の休息する暇すらも与えずに突入して波状攻撃を敢行するが、魔王は平然としてこれに正面から対峙すると真っ向勝負を受けて立つ。別に正々堂々としているというわけではなく、蟷螂の斧が巨象を傷つけるなどとは考えてもいないのだ。

「よおし、突撃いくぞお!」
「Ena dynato chtypima!」

 大空翔が彼のタコデバイスに担がせている大型ランチャーの砲身を魔王に向けると同時に、ゴルゴンゾーラがしなやかに伸ばした腕に握られている魔鐘から音のない衝撃が放たれる。周囲を凍てつかせながら、海中を貫いて伸びる直線的な渦が三本、四本、五本と次々に現れると魔王の硬質な皮膚に突き立てられて、爆発めいた衝撃を炸裂させて無数の泡を発生させる。大型掘削機にも匹敵する一撃の筈だが、岩をも砕く一撃をどれほど食らわせたところで山を崩すことはできぬとでもいった風情で魔王はこゆるぎもせずに悠然とした姿を晒していた。岩盤めいた皮膚の継ぎ目にある無数の砲口に熱源の存在が確認されると、細く引き絞られたエネルギーの矢が魔王の全身から解き放たれて探索者たちに襲い掛かる。

「ひゃっはー、蚊に刺されたほどもきかねー」

 海野百舌鳥子が潜水具の陰に身を隠しながら大口をたたいているが、かけるの目にはもくずの大言壮語がいつもの意味のない迫力に欠けているように見えた。探索者たちに襲い掛かる無数の矢があまりにも正確に放たれていてそのわりに威力が弱い、これの意味するところは明白で、つまりこれでロックオンした標的に対して次は遠慮のない攻撃を行うつもりでいる。時間を稼ぐことができれば次々と強化スキルを重ねて状況を長期戦に、消耗戦に、泥沼に持ち込むことができる。だが相手にはそれを許すつもりがない。もくずの潜水具から衝撃を中和する力場が張られて平安時代の1ダース・ペチコートのように重ねられていくが、魔王が地底から吸い上げたエネルギーを剣に代えて解き放つと明らかに危険値を超えている衝撃がお子たちに迫ってくる。

「なんか明らかにヤバそーだぞ!?」
「ひけー!」

 お子たちの視界が戦艦アンドロメダの拡散波動砲のような無数の光に占領されて、それで視界が切り替わると戦闘水域の外に放り出されてしまう。数瞬の時差を伴って、一緒に転送された衝撃が二人と一匹に襲いかかるが効果は続かずにお子たちの周囲をぴよぴよとことりが飛び回るとすぐに正気を取り戻すことができた。
 視線の向こうでは今も巨大な蛇のようなシルエットを相手にして、米粒のような姿が火や熱を閃かせている姿が見えている。タイムシェアリングシステムには一種の安全装置が設けられていて、受けた損害が一定値を超えると分割された時間に参加することができなくなってしまう仕組みになっていた。しばらくは外から友人たちの戦いを指をくわえてみているしかなく、もくずは不服そうに再戦を主張する。

「もっかいだー!もっかい挑戦するぞー!」
「いーけどよ。なんか作戦とかないのかよ?」
「もちろん前進、力戦、敢闘、奮励がうちの座右の銘だー」

 どこぞの黒色槍騎兵艦隊指揮官のようなことを口にされてかけるはこめかみのあたりを指で押さえるが、実際に彼らにはそれほど多くの選択肢があるわけでもない。ここまで探索を続けていた中で、大型化強力化する遺跡の防衛システムを相手にしながら、お子たちは地道に装備を強化して作戦や連携を磨いて障害を乗り越えていたが、いわゆる第一線で戦う「エース」たちに比べれば埋まらない実力差というものは歴然と存在した。彼らが魔王の頑丈すぎる面の皮を一枚でもひっぺがえすつもりなら、奇をてらった方法などというものはなく一番得意な方法をもう一回試すしかないだろう。
 お子たちが遠望している向こうで、戦いはまだ続いている。ディーププラネットの深淵から吸い上げられた膨大なエネルギーが魔王に取り込まれていく様子が遠目からでもはっきりと見えて、潜水具のモニタに表示されているいくつかのセンサーもあり得ない数値をはじき出している。魔王アルゴルはただ膨大なエネルギーを周囲にまき散らす炎の蛇めいて見えていたが、シュテルンが操る魔王は炎の針を全身にまとう針山めいて見える。だが針の一本は棍棒よりも太くライフルよりも正確で、探索者たちに突き立てられるともくずたちと同様に蹴散らされた探索者が一人また一人と水域から強制離脱されられていくが、それでも踏みとどまっている者はいて、信じがたいことに魔王シュテルンを相手にして正面から殴られ続けながら微動だにせず立ち尽くしている姿がある。

「うおー、貴ドラっちすげー!」
「なんかもう別の世界のできごとに見えるな」

 探索者たちが次々と離脱していく中で、放たれる熱と光を蛇腹で受けている貴ドラの背が逆光で影になって見える。彼を除く全員が離脱しても、巨体のドラゴンは自己犠牲でもなんでもなく一匹で危険水域に立ち続けると全員を守りながら悠然として魔王が解き放つ熱と光の前に立ち続けてタイムシェアリングシステムを継続させていた。魔王が常軌を逸した力を見せて探索者が蹴散らされていたとしても、蟷螂の斧は決して魔王を傷つけていないわけではなく少なくない損害を与えていたから、このまま戦闘が継続できればもう一度全員が戦闘水域に突入することで打倒できるかもしれない。熱と光に腹を晒し、友人たちに背を向けていた貴ドラがゆっくりと振り向くと通信システムを介して呼びかける。すでに再突入の準備を終えている者たちは解き放たれるのを待ちきれない闘犬の面持ちで高揚した視線を魔王とドラゴンの双方に向けていた。

「これでもう一度挑戦できるねー。みんな期待してるよー」
「まだまだ行ける!ボクの太陽は沈んでいないー!」
「当ぅー然!もう一遍でももう百遍でも退くつもりはねーぞ、おめーらも準備はいーな」

 貴ドラの呼びかけに応じて、コッコ・サニーライトやサフィル・ド・シャニイの声が通信回路に響く。生命壁を自認する者、自ら標的になって仲間を守ることを望む者たちの集まりであり、勇敢というよりは怖いものなしの言動にも見えるが彼女たちの唇から弱音が漏れることはなかった。彼女たちに遠く及ばずとも、もくずも生命壁の一員として参加していたから「おめーら」の中にはもくずも入っているし、根拠のない大言壮語が仲間を鼓舞するためのものであることも分かる。お子たち二人、それを心配するゾーラもシステムへの接続ができるようになったことを確認すると水域へと突入して、探索者の姿が再び集うともくずの威勢のいい言葉が響く。

「待たせたなー!延長戦突入ってやつだー」
「お、来たな。そっちのアタッカーにも期待してるぜ」
「あ、どーも」

 すでに魔王を視認できる距離に近づいていて、前方に横たわっている水域には衝撃を伴う熱流が渦巻いて周囲の水温を上げている。相応の装備がなければ足を踏み入れるだけでただでは済みそうにない状況だが、もくずたちが張っていた力場はまだ効いていて多少の高熱も冷気も衝撃も水分子の運動そのものが和らげてくれていた。生命壁のメンバーが一人一人、貴ドラを支えるように最前線に広がると、壁になっている後ろからアタッカーたちが間隙をついて攻撃を撃ち込み続ける。戦法としては単純だが確実に魔王の分厚い皮膚を削る効果は挙げていて、あとは双方の耐久力の勝負だから、振るサイコロが一つでも増えれば確実に仲間を楽にすることができた。

(けがしそうになったら、下がってね)
(いつも通り、支えるのみ、だが、無理はしないことだ)

 お子たちを後ろから守るように控えながらゾーラが魔鐘を構えると、ひときわ目立つ巨大な氷のかたまりが押し流されるように傍らを通り過ぎて最前線に合流する。それ自体が意思を持つ探索者として登録されている氷山はこの熱流の中で急速に氷を溶かされながら、融解するときに奪われる熱を利用して再凝固すると巨大な氷壁の姿を保ち、熱と光に拮抗する氷が仲間たちを守る壁になる。人ならぬ姿、シーサーペントも氷山もごく当たり前に仲間としてコミュニケーションができるのはスキルストーンだけの力ではない。
 もくずたちが再び防護壁を重ねて、荒れ狂う熱と光の影響を抑え込もうとしている間、かけるは魚よりも器用に泳ぎながら生命壁の隙間を縫って魔王を狙撃できる場所を探そうと動き回る。しぜん、これだけ大規模な組織戦ともなれば役割の近い者が交互に補い入れ替わりながら戦線を維持することになるから、意識せずとも知己の姿を見出すことになる。

「あ、大空さん見つけましたー」
「あ。ドーモ」

 かけるのことをいわしとかなまことかおいおおぞらかけるとか呼ばずに、礼儀正しく大空さんと呼んでくれる知人は一人しかいない。魚よりもなめらかに泳いでいるフィオナ・ターナーがかけるの傍らに滑り込むように現れると、勝手知ったるとばかり距離を譲り合って彼らの目の前を守る壁とその向こうにある水流の流れを確認した。入れ替わるように交互に突入して、矢継ぎ早に攻撃を行うことを無言で認識し合う。大勢の中の一人ではなく、一人一人が集まって大勢になっていることを知ることはなんと頼もしいことであるか。気がつかないうちにかけるが高揚した顔を見せていると、フィオナはそれに気がついたのか細い拳を握ってみせた。

「一度は負けましたが!もっかいしばきに行きましょう、今度こそ倒せますよ!」

 根拠のない放言ではなく、堂々と断言してみせる姿が凛々しく見える。本当は彼女よりもかけるのほうがこんなふうに振る舞って悠然と仲間を鼓舞したり支えたりできればいいのだろうかと思わなくもないのだが、それはそれで自分らしくないように思えたからとりあえずタコデバイスといっしょにみんなの役に立てればいいと思う。これといった特長がないように見えてこれといった弱点もないからどこにいても誰がいても足を引っ張らずには済むだろう、というのが彼の存在価値のはずだ。

「おいおおぞらかける!遠慮することはない、お前はぞんぶんに強いぞー!」
「え?あ、そうだっけ?」
「ぷ!?あははははは!」

 意外な言葉が聞こえてきて、思わずかけるが頓狂な返事をしてしまうとフィオナがこらえきれずに腹を抱えて笑い出してしまった。潜水具と格闘しているもくずは防護壁を展開するのに忙しく、こちらに目を向けようともしていない。空耳や気のせいだとは思えないが、聞き返すのも野暮だからかけるはやっぱり自分にできることに専念すると、タコデバイスに担がせた大型ランチャーを構え直して砲口を視線の先に向ける。こいつともずいぶん長い付き合いになってきたな、と思ったのは友人にではなくタコデバイスに対してで、それはちょっと朴念仁というやつかもしれないが気にしてもはじまるものではない。
 防護壁の隙間を縫って、熱流が渦巻いている水域を潜り抜けて攻撃を撃ち込まなければいけないのだから、タコデバイスに任せるわけにはいかずかけるが自分で泳いで自分で狙撃するしかない。仲間や友人に助けられていることは理解していても「お前はぞんぶんに強いぞ」などと言われれば気分の悪いものではなかった。

「えーと、強いらしいから、頼むぞタコ!」
(がんばろーね)

 八本の脚が砲身だけではなくかけるの細っこい手足や体を支えると、かけるもタコが助けてくれることを心得た動きで水中を自在に動き回る。周りには見知った仲間の姿があって、視界の隅にはもくずの潜水具と後姿が見えていて、もう一つかけるが言おうとして野暮だからやめたことがある。彼らがやたらと嬉しそうに見えることに、みんなどーしたんだ?といえばこんな状況なら嬉しいに決まっているからだ。きっとかけるも嬉しそうな顔をしているに違いないからだ。


最終回


Icon いつも買い物に引っ張っていた木箱の中には食料が少し入っているようだ。
Icon 大旅の取引で使っていたコインの残りを二人に分けて差し出すと、
そこに水着に引っかけていた古い金貨を一枚ずつ乗せる。
Icon 長い首をゆらゆらと横に振る。
Icon くるりと身を翻し水の中へと潜る。
Icon 頭だけを出し、二人をじっと見ている。

Icon 「とどろくー雲はどとぅのー海に、ガンバとーなかまをころがした」
Icon 「これがーほらはじまーりだ、なにがあるーなにかある」
Icon 「なかまのぉむねは、高ぁーなった、ひかりはーそーこにーぃー」
Icon 「かもめはぁー歌ーぅ、かんきのー歌ーを」
Icon 「かじさきにあさひはかがやくぅー」
Icon 「そぉして、ゆうひはー、おまえとーなかまのー、しょうりをーいわうー」
Icon 「ありがとーございましたー!」

Icon 「…おまえなあ、こういう時すらそんなノリなのかよ…(頭を抱える)」
Icon (沈黙中。でも若干困ったようにオロオロしている)
Icon 「…まあ、再三言ってるけど明らかに最後くらいは『そっち』の歌にすべきだよなってのは正直俺も思うんだけどよ…ってそうじゃねえ」
Icon (こくこくと頷いているように見える)
Icon 「…気をとりなおして。と。なんというか、魔王ってのもなんとかできたし、調査って意味では海域の深奥部までたどり着いたわけだし。取り敢えずガンバった甲斐はあったよな」
Icon 「正直なんというか…成り行き任せにひたすら三人で必死で潜ってたって感じだったけど、なんだかんだですげえ楽しかったし、いい経験になったよ」
Icon 「特になんかその…3人だけで潜ってるつもりが、気がついたら他の皆で同じ場所にたどり着いてたってやつがさ。
なんて言ったらいいかわからないけど、すごく大事なことを学べたような気がするんだ」
Icon 「…こういうのって、なんか、すげえ、いいもんだなってさ。
妙な話だけど、すごく懐かしいものを思い出せたような気がするんだよ」
Icon (思わしげにタコ足を揺らす)
Icon 「…ここももうじき出てかなきゃなんないから、今のうちに言っておくけどさ。
もずこ、ゾーラ、本当にありがとうな。(そう言って深々と頭をさげる)」
Icon 「道が分かれても、目指す場所が同じなら、また巡り会うこともあるだろ。
その時はまた、一緒に旅しようぜ。すこしだけ成長した俺を見せてやるから、さ」
Icon 「…さあってと、じゃ、帰る前にひとつそのへん見て回ってくるかな!」

 質感のないディーププラネットの海域を横切るように展開されている防護壁の後ろで、海野百舌鳥子が「暴力」と呼ぶ力場を更に重ねると大空翔が彼のタコデバイスに抱えさせた大型ランチャーを撃ち放ち、ゴルゴンゾーラは身をくねらせながら打ち鳴らした魔鐘から音のない重い衝撃の渦を解き放つ。頭上から降りそそぐ熱と光の雨はお子たちに届く前にものすごい勢いで威力を削がれていき、反対に海域を貫く何本もの渦は勢いを減じることはなく氷片を巻き込みながら、視界の向こうにいる巨体に突き立てられていく。

「うおー!」
「Ena dynato chtypima!」

 魔王の外殻を叩く剣は一つだけではない。数百人を数える探索者の全員が同じ時間と同じ座標を入れ替わりながら、自分にできる最大の支援と有効な回復と的確な攻撃を撃ち放つとただ一つの目標に向けて、魔王に向けて叩き込んだ。海洋世界テリメインの原初に封じられた古代の遺失技術、魔王と呼ばれる巨大な発電所にして潜水艦にして兵器にも等しい存在は、生身の探索者が数人で蟷螂の斧を振るったところでこゆるぎもしないが数百の斧が振るわれれば巨象を倒すことも不可能ではない。破壊できずとも、あまりにも連続して叩きつけられた攻撃に安全機構を起動させた魔王がエネルギーの供給と機能を停止させる。「環境ノ安全ヲ確認後スリープヲ解除シテクダサイ」という無機質な表示が操作盤に明滅するとすべての元凶となった男が嘆きの声をと拳を操作盤に叩きつける。

「馬鹿な!馬鹿な!ようやく手に入れたこの力が、安全装置などで止まるのか!」

 滅亡したテリメインの古代文明はどうやら健全だったらしく、災害に見舞われたと判断した発電所は自動的に休眠状態に入ることを選択した。これを再び起動するには専門的な技術者が安全を確認した上で正当な手順に則って責任者の承認を得る必要があり、これらの入力が行われるまで魔王は微小な予備電源で動くしかできず乗員の生命を維持するだけの巨大な建築物でしかなくなってしまう。たちまち何人もの探索者たちが魔王の外殻に取りついて、救助用のハッチに手をかけると探索者協会副会長だった人物を引きずり出してふんじばってしまった。

「つまり、魔王って兵器じゃなくて重機だったんだな」
「なんだかほっとしますね」

 かけるの独り言に、フィオナ・ターナーが返事をしてくれたのはこの魔王討伐戦で彼らの行動と座標が近かったからである。不規則に荒れ狂う水の中を泳ぎながら狙撃する、魚でも難しいと思われる動きにかけるが習熟できたのも実のところフィオナが手本を見せてくれたからだろう。すぐれた他者を範とすることに偏見がない少年は、相手が少女でも海賊でも魚でもふかきものでも等しく接したが実のところ女性には気を使って接するのもアリですよとは助言をしたくなる。
 すまきのようにぐるぐる巻きにされた、もと冒険者協会副会長と彼の協力者たちが慣れた様子で連れて行かれる姿が目に入る。騒動を起こしては捕まり折檻を受けるまで、テリメインの人々はお祭りか約束事のように楽しんでいるようにも見えて、はためいわくにも思えるがこれが彼らの流儀なのかもしれず結果として事件が解決しているならそれでよいのかもしれない。などと考えていたかけるの背中に傍若無人な声がかけられる。

「やいおおぞらかける、今回はほめてつかわすぞ!」
「いや今回こそみんなお疲れさまでいーんじゃないか?」

 魔王の砲撃は無尽蔵のエネルギーを放射すると一射目で相手の座標を補足、いわゆるロックオンをしてから二射目で最大火力の砲火を遠慮も容赦もなく解き放つというものだった。ならば第二射が来る前にこちらが最大火力の攻撃を叩き込むことが勝機になる、単純な作戦だからこそスリー・ハンドレッドを数える探索者が息を合わせることができる。もちろん、魔王の第一射も決して弱いものではなくこれで退いた者も少なくないが、仲間を狙う砲火を一本でも多く引き受けるために進んで前に出る者も存在した。彼らは自分たちのことを生命壁と自称して、もくずもその一員である。
 もくずの潜水具が防護壁を展開して、その後ろや隙間からゾーラやかけるが狙撃する。すっかり慣れてしまった彼らの作戦は献身や勇気というよりも仲間や友人に対する信頼の賜物だろう。全員が自分の役割を果たすこと、そんな当たり前のことができれば魔王を倒すこともできてしまうのだ。



 こうして海洋世界テリメインの探索は七つの海の最深部まで進められると貴重な遺失技術のほとんども回収された。個人的に暴走する者はいたが、これらの技術や遺構を管理する者は必要だから身内の不祥事を承知で探索者協会が取り扱うことになるのは当然で、一部の探索者はお目付け役として協会の手伝いをするかもしれないし、改めて開放された七つの海を飛び回っては残されたフロンティアを探そうとする者もいるだろう。フィオナたちわくわく珍獣探索奇行の面々はもう少し事件の後片付け、協会の手伝いをするつもりでいるらしい。

「ウチはどーだろうな」
「なにを言ってるんだおおぞらかける、もう新学期がとっくに始まってるぞー」
「え?そーだっけ!?」

 もくずの言葉に今さらのようにかけるが目を丸くする。いわゆるテリメイン時間と彼らの標準時間には差があって、しかもテリメイン時間はときおり更新が延期される(メタ)とゆっくりと進んでいたから五十日程度の予定でいたお子たちの「夏休み」は現実世界ではとっくに過ぎ去っていた。もともと彼らは卒業制作の一環でこの世界を訪れていたが、かけるの課題であれば彼が設計したタコデバイスを特殊な環境で扱えるだけの実践データを収集して、それどころか魔王のエネルギー管理技術の基礎データまで集めると超過した日数を補えるくらいの成果は十分に挙げていたから、期限を多少過ぎてもいいかと考えていたふしもある。未解決の事件を残して、後ろ髪を引かれたまま帰るのも気分のよいものではない。

「まあ、もずこも潜水具のデータずいぶん集まったみたいだしな」
「なにを言ってるんだおおぞらかけるー」

 もう一度同じ口調で返される。もくずの潜水具は彼女が海に行くので家の蔵からもってきた潜水服を改造しただけのものである。そう言って潜水具のわきにある小さな引き出しのようなキャビネットからくしゃくしゃになった封筒を引っ張り出すと、かけるにも見覚えのあるそれは卒業制作の計画書のコピーで、十枚ほどのA4用紙の表紙には女性とは思えない字で彼女の名前と研究内容の表題が書きなぐられていた。

(ともだち百人できるかな計画)

 なんだよこれと言いかけてやめる。表題のセンスには大いに問題があるが、もくずの卒業制作とは要するに異文化異民族どころか異世界の異種族すら集うこの世界で積極的な交歓を図り異文化交流の成果を得る、ことだった。通信機にして翻訳機を兼ねるスキルストーンの助けを借りていたとはいえ、ゾーラのようにテリメイン在住のヒトを含めてもくずが交流した人々の言語や文化や歴史や風習や背景がまとめられた分厚いテキストこそ彼女の卒業制作なのである。さすがにともだち百人はできなかったが、モニタにずらりと映されているテキストの分量を見るとよくもまあこれだけ書いたものだと感心させられる。原生生物が相手でも模擬戦闘で他の探索者が相手でも、もくずが作戦を考えていたのもこの情報があってこそなのだろう。
 お子たちが夏休みを終えて家に帰るなら、これでお別れになる。フィオナがゆっくりとついた息が泡になって水面に上がっていくと、わくわく珍獣探索奇行の面々も近づいてきて男女と海の生き物のチーム同士が向かい合う。

「じゃあしばらくお別れですね。次に会ったときは、学校のこととか聞かせてくださいね!」
(おでも、聞かせろ。また、会う)
(ぐっ)

 しばらくのお別れは寂しいことでもなんでもない。フィオナがにこやかに三人の手を握ると、ウーヴォーは吸い込まれそうなほど大きな口を開く。ギョギョギョのギョタロウは水着に白衣に魚マスク姿のままで結局素顔をさらしてはくれなかったが、不思議とお子たちにはマスクがない彼に会っても彼だと気づく自信がある。彼らはもくずやかけるにとってはお手本のような存在で、何度か模擬戦闘をしたときも軽く蹴散らされてしまったから、次に会うときはリベンジしてやるー!というもくずの言葉に全員が再戦を約束した。たぶんそのときは再戦ではなくて再会になるだろう、とは思いながら。



 ディーププラネットから協会のシャトルシップに運んでもらいサンセットオーシャンに移動すると、強すぎる太陽に帆布を焼かれているゲル船に戻る。重ねた帆布のおかげで存外に涼しい船内に入り、数日空けていたぶんの掃除をしてから船を移動させながら甲板で育てていた野菜を収穫したり備え付けていた生け簀を回収してしまう。アトランドに差し掛かると海はずっと穏やかで風も涼やかなものになって、海中島が海面からいくつも突き出している航路を進むと、削られた岸壁にときおり光る「宝石竜」の名残を見やりながらゲル船を進ませた。
 船がセルリアンに差し掛かるころには荷物もすっかり片づけられていて、穏やかな海に協会が最初に建てた拠点にたどり着くとレンタルゲル船屋さんにたたんだ船を返却する。延滞料金含む一泊350円は協会員価格でとても割り引いてもらえるから、もくずが財布をばりばりと開くとお札を一枚ぺろりと出してお釣りまでもらえてしまう。アトランドの島々がちょうど渡りの季節に入っていたらしく、おおぜいいた海ことりたちはぴーぴよ鳴く声に誘われると飛んでいってしまい残っているのは最初に彼女が頭に乗せてきた一羽だけになっていた。最初にお子たちを案内してくれた、探索者協会のロザリンだかロザリアンダとかいうヒトと、マリンオークの教官の二人が丁寧に探索者たちに応対をしてくれている。同格の海底探索協会内部監査室室長兼教官が二人いるような組織だから、相変わらず運営はおおらかなのだろうがそこは協会に居残る探索者たちがもう少し締め直してくれるのだろう。

「魔王の力が無くなった今、テリメインは正常な状態を取り戻すだろう」
「海が引き、テリメインは大地を取り戻すでしょう。今、この世界は魔王の力が四散した状態になっています。もしかしたら、色々な願い事が叶うような状態になっているかもしれませんね?」

 そういえばアトランドでも海が浅くなって海中島の海が突き出ていたことを思い出す。回収された魔王は今のところすべての機能が開放された状態で置かれているらしく、海域を超えてスキルストーンにエネルギーを供給すると性能を高めてくれているらしい。スキルストーンの多様な機能を思えば「願いが叶う」も言い過ぎではないだろう。
 探索者カードと山のようなスキルストーンを返却して、手続きを終えると海中ではなく海上にある出入り口から出て協会の施設を仰ぎ見る。ちゃぽんという音がして、傍らの海面からゾーラが首を伸ばすと、おつかれさまでした、というように目を細めた。

(少しだけ、背が伸びたね)

 右手をもくずが、左手をかけるが握ってぶんぶんと振り回す。ハグをするには重さ55kgの歩くダイナマイトにすぎるから少しだけ背が伸びたかけるには教育上よろしくない。ゲル船で作っていた大量の干し魚と干し芋を入れた袋はゾーラがお土産にくくりつけていて、お子たちはボストンバッグとバックパックに詰めた荷物を抱えるとテリメイン海底探索協会前のバス停で時刻表を確認する。すぐに聖蹟桜ヶ丘方面のKOバスがやってきて、もくずとかけるがもう一度振り向いて手を振ると屈託のない笑顔を浮かべたゾーラはそのままちゃぽんと水に潜ってしまった。バスには数人の乗客の姿があって、お子たちは荷物を抱えると一番後ろの席に座る。行きと違っているのはもくずが潜水服姿ではなくヘルメットだけ抱えていることで、しばらく揺られていると夕焼けに染まった久しぶりの街並みが目に入り、かけるの家があるマンションやもくずの家にある蔵が見えてくる。バスが停まり、お子たちの足下に長い長い影が伸びていた。

「もうぜんぜん夏じゃないな」
「うむ!楽しかったからいいではないかー」



 マンションの呼び鈴を鳴らす音に、大空翔はあわてたように上着を羽織ると学生鞄を引っ掴む。おおらかなテリメイン時間に馴染んでいた少年を、意外と時間には几帳面な海野百舌鳥子がわざわざ迎えに来てくれたらしい。長い夏休みを予定よりもずいぶん長く取得して、最初の登校日に遅刻しては気まずいから百舌鳥子も気を使ってくれたのだろう。

「大空君、身だしなみに気を使う時間くらいは取ろうよ」

 翔があわただしくしていたのは寝坊をしたからではなく、提出用のタコデバイスと魔王のデータを整理するのについ夜更かしをしたためだった。髪の毛がぼさぼさなのも洗って清潔ならそれでいいやとばかり、床屋にもいかず部屋に篭っていたからである。クリーニングに出していたはずの学生服がくたびれて見えるのも、新入生のときに買ったものだから仕方ないといえば仕方がない。百舌鳥子はといえば彼女のトレードマークである鳥の巣あたまはそのままだが、さすがに海ことりを頭に乗せていたりはしないし、これでも古い家の娘さんだから制服姿も隙がなく様になっている。急かされながら家を出ると、ふと、何かが気になった翔に百舌鳥子が首を傾ける。

「どうしたの?大空君」
「いや、そのなんだ、その大空君ってのが妙というか、俺の名前だよな」
「当たり前じゃないの」

 この人は何を言っているんだろうという顔をして百舌鳥子がきょとんとしている。夏休みを利用して、卒業研究に取り組むために彼らは海洋世界テリメインに赴くと、協会の探索行に参加しながら、翔は彼が設計したタコ型デバイスの実践データと現地で入手した魔王と呼ばれるエネルギー制御技術の基礎データを成果として提出するつもりでいた。百舌鳥子は七つの海域のうち彼女たちが主に訪れた四つの海域にまつわる地史や文化の記録と、人々と交歓した記録の膨大なレポートを携えていて、何百頁もの資料の束をニセシマヤの紙袋に収めて重そうに手に提げている。
 制服姿の二人が足早にバス停に駆けていく。ちょうど走り込んでくるバスが見えて、学生服と袋を提げた百舌鳥子が足を速めると、タコデバイスの入っているずだ袋を抱えた翔も目の前を走るスカート姿を追いかける。少しく息を切らせながら、やはり百舌鳥子が翔の前に立っている姿はしぜんなように思えるし、百舌鳥子の後ろからタコを担いだ翔の足音が追いかけてくることはしぜんなように思えてしまう。

「願いなんて、いくらでも叶えられるものね」
「え、なんか言ったか?」
「なんでもない!」

 海底探索協会で百舌鳥子が受け取った初心者がんばろうマニュアルには、探索の注意から異種族異民族異文化と交流するための心得まで書かれていて、海賊とか海の男とか荒くれ者が少なくない世界で彼女が気後れすることなく振る舞えたのはこれのおかげである。探索者に配られていたスキルストーンには通信機と翻訳機を兼ねたような機能もあって、言葉の壁も容易に克服されていたがもしかしたらバウリンガルくらいには微妙な言葉遣いやニュアンスの伝え間違いもあったかもしれない。
 スキルストーンそのものは協会から貸与されたものだからすべて返してしまったが、仮に持ち出しても高度経済成長期の日本にスマートホンやドラエホンを持ち出すようなものだから何に使うことができたわけでもない。だが翔のように彼が自分で設計したデバイスにスキルストーンの技術やデータを取り込むことはできたし、百舌鳥子のように膨大な記録と記憶を持ち帰ることもできる。夏休みが終わっても彼らが書いた日記は残されていてそれが消えることはない。

「確かに、少しだけ背が伸びたかな」

 バスが遠ざかってバス停だけが残される。百舌鳥子の散らかった部屋にある勉強机の上には五冊の本が積まれていて、そのうち四冊ある日記には「タコと蛇と潜水〜」と書かれていてもう一冊には「海ことり倶楽部」の表題が書かれている。ころりとペンが転がって、傍らには海ことりが一羽とまっていたが、空いている窓の向こうにことりがいるのを見つけるとぴよぴよと飛んで行ってしまった。


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