ブリトンに帰国したユーニスは彼女を慕う穏健派の貴族や領民に迎えられると、旅の成果として隣国であるサクソンとマーシアとの友好を謳い彼らを招いた記念競技会の開催を提案する。強いブリトンを主張する強硬派は何匹もの苦虫を咬み潰す顔をしたが、サクソンの若頭とマーシアの頭首も同意したという友誼に堂々と反対すれば彼らの立場が揺らぐことになるからブリトンの独自性を確保すべきであるという原則論を呟く程度のことしかできなかった。
馬上競技会を催すことになったベイドンの丘はブリトンが勝利した十二回の戦いで最後に用いられた戦場跡だが、帝国時代の陣営地の遺跡があり馬場を慣らして観客席を仮設すればすぐにでも競技場として使うことができた。穏健派にすればこの際に既成事実を作ることができるから準備を速やかに進めて悪いことはなにもない。
ペンドラゴン卿に代表される強硬派はこれを邪魔しようとはしなかった。彼らは自分たちを貶めることの無意味さを承知していたから、競技会で強いブリトンを見せつけることでサクソンとマーシアの上位にあることを主張したほうがよいと考えたのかもしれない。英雄アルトリウスは十二回も戦ってすべてを勝ち続けた、十三回目の勝利を得ることができれば彼らの立場は再び覆るであろう。
「それを承知で競技会に穏健派と強硬派の団体戦を選ぶとは大胆を通り越して挑発的ではないか」
「そうかもしれん。だが戦場で争うならいっそ戦場跡で競い合うほうがよほどましというものだろう」
そのような声もあるが、実際には馬上競技会の開催を主張したユーニスが考えていたのは純粋に競技会を皆で楽しもうという以上でも以下でもない。
「だって、ブリトンでは馬に乗り慣れた方は限られますもの。団体戦のほうが参加しやすいでしょう?」
心からいう彼女は国同士の緊張などなにも考えないが、無責任な思いつきを自ら実行してのけるから誰も文句を言うことができなかった。
その日、ベイドンの丘にはブリトン中の貴族や領主たちがそれぞれの取り巻きを従えて集うことになる。もしやの諍いを恐れて足を運ぶことをためらった者も少なくないが、サクソンとマーシアの騎士たちが街道をゆっくりと歩いてくる沿道には大勢の人が押し寄せて行進する人と馬の出で立ちに感心させられると、後代、飾り立てた行列が街道を練り歩く姿が競技会の見世物になった。
競技会に先立ち、そうそうたる人々を前にして開催の辞を任されたフランシス・バーンの演説は三国の友誼を宣言した言葉として後に記録される。それは古い皇帝の演説を剽窃したものでしかないが、大げさにいえばブリトンが帝国の精神を取り戻してブリタンニアに回帰する宣言だった。この島には珍しい陽光がベイドンの丘に差し込むと若い貴族の声が朗々と響き渡る。
「聞け、ブリタンニアの民よ。我らが帝国の子孫であることを知らぬ者はいない。かつて帝国は異国の一族に市民権を与えたのみか彼らに元老院の議席と貴族の地位を用意した。後の皇帝たちは先人の例に励まされると出自も部族も問わず、皆を都に住まわせると優れた者を統治に参与させることを決めた。
我らは忘れてはならない。我らは帝国の最も偉大な皇帝がかつて征服された移住者の出自であることを知っている。国が安んじられて後に蛮地の民を帝国は受け入れた。古参の軍団兵が退役しても、帝国は友邦の戦士や勇者を受け入れて強くなったのである。そして最も近き歴史において、ローザラインがバルバロイを受け入れると我らはブリトンの民となった。その我らが今日はアングルとサクソンの手を握る。
「帝国は帝国以外の民から後の偉大な皇帝を迎え入れたことを後悔しただろうか。彼らの子孫は帝国を支え、彼らが帝国に抱く愛情が変わることはなかった。かつて多くの強国が戦争に勝ちながら一時の繁栄しか成しえなかった。彼らが破滅した理由は他でもない、彼らは一時の勝利だけで他者を分け隔ててしまった。
帝国は賢明にも彼らとは逆のやり方を選択した。かつて敵として戦った者を同胞として遇する道を選んだのみならず、彼らは後に帝国の指導者となり解放された奴隷の子が後に官職を輩出した。これらは古くからのことであり、これからのことでもある。
「なるほど我らはアングルやサクソンと矛を交えると互いの父や祖父や兄弟が失われた。だが帝国の戦いと我らの戦いを比べれば費やされた時は過去のどれと比べても短いことに気づかされる。十二回の戦いが終わり、矛を収めてから後に我らは二度と矛を交えることがなかった。国ではなく血でもなく名誉を賭けるのであれば戦場ではなくてこの競技場で競えばよいではないか。
聞け、ブリタンニアの民よ。現在我らが古いと思っているものもかつてはすべてが新しかったのだ。ゆえに今我らの前にあるこの集まりが後にはブリタンニアの伝統になるに違いない。私はいま君たちにいくつかの先例をあげてみせた、いずれは我らのこの集まりが先例のひとつとしてあげられることになるのだろう」
演説を終えると観衆は熱狂して喝采を送り、フランシスは大いに面目を保つと彼が剣にも馬にもよらずブリトンの過去と未来に名誉をもたらしたことを知った。だが上気して演壇を降りたフランシスは、後にこのことで讃えられても功績のほとんどを彼の以前に生きた人々に帰している。
「ブリトンには帝国と蛮族の二つの歴史がある。前者は記録を石に刻んだ文字で、後者は記憶を詩と物語で残そうとしたのだよ。僕はそれを借りたにすぎない、ときとして言葉は剣よりも馬よりも人を守るのだと僕は信じているのだ」
競技会は最初に余興としてマーシアから訪れた若い騎士たちがペグの実演をすると、地面に突き立てた短い杭を馬上から槍で器用に抜いていく技を披露してみせる。続いてサクソンの若者たちが馬に乗って現れると、こちらは数騎で駆けながら輪くぐりを見せて観客の喝采を浴びていた。馬上槍試合はこの後に催される段取りになっていて、ユーニスは無論そちらに出場するつもりでいたしマデリンはいつものように観客席から応援するつもりでいる。
「ただ言葉を伝えるしかできない、こういうとき魔法使いなんて本当に役に立たない存在だと思うわね」
マデリンの言葉は韜晦して聞こえるが半分は彼女の本音であろう。旅をして友誼を得て馬に乗り槍を握る、それはすべてユーニスが為したことで彼女の旅の中でマデリンは無責任な傍観者に過ぎなかったし、かつて英雄アルトリウスが十二回の戦いを勝利したときも幼い彼女はただ言葉を伝えただけで何をしたわけでもない。ロジック・ユーザーなどと人はもてはやすが誰よりもマデリンにとってそれは意味がない。英雄とはユーニスのように自らの足で地を歩む者を指しているのだから。
「そんなことはないわ。フランシスさんの演説はとても立派だったし、言葉には人を導く力があるもの。それにマデリンがいなければそもそも私はここにいることもなかったでしょうからね」
「じゃあ私の言葉にも力はあるのかしら」
マデリンは意識していなかったが、これは彼女にとって生涯を賭した質問である。ユーニスが否定すればマデリンは彼女自身の価値を失うかもしれない、だがマデリンがユーニスを疑う必要はない。なぜならばユーニスがマデリンを裏切ることはあり得ないのだから。ごく当たり前に、ユーニスは友人に彼女の真実を伝えることができる。
「知ってるでしょ?私はマデリンがついてきてくれたことが何よりも嬉しかったのよ」
「知らないわよ、そんなこと!」
視線を外したのは自分がどのような顔をしているか自信がなかったからである。ロジック・ユーザーにも分からないことはあるし知らないことはある。なにしろ彼女の目の前にいる娘はマデリンの助言をろくに聞きもしないで平然と火中に飛び込みながら、無謀な自分を案じてくれる友人に心から感謝しているのだ。
マデリンの能力は人が想像もつかない論理で誰よりも早く解答にたどり着くことができるが、ユーニスはそんなものを求めてはいなかったからおそらくこれまでの旅でも彼女の助言はたいした役に立っていなかった。だがユーニスはブリトンを裏切るかもしれない旅に、マデリンがついてきてくれたことを何よりもありがたく思っていた。彼女の旅が一人ではなかったことがどれほど彼女を支えたことだろうか。ならばマデリンが本当にすべき助言はロジック・ユーザーの言葉などではない。
「行ってらっしゃい。ユーニス、応援してるわよ!」
「ありがとう!マデリン」
マーシアで催された馬上槍試合はジョストと呼ばれる一騎打ちだが、ブリトンの競技会では騎馬が二組に分かれて戦うトゥルネイという団体戦の方式で行われる。一方はペンドラゴン卿に近しいブリトンの強硬派が、一方はサクソンとマーシアの混成軍でユーニスはむろんそちらにいた。このまま互いに反感を燻らせるなら競技会にかこつけて白黒はっきりさせた方がよい。トゥルネイの前に双方の代表者としてペンドラゴン卿とユーニスが一騎打ちを披露することも決まり、後にこの方式がブリタンニアの馬上競技会における伝統になる。
ペンドラゴン卿は強硬派の領袖で頑迷な人物だが必ずしも卑劣な性格はしていない。これだけの舞台を用意されて退くことはできぬし勝利すれば穏健派への、そしてサクソンやマーシアへの優位を表明することもできるだろう。
十三回目の戦いでブリトンは敗れる、魔術師マデリンの予言は彼も知っているがそのような妄言に左右されるなら最初から強いブリトンの復活など望むべくもない。アルトリウスが率いるブリトンが十二回の戦いにすべて勝ち、そして十三回目の戦いにも勝つことができればもはや魔術師の予言など不要になるだろう。それぞれの背後に騎兵の列が並び、一騎打ちの主人公たちが馬を前に進める。
「お主は愚かだが勇敢であることは認めてやろう。あるいは魔術師の予言とやらも当たるのかもしれぬ、儂が負けてもお主が負けてもそれはブリトンの敗北と言うことはできるのだからな」
「では私をブリトンの者と認めて下さるのですね。有難う御座います」
皮肉ではなくユーニスは心から頭を下げる。ペンドラゴン卿は貴族のたしなみとして馬も槍もよく扱い、容易に勝てる相手ではないが彼女がジョストに挑まなければ誰も納得しないだろう。競技会で二等を得た彼女の技量は決して男たちに劣るものではなく、河原毛の愛馬の首筋を撫でているユーニスは深窓の令嬢などではない。
どちらが名乗りを上げたわけでもなく、双方の馬が同時に後足を力強く蹴り出すと緩やかな弧を描くように駆け出してすれ違いざまに槍先が突き出される。鈍い音がして互いの胸甲を突いた木槍が大きくしなうが、あまりにも勢いがあって槍先が折れてしまうとそのままユーニスがペンドラゴン卿の従者たちを背に、ペンドラゴン卿がユーニスの友人たちを背にして再び向かい合う。
互いの足下には木槍が何本も突き立てられていて、相手の陣地から槍を抜くともう一度馬を走らせて交叉させた。今度は卿の槍だけがユーニスの胸を突くがやはり踏みとどまると馬からは落とされずに済んで、折れた槍先がくるくると回りながら地面に突き刺さる。ゆっくりと馬主を返したペンドラゴン卿はむしろユーニスに感心してみせた。
「なかなか粘るではないか。槍は未熟だが馬の扱いは見るべきものがある、だが貴様よりも馬がよいだけかもしれぬ」
「そうですね。とても賢い子なのでいつも助けられていますわ」
言いながらユーニスは荒すぎる息を整えるが、怪我をした胸を突かれて堪えていない筈がない。胴鎧の下に厚布をきつく巻いていたから傷は破れていなかったが痛みや疲労は別の話である。ペンドラゴン卿の腕は優れたもので、彼と何合も打ち合える者がいるとすればマーシアの勇者疾風ゲイルくらいではないかと思えてくる。
ユーニスの傷と疲労は明らかだったから、このまま打ち合えばいずれ馬から落とされてペンドラゴン卿が喝采を受けることになるだろう。だが卿には若い娘を相手に戦いを延々と引き延ばすつもりはなく、懐から小さな袋を出すと中身の黄色い粉を鼻孔から思い切り吸い込んだ。こめかみに血管が浮いて槍を握る腕がたくましく盛り上がる。ブリタンニアの蛮族には古くから精神と肉体を昂らせる薬物の用法が伝わっていて、後ろに控えている馬上でそれと知ったクレオがエオムンドに問いかける。
「おいおい、いいのかよあれは」
「馬上競技であのような振る舞いは禁じられておらぬ。ルナティックに薬物を用いて神々の声を聞く風習がこの島には古くから存在すると聞いたことがある」
たいていの薬はごく短い間に大きな力を得ることができるが、やがて効き目を失えば反動で全身から力が抜けてしまう反作用がある。卿はそれを承知で勝負を挑もうというのであり、むしろ勝つための堂々とした手法であると心から思っていた。
「貴様の怪我のことは知っている。それを理由に勝ったなどと言われたくはないのでな」
「全力で相手をして下さると?」
「知れたことだ。ブリトンの貴族がブリトンのために全力を出さぬ筈があるまい。この一合で終わらせてやることがせめて貴様への敬意であると知れ。行くぞ!」
敢えて宣言してから馬を走らせる、ペンドラゴン卿は少なくとも堂々とした人物だがだからこそユーニスを相手にしてわずかも手心を加えるつもりはない。片腕で頭上高く振り上げた槍を思い切り振り下ろすと、重すぎる一撃をユーニスはとっさに槍の柄で受け止めたがそれで脇腹の傷が裂けたのが分かる。思わず血がにじむほど唇を咬んで悲鳴と痛みを堪えたが、腕がしびれて槍を落とさずに握っているのが精一杯だった。
これでブリトンの未来は彼のものになる、そう確信したペンドラゴン卿は信じられない膂力で振り下ろした槍を片腕で持ち上げるともう一度大きく振りかぶる。だが卿の槍がユーニスを叩き落とす前に彼女の河原毛の馬が地面を強く蹴ると互いの鼻づらを打ちつけて馬と馬が後足で立ち上がった。こんな体勢ではさしもの卿も槍を振るうことができず、それはユーニスも同じだが彼女はこのふざけた状態で戦うことができる人物を知っていた。曲芸師のように馬の背に立つと思い切って卿の頭上からとびかかる。
「必殺!ゲイル・スラーッシュ!」
外れても避けられても地面に叩きつけられる、あまりにも無謀で莫迦げた行為だが一騎打ちの相手が身を挺して落ちかかってくるのを避けるなどという考えはユーニスになかったように卿にもなかった。驚くほど莫迦莫迦しい、呆れるほど堂々とした打ち合いである。
落ちかかる勢いで突き出された槍先がペンドラゴン卿の胸を打つとブリトンの貴族の身が地面に落ちる。捨て身の愚行をやってのけたユーニスは卿の馬にしがみつくようにして辛うじて地面に足がつくのを堪えると、忠実な河原毛の馬がすぐに主を助けて首を滑り込ませた。派手な打ち合いと結末に双方から賛辞の声が上がる。クレオが息を吐いたのは感心したからか呆れたからか彼自身にも分からなかった。
「どうやら俺は考え違いをしていたらしい。いいのかよあれは、とはあの無謀な娘さんに言うべき言葉だった」
「彼女を指して愚かだが勇敢と評した、ペンドラゴン卿には人を見る目があるらしいですな」
彼女の友人すら彼女の振る舞いには呆れてものを言うことができない、だから彼らはユーニスから目を離すことができないのだ。
一騎打ちに続いて行われたトゥルネイはマデリンが予言した通りブリトンの屈辱的な敗北で幕を閉じた。横列に並んだ騎馬たちが一斉にすれ違うように駆け抜けると、一合でブリトンの貴族の半数以上が地面に落とされてしまう。それは馬の熟練や槍の技量だけではなく、目の前で見せられた一騎打ちの結末にブリトンが消沈してサクソンとマーシアが勢いづいたことが理由だったろう。ペンドラゴン卿は堂々と戦い敗れた、ユーニスは不利にありながら最後まで馬から落ちることがなかった。
クレオはサクソンの若頭らしく勇猛な戦いぶりで、エオムンドはマーシアで長く戦陣に帯同した熟達ぶりで相手の騎馬を落としてみせた。キルバートの活躍はほとんど知られていないが少なくともブリトンの全員が馬上から落とされた後も残った一人に数えられていたらしい。英雄アルトリウスと魔術師マデリンの伝説が終わり、キルブライトの名を冠する剣士の行く末など誰が気にしても仕方がなかった。そこには英雄も魔術師の姿もなく、ベイドンの丘に聞こえたのはサクソンとマーシア、そしてブリトンの三国が友好を祝う声だった。
・・・
ブリタンニアの歴史を語ろう。時は紀元五世紀、海峡を越えてアングロサクソンが訪れるようになって以来、ブリトン人を率いてこれを迎え撃つとベイドンヒルに代表される十二回の戦いにすべて勝利した英雄アルトリウスの物語は今も人に語り伝えられている。彼らは魔法使いマデリンの助言に従って十二回の戦いにすべて勝利したが、ベイドンヒルで行われた十三回目の戦いに敗れると過去のいきさつはすべて失われて三国の修好が高々と掲げられた。
島の南西部に所領を持つブリトン、南から東を治めるサクソン、広域な中央部を占めるマーシアの三国は彼らをひとくくりにしてブリタンニアと名乗ることを宣言する。それはかつて帝国がこの地を指して呼んだ名前であり、後に新たな王朝や新たな国が現れてもこの島はブリタンニアであり続けるだろう。
「向こう見ずで直情的、考えるよりも行動する類でどんな結果も受け入れる覚悟があるから後悔もない。これだけ並べるなら過去のどんな英雄の物語だろうかと思うわね」
「英雄の正体が手のつけられないじゃじゃ馬娘であったとは魔術師の正体以上に想像もできまいよ」
「ひどいですよ、二人とも」
友人にからかわれて不服そうな顔をしているが、競技会は成功に終わり強硬派も不承不承ながら三国修好の宣言に従わざるを得なかった。不満も文句もあるが今はそのようなことを言える立場ではない、ブリトンの貴族であるペンドラゴンはいずれ新しいブリタンニアを指導する立場にもなるから言いたいことがあればその時にすればよい。ユーニスもマデリンもそれで少しも困ることはなかった。
三国の友好は必ずしも堅固なものではなく、ブリタンニアには他にも大小さまざまな部族や国が存在して彼らは互いに集まり互いに争う歴史をこの後も綴っていくことになるのだが、ブリタンニアが再び一つの呼称で呼ばれたのはこの三国修好が契機であったと言われている。
「かくて汝の旅は終わる。人はこの地がブリタンニアであることを忘れないが、誰がブリタンニアを残したのか、それを伝える者は数世代数十世代を経ていずれいなくなるだろう」
「それでよいのではないかしら。私はただ国を出て帰ってきただけ。私でなければ他の人が同じことをしていたに違いないのよ」
「ユーニス以外の人が言えば、それは真実に聞こえるわね」
森の奥にある小さな庵の前に、切り株でこしらえた卓子をはさんで二人の娘が言葉を交わしていた。一方の娘は濃い褐色に見える赤毛を長く垂らし、庵の主らしい娘は水鳥を思わせる不思議な色の髪にどこの部族のものともしれぬ、奇妙なつば広の帽子を乗せて浮き世ばなれした風情をしている。
娘たちの話題な深刻なものではなく、たいそうな過去と未来を慮ってのものでもない。小さなブリトンの旅が終わればいずれ新しい旅に出ることもあるだろう。それは彼女たちが知っていればよいことで、歴史や、まして伝説に残すような類のものではないのだ。
「蜂蜜と、茶葉でしたっけ?エールとワイン以外にもこのようなものが飲めるとよいのにね」
「海の向こうには酒ならぬものがある、それがブリタンニアにもたらされるには長い年月がかかるわね」
それが魔術師マデリンの最後の予言である。一人の娘が国境を越える旅に出て、一人の娘がそれに従ったことが後に英雄伝説の一部にまで脚色されることなど魔術師ならぬ者には知るべくもないが、後にアーサー王の十三回目の戦いがどうなったかその顛末を知る者はないし森の娘が魔術師の伝説を生み出したことも忘れられてしまうだろう。
だが人々は忘れることがないのだ。故郷を守る思いがただの娘を動かすことや、ただの娘の思いが人々を動かすことができるということを。英雄と魔術師はどこにでも誰の中からも生まれてくるのだということを。これがブリタンニアに伝わるアーサー王と魔術師マーリンの伝説、そのごく一部のもとになったエピソードである。