地下室

一章.遠征の代償

 伝説の時代の終幕を飾る英雄の戦いで、暁の巫女が信奉していた教義は英雄の信じる教えとして広く巷間に流布をしています。王都ゼノビアから港を出て西方に周り、船で数日を隔てるアヴァロンの島には宗団が古くから構えていた神殿が建っていることで知られており、そこは日々礼拝に訪れる人で賑わっていました。

「聖母様、礼拝の準備が済んでおります」
「有難う、カロリン。すぐに行きますね」

 カロリンと呼ばれた、朗らかな赤毛の少女に答えて聖母アイーシャは優しげな笑みを返します。赤毛の英雄と同じ宗団に属する彼女が、王や王妃たちと共に戦った伝説の戦いからすでに五年ほどが過ぎていました。色の濃い金褐色の髪を緩やかに波打たせて、法衣の裾を軽く上げるとアイーシャは礼拝堂へと足を向けます。小走りになる寸前の足取りで彼女の後ろからついてくる赤毛の少女は五年前、十歳の頃から暁の巫女として神殿に仕えている身であり、アイーシャにとっては妹のような存在ともなっていました。本名であるカロリーナよりも、くだけた呼び名であるカロリンの愛称が似合うどこか幼げな印象を与える少女です。
 英雄戦争が終わり、命を落とした赤毛の英雄は「暁の巫女」として讃えられていましたが、彼女が仕えていた宗団では英雄に敬慕の念を示して、神殿に仕える巫女の髪を赤く染めて祭儀を執り行わせることを定めました。巫女は十歳以上の少女から選ばれることになっており、年頃の娘たちが憧れる職業ともなりましたが、アイーシャの後ろに控えているカロリンの赤毛は染められていない生来のものです。五年前の戦いの折り、話に聞こえた赤毛の英雄の活躍に赤毛の少女が憧憬を抱いたであろうことは疑いなく、アイーシャもわざわざそれを問い正そうとはしませんでした。かつて太陽の恵みを現した赤い色は、今では英雄の色であり始まりの炎と生命の力を示す色ともなっています。


 王フィクス・トリストラムと豊穣のラウニィーによって治められる王国ゼノビアでは、戦乱後の混迷も収まって少しずつ平和と繁栄が訪れるようになっていました。荒廃した国土は希望によって耕され、街道は整備され、崩れた建物は建て直されて都市によっては水道が引き込まれたり、灌漑が行われるといった大規模な工事も始められています。ことにゼノビアの王都では真理の尖塔を備えた王城や壮麗な神殿、町を取り巻く長大な城壁に交易の拠点となる港湾設備、王と英雄の偉業を讃える浮き彫りで飾られた門や、王が人民に寄贈したトリストラム劇場といった建築物が林立しており、その偉容は王国の復興と繁栄を雄弁に物語っていました。再建は急速に行われ、人々は進歩と発展への道を歩むべく背を押されることになったのです。
 ですが清新と希望に満ちた新しい世界で、人々が歩みを進める道に幾つかの路上の岩が存在しなかった訳ではありませんでした。歴史上の常として安寧と騒乱は表裏一体であり、何れか一方が完全に消え去ることはいつの時代でもありえないものです。たとえ絶対多数が安寧と平穏を享受したとしてもそれに不満を抱く人間は存在し、新生ゼノビアにおいてそうした騒乱の火種は王国の内ではなく外にありました。

「雪山の蛮人如きに寸土といえども我が国を侵させる訳には行かぬ。彼奴らを北の僻地に追い返すのだ」

 帝国の時代より既に問題となっていた、北方ローディスの山岳民族がアルプスを越えてゼノビアへの侵入を試みるようになったのは、彼らが復興への活動を始めてからすでに三度目となっています。ゼテギニアの倒壊により統治が弱まったことが直接の原因となっていることは無論ですが、山岳の民は古来より収穫が減ると食料を求めて襲撃を試みる傾向がありました。ローディス人は深い木々に覆われた、勾配の強い地域に適した毛深く脚の短い馬を駆り、また、鉄車と呼ばれる鉄板を貼り付けた台座を押して戦う勇猛果敢な民族として知られています。かつてゼテギニアの将軍が行ったように彼らの領土に深く侵攻して掃滅するほどの力はゼノビアにはなく、要求に答えて糧食を差し出す余裕もまたありませんでした。
 王であり最高司令官でもあるトリスタンは英雄戦争に参加した勇士である疾風軍団のカノープスとその盟友である剛腕軍団のギルバルドの二人の軍団長に、征北将軍と鎮北将軍の称号を与えると防衛の任に当てるべくこれを出征させました。戦乱が終結し、軍の多くは解体されて兵たちは故郷に帰ると郷里の再建と再興に努めていましたが、軍務に留まることを望んだ者も多く存在しています。彼らは王国を示す月桂樹と腕輪の紋章を描いた白い旗をはためかせ、意気込んで王都を出立すると民衆もそれを歓呼で見送りました。戦場は北の国境、寒冷な時節であれば氷雪に覆われるであろう山岳の森林地帯は、冬を過ぎて雪も解け始めており周囲には新芽が芽吹いていました。

「秋に収穫した備蓄も尽きて、獣も痩せているし木々も未だ実らぬ。それでいて雪も解けて蛮人が動くには適した季節であるのだ。厄介だが容認する訳にもいくまい」

 短い金髪を巻いた頭を振り、すらりと背の高い身体を馬上に預けたカノープスは呟くと、疾風の異名に相応しい軽快さで国境にある城砦を目指します。そこは常緑に包まれた街道沿いにある、幾つかの間道との結節点につながる要地であり、石造りの砦とそれに隣接する小都市が置かれていました。剛腕のギルバルドは背は低いが頑健な体躯で日に焼けた褐色の腕を山風に晒しながら、部下を叱咤しつつカノープスに後発して続いており、蛮族に先んじて到着した討伐軍は城砦を拠点にして歓迎されぬ客人を迎えるために準備を始めます。
 蛮族の外見は長身で頑健、赤から金褐色の髪に白赤色の肌をしており身体には厚手の荒布を纏い背と頭には矢や剣を防ぐ鎧甲の代わりに脂を塗りつけた毛皮を被っていました。剽悍で肉や山羊の乳を好み、馬上で弓や槍を扱う技量では他に比肩する者がありません。城砦につながる山道を埋め尽くすが如く、押し寄せる彼らの先頭には鉄車が並べられて移動する壁の様相を見せています。鉄車はかつてゼテギニアから彼らが買い入れた鉄板を組んだものであり、木製の台座に車をつけて前面には鉄の板が乱暴に貼り付けられていました。

 歴史的に見ても、遊牧民族である彼らには部族を繋ぎ止めるための収奪が常に必要で、それは戦いによってこそ容易に手に入るために概して好戦的になる傾向があります。ゼテギニアの時代にもローディス人の侵攻に貢物を渡した記録も残されていましたが、復興の途上であるゼノビアにはそれだけの富はなく、貪欲な蛮人に対して剣や槍先を与えることで答えるしかありません。彼らが南下を始めた当初より、双方が交渉の意思を有していなかったとしてもそれはやむなきことでしょう。
 城砦の見張り台に立つカノープスとギルバルドの眼下で、峡谷を埋める毛皮の波がゆっくりと押し寄せてきていました。砦はゼテギニアの遺物であり左右を峻険な谷に挟まれている難攻不落の要害ですが、視界の及ばない木々の下にも蛮族が潜んでいることは確実で、正確な数は知りようもありませんが討伐軍の十倍はいるやに思わせます。ただ純粋な兵士のみならずその家族までを含めて移動する性向がローディスの諸族にはあり、勇敢な戦士を数人抱えていたとしても軍団の質では討伐軍に及ぶべくもありません。統率に欠ける山岳民族の群れは二日をかけて城下へと近づいていましたが、その時には討伐軍も部隊の布陣を終えていました。城壁で射手を控えさせているカノープスの疾風軍団を背に、指揮官自らが選り抜いた歴戦の剛腕軍団を率いるギルバルドは頭上に羽飾りのついた気に入りの兜を被ると、門外に出て蛮族を迎え撃ちます。

「王国ゼノビアが将、剛腕のギルバルド、参る!」

 そうして始められた戦は、凄惨で執拗なものとなりました。狭い谷間に布陣した討伐軍は疾風と剛腕の両軍団が交互に前線に出ると敵を押し戻してから、射手の援護を得て城砦に戻るという戦いを繰り返していましたが、それは味方を休ませながら戦うことができる一方で軍団を自由に展開することもできず、意気盛んに進撃してくる山岳民族を一息に撃滅させることを不可能にしています。蛮族の損害は既に甚大なものとなっていましたが、彼らは圧倒的な人数で落ちかかる霹靂の勢いと、多少の犠牲を介しない無神経とで攻めかかると城砦に取り付いたり突き崩そうと試みます。ことに狭隘な地形を利して鉄車を前面に押し出してくる圧力は相当なもので、討伐軍の重装歩兵隊も度々押し返されると、左右から騎兵の槍や弓で狙われるという有り様でした。
 両者が多数の犠牲者を出しながら幾度も、幾度も衝突を繰り返して倒れた骸やちぎれた腕や脚が地面を舗装しつつ、小規模だが激烈な戦闘が繰り返されて月が二度ほど巡っても双方は未だ勝敗を決することができずにいました。ことに討伐軍にとって想定外だったのは蛮族が予想以上に粘り強く、糧秣の不足を補うために木の根を掘って煮込んで食べる方法を考えていたことと、一方で街道の整備や町の復興が進んでいなかったゼノビアでは物資を送る足が滞りがちなことで、城砦の兵士やそれを支える城下の町で充分な士気を保つことができなかったことでしょう。更に一月を越える前進と後退を繰り返した後で、苦戦もしくは悪戦を強いられた討伐軍は遂に城砦を捨てて軍団を立て直す選択をせざるを得ませんでした。

「やむを得ぬ、後退するぞ!」

 いささか演出過剰な様子でカノープスは命令を発しましたが、現に交戦する敵を前にして逃げることは容易ではありません。討伐軍には相応の思惑がありましたが、それを実現するには撤退しつつ味方と敵を思う通りに動かさなければなりませんでした。まずはカノープスが先導して近隣都市の民を逃がしつつ本国まで送りながら、軍団を退去させましたが勢いづいた蛮族は遺棄された城砦と都市に雪崩れ込むと、待望の破壊と略奪、暴行を欲しいままに行います。それはギルバルドの剛腕軍団をしんがりに退却する討伐軍に貴重な時間を与える一方で、それでも逃げ遅れたり追いつかれた者は犠牲になるしかなく、谷川には血が溢れて山間は増え続ける死体と悲鳴で埋められていったのです。そして地面を覆う死体を鉄車の列がひき潰し、山道をものともしない騎兵が後退する討伐軍を追って駆け出しました。蛮族は連日の戦闘によって多大な犠牲を強いられていたとはいえ、その数は未だ多く山河を埋める勢いで臆病な獲物を追って馬を駆り立てます。
 ですが英雄戦争を生き抜いた百戦錬磨の討伐軍は逃げ続ける中で、左右を剥き出しの断崖に挟まれている渓谷に蛮軍を誘い込むことに成功しました。自ら囮となっていたギルバルドの剛腕軍団が谷間を全力で駆け抜けると、先に砦を離れて山を登り木を伐り出していたカノープスが、剛腕軍団が通り過ぎたところで谷の口に岩と丸木を落として蛮軍の進路と退路を塞ぎ狭い谷間に閉じ込めてしまいます。谷の底には予め硫黄と硝煙を巻いた藁束が敷き詰められており、次々と火矢が放たれると谷の口にも脂を染み込ませて火をつけた藁束が落とされました。

「火を放て!蛮人どもを焼き尽くすのだ!」

 古来より鉄に対して火を用いるは賢人の知る戦の法であり、断崖に挟まれた逃げ場のない場所で炎で焼かれ煙で燻されたローディスの蛮族たちは逃げる暇もなくごろごろ死にました。辺りには肉の焼ける臭いが立ち込め、蛮兵は崖の上から転げ落とした岩や丸木に潰されたり、被っていた毛皮の脂に火が燃え移ると生きたまま全身がろうそくとなって峡谷のあちこちで死と炎の舞踏を踊ります。鉄車は役に立たないどころか焼けて爆ぜるか倒れると数人の蛮族を下敷きにして潰してしまい、暴れまわる騎馬は人々を踏みつけ、または押しつぶしていました。人と馬が死ぬ、あるいは死んでいく様を討伐軍は歓声と共に崖上から見守ります。この殺戮で山岳民族の半数以上が狭い峡谷の中で悪臭を放つ炭に姿を変えてしまい、ことに勇敢な戦士や騎兵である男たちの殆どが谷に飛び込んでいたために残った者も女子供か年寄りばかりでした。彼らは北方へと引き下がることになりましたが、すぐに近隣にあった別の部族の襲撃を受けて二度と立ち直ることはできなかったのです。

 こうして苛烈な戦闘は終結し、戦場となった峡谷は死骸と残骸とで埋め尽くされて北方の蛮族は大きな損害を出して勢いを失い、ゼノビアは当面の危難を脱することができました。それが、正しく当面の危難であったことを知る者はそのときは誰もいませんでした。


 戦役の勝者となった剛腕のギルバルドと疾風のカノープスの功績に対して、トリスタンは早馬を出して両者に満足の意と凱旋将軍の栄誉を与えると勝ち誇る軍団の列は隊伍を為して王都へと還りましたが、彼らの勝利と帰還こそが恐るべき災厄の始まりとなったのです。あまりに激しい戦闘の末に死骸と遺骸を放置せざるを得なかった北方の城砦や戦場跡から、吹き降ろす春の風に乗って病を持った虫と獣が王国に到り、その害毒は瞬く間に疫病となって国を席捲しました。ことに凱旋のために軍団の入った王都においてその被害は甚大なものとなります。

 侵入を図る蛮族は撃退したとはいえ、未だ余喘を保っていた他の諸族に対するゼノビアの懸念は杞憂に終わりました。疫病は王国であれローディス人の森林地帯であれ平等に広がると、互いに多くの犠牲を出してこの機を利用する余裕を奪います。そしてゼノビアに容赦なく襲いかかった疫病と、同時に作物を襲った虫害で多くの人が飢えて倒れ、病人は脇の下から黒くなると全身から膿を噴きだして悪臭を放ちながら死んでいったのです。
 後の史家が皮肉に記したところでは寛容で平等な王国には厄災すらも人々の頭上に平等に降りかかり、それは市井の民人であろうと国家の重臣や王族であろうと例外ではありませんでした。凱旋将軍である剛腕のギルバルドは王都に還るとまもなく病に倒れ、自らの凱旋式を執り行うこともなく盟友カノープスに見とられて命を落とします。そしてそれ以上に王と人民を絶望的なまでに悲嘆させたのは、若き王妃ラウニィーもまた病にかかると手厚い看護と施療の甲斐も空しく息をひきとったことでした。突然の訃報に錯乱した王は卒倒し、目を覚ました後も三日の間、泣き崩れて誰もそれを咎めることはできなかったと言われています。

「豊穣のラウニィーは威厳と気品を備えた女性であったのみならず、戦場において勇敢であり宮廷にあっても聡明だった。王の悲嘆は自分の伴侶を失った悲哀のみではなく、ゼノビアの未来の半分を失った喪失にも等しかったのである。そしてその思いを人民も共有したのだ」

 残されている肖像や記録、説話によればラウニィーは黄金の髪と白皙の美貌を持つしなやかな女性であり、侵しがたい視線とそれに相応しい知性と意志の強さを備えていました。自ら馬を駆り弓を射て槍を振るう、奔放な様が帝国の宮廷では好まれぬこともありましたが、勇敢で親しみやすくしかも賢いこの女性は伝説の赤毛の英雄に並びゼノビアの誰からも好かれていたのです。
 王妃の早逝に王都では厳粛で盛大な葬儀が行われました。亡き王妃を悼む多くの人々が集まり、その中には伝説の戦いを彼女と共に戦った者たち、親衛隊長となっていたランスロットや辺境を治めている騎士クアス・デボネアを始めとして、宗団の本山からは女法王ナルンも心からの弔辞を述べるために王都を訪れています。船旅を経て王都を訪れたアヴァロンの聖母アイーシャと、彼女の従者としてカロリンもつき従っていました。再建途上にあるとは思えない、壮麗なゼノビアの街並みに圧倒されていたカロリンはアイーシャの背を追いながら、周囲の誰もが哀しみを露わにする様を見て故人の生前を想います。

 生前に遡って、豊穣のラウニィーにはゼノビアの共同統治者にして軍団副司令官としての聖なる女王ラウニィーの名が正式に認められると盛大な告別の儀が執り行われます。曇天を覆う暗く分厚い雲の層は、太陽を象徴する上天の神々までもが王妃の死に心を悼めているかのように思われました。

「汝が神々の列席に加わりしことを知る・・・願わくばラウニィー、おおラウニィーよ、我が民と我を上天にて見守らんことを」

 亡き王妃に送る、トリスタンの告別の言葉に人は涙しました。人望においても能力においても、実態においても王と共にゼノビアを治めていた王妃ラウニィーを失った喪失感は余りに巨大なものであり、それは人々の多くが彼女を慕っていたという事実を何よりも雄弁に物語っています。人民は自主的に一年間の喪に伏し、その年は多くの祭事が自粛されるか規模を小さくすることになりました。
 こうして王国を襲った厄災はゼノビアの王や人民を打ちのめし、国そのものに大きな傷跡を残します。多くの人民や多くの重臣、高官が病に倒れたにも関わらず、それを立て直すべき王は悲嘆に暮れたままで王の負担を共に助ける王妃の姿はありません。王国を支えるべき幾つかの支柱が失われ、それは再興と再建が始まって未だ五年程度しか経ていなかったゼノビアにとって大き過ぎる損失でした。芽吹き始めた秩序が平穏の花を咲かせ、繁栄の果実を実らせるに余りに早すぎる時節での厄災は、人に不吉を思わせるに充分だったのです。

 そして王妃を失ったトリスタンの悲嘆は収まることがなく、たとえそれが行き過ぎであったとしても悲劇の発端となったローディスの山岳民族に向けられる目が憎悪に満ちたものに変わったことも当時の人々にとってはやむを得ないことだったでしょう。討伐軍によって捕虜とされていた少数の蛮兵やその指導者、老人から女子供にまで示された処罰の苛烈さはゼノビアの寛容を覆しかねないものだったと言われています。巷間に流布した噂によれば、この時ばかりは王も激昂して、特に残酷な処遇によって彼らを殺害したと言われました。蛮人の殺戮をもう一度再現すべくよく熱した鉄板で挟んで潰したり、山岳民族の頑健な馬に手足を繋ぐと左右に走らせて引きちぎったり、更に王が見守る前で自分が今死につつあるのだということを理解できるようにゆっくりと刺し殺したとも言われました。
 それら残酷な噂の半分以上は誇張が混じった噂に過ぎませんでしたが、例えその全てが事実であったとしても当時それを咎める者はいなかったでしょう。それほどにトリスタンは自分の国と王妃であった聖なるラウニィーを信頼し、そして愛していたということを誰もが知っていました。王の傷心に対する民衆の寛容が残酷な刑罰に対する前例を生み出した、その危険に思いいたる者はそこにはいませんでした。

 こうしてゼノビアは意気消沈し、清新と希望に溢れていた王国には翳りが訪れると優秀な王の統治はその後、停滞こそしなかったものの以前に比べて陽気な活力が失われたことを誰も否定することはできませんでした。ですがトリスタンの傷心を知る者にとって王の悲嘆は無理からぬことであっても、それによって国が混迷に陥ることは無論避けねばならず、優秀な共同統治者であった聖なるラウニィーを始めとして、失われた政治と軍事を支える柱は残った側近や高官たちが補わなければなりません。
 王都にてその両軸となったのが尖塔の賢者ウォーレンと親衛隊長のランスロットであり、ことにウォーレンは王城に建てられた太陽を崇める真理の尖塔に入ると、そこで王の顧問として数多くの助言をもたらしました。疾風のカノープスは軍団長の中でも筆頭格として軍を統括し、宗団の本山では女法王ナルンと、王都からその護衛を託されたクアス・デボネアが各地に赴いて疫病に苦しむ人々を救うべく尽力します。アヴァロンの聖母アイーシャは島にある神殿に戻ると、そこに湛えられている湖の清浄な水が疫病を退けるに優れていたため、多くの人々を島に受け入れて施療にあたっていました。

「聖母様。少しお休みになりませんと・・・」
「そうね、有難う。あと一部屋回ったら休みましょう」

 アイーシャを手伝っていたカロリンは、幾度かそのようなことを言いましたが赤毛の少女自身も若さと体力が許す限り奔走しています。その時は、生き残っていることが幸福であって幸福を人にもたらすことが神殿の役割でした。疫病にかかった患者はのど首や脇の下が黒くなっていくとやがて膿を噴きだして、そうなると最早助かる術はなくなりましたが症状が軽いうちであれば、神殿に近い湖の清浄な水を含ませた布でよく拭いて祈りを捧げればかなりの割合で助けることができたのです。祝福された神殿の水を求めて、アヴァロンの小さな神殿を訪れる者は日々耐えることがありませんでした。

 こうして塞ぎようのない大きな傷を抱えたままで、ゼノビアは足取りの重い旅路を再び歩み始めることになります。時として王は王妃を殺害した張本であると信じるローディス人の討伐には異常な程に精力的になりましたが、概して無気力になって懐かしむべき輝かしい日々を思い返してはため息をつく有り様でした。その後幾度にも渡って繰り返された討伐軍の出征は山岳民族を度々痛め付けましたが、元来遊牧の生活を営んでいる彼らを掃滅することは容易にはできず、時とともに流された血の量に比例した拭い取れぬ憎悪だけが積み重なっていったのです。憎悪は反抗を生み、やがて王国を取り巻く蛮族との戦いはゼノビアの日常の姿と化していきました。

「兇羅蛮畜断固討つべし。その亡骸を盟友の墓前に捧げ上天への贄と為すのだ」

 トリスタン同様に、山岳民族に深い憎悪を抱くようになったカノープスを強硬派の急先鋒にして戦は続けられましたが、それは国の支柱を失った王国が注力すべき力の多くが戦乱に裂かれていることを意味していました。北方の国境近くで拡大する騒乱に対応するには兵が足りず、また王国を守るべき城砦や塁壁は英雄戦争や先の北方戦役によってその多くが破壊されており、放置されたままでそれを修復する時間も資材も、人員も不足していること甚だしかったのです。
 それでもカノープスの指揮下で、雷光軍団のアッシュと無敵軍団のライアンの両名が構築した追跡と包囲の陣形は山間の街道の要所を焼き払ってそこに陣営を築き、蛮族の連携と移動を断ち切って個別に撃破するという地道な方法を確立させて遂に山岳民族の大半を殲滅することに成功しました。その遠因には疫病と放置された遺骸によって山岳民族自身も疲弊していたことがありますが、いずれにせよ討伐の戦は二年もの歳月をかけてゼノビアを疲弊させると、喜びの少ない勝利を王国にもたらすことには成功したのです。

 長い騒乱は王国を疲弊させましたが、ことに兵員の不足は王都の治安を悪化させる原因ともなりました。ゼノビアが抱えている各地の自治都市を安定して治めるために必要な軍勢は、王都には用意することができず各都市においても多くの兵が山岳民族討伐に徴集されてしまい、各地では町の門衛すら不足するような状態だったのです。遂に王都では各自治都市に対して自力による治安維持を要請せざるを得なくなり、王都の抱える軍勢とは別に比較的大きな都市が周辺の小都市と協力して自前の軍勢を設け、警護の兵が増強されることになりました。その陣容も装備も均一なものではなく、各地の富力や財力によって軍勢が支えられることになっていきます。それは一面を見れば地方に対する中央権力の放棄であり、王に対抗し得る勢力の誕生であって後の史家が語る中世の開幕でした。
 ですが、このことでゼノビアやトリスタンを批判するのは酷というものでしょう。実際のところ、打倒された帝国の時代でも既に各都市には各々の領主を仰ぎ、それらが警護隊を設けて人民を治めていた例も多くありました。ただし帝国の時代であれば強大な軍備と強引な統率力によってそれらを牽引し、堅牢を誇っていましたが英雄戦争の時代にはそれらも弱まって、各地では帝国に与せず叛乱軍に手を貸す者も多く現れるようになっています。中央権力が地方を集権的に統治する能力はゼテギニアが倒壊する以前に失われて久しく、それ故に叛乱も成功したのであって、その後わずか数年で新興の王国がそうした情勢を立て直せる筈もありませんでした。

 時間が必要でした。しかし、彼らにはその時間が与えられなかったのです。


二章.世俗と信仰を読む
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