子供たちが森と呼んでいる、裏山の向こうは自然のいきものたちの世界でした。少なくとも子供たちはそう思っていましたし、どこまでなら行ってもいいか、その先に行ったらいけないかどうかは大人に言われなくても自分たちできちんと決めてしまうものなのです。山向こうに続く一本の道、そこには見えない境界線が引かれていて、子供たちの目にはそれがはっきりと見えるのでした。
ですが、決まりごとを知っているということとそれを守るかどうかはもちろん別のことでしたから、往々にして勇気のある子供たちというものはその線をこっそり越えてしまうものです。つま先ひとつだけであったり、振り返れば境界線が見えるぎりぎりのところまでだったり、境界線のまるで見えなくなる遠くまでだったり。
境界線を越えた子供は帰ってきたり帰ってこなかったりしましたが、さて誰が帰ってこなかったのかというとその記憶はあいまいで、もしかしたら次の日にはその子と一緒に遊んでいたかもしれません。それに子供たちは自分たちだけが知っている、秘密の抜け道を持っていましたからそこからならこっそり境界線の向こうに行くことだってできたのです。もちろん、こっそり行くわけですからそれを他の人に知られてはいけませんけれど。
「うん、大丈夫。行こうか」
三人の子供たちはたくさんの秘密の抜け道を知っていました。それは山道の向こうにあったり森につながる道からはずれて茂みにもぐりこんだり、列車の通る橋げたを渡ったりときには大人でさえ知らない小さな沼をぐるりと回りこんだ向こうにあったりするのです。
そのうちのひとつは男の子が見つけたもので、他の二人を案内して森の奥にある小さな沼のさらに少しだけ奥にある抜け道を通り抜けるとそこには日のあたる小さな草地がありました。日の光に下草がおいしげっている、そこに三人が来るころにはお日さまはすでに頭の上までのぼっていて、子供たちは固くて安いパンで空腹を満たしながら風に乗ってながれるいきものの音に耳をかたむけます。
「そろそろ戻ってきたぞ」
それはたいていは鳥の鳴き声であることが多いのですが、ときには野ねずみが走りまわる音だったり、沼からのぼってきた達磨蛙がかさりと鳴らす草の音だったりすることもありました。それにやもりや蛇や、大きいものだと山鳩や野うさぎが現れることもたまにはありましたし、それぞれがちがった音を立てていますがどんなに静かにしてもいちばん大きいのは子供たちが立てる音でした。
いきものが立てる大きな音は、それより小さな音しか立てないいきものをおどろかせてしまいます。子供たちは草地にいるいきものをおどろかせるつもりはありませんでしたが、彼らがここにやってくるとたいていのいきものはその音に逃げてしまうのでした。ですが、そのまま静かに静かにしているとやがて風に乗っていきものたちの音が戻ってきて、いつのまにかいなくなっていたいきものたちもまた自分たちの音を奏ではじめます。
ちぃ、ちぃ、ちぃ
かさ、かさ、かさ
きょ、きょ、きょ
それがどのいきものが立てる何の音であるか、子供たちはぜんぶ知っていました。つがいの鳥や、同じ達磨蛙であっても何匹もいるそれぞれがちがう音を立てるということも子供たちは知っています。それは、いきものたちのことばであったのかもしれません。
「もう少し、何を言ってるかわかるといいんだけどな」
男の子がつぶやきます。その声が草地のいきものたちをおどろかせることはありませんでしたが、子供たちのことばがいきものに聞こえることもまたありませんでした。一緒に日にあたっている森の小さないきものたちの中で、彼らだけはたんなるお客様でしたから、誰の邪魔にもならないよう静かに耳をすませているだけしかできません。それが、ほんの少しだけさみしくなることもありました。
はた、はた、はた
つん、つん、つん
日のあたる、風の抜ける草地に集まるいきものの立てる音が子供たちは好きでした。自分たちがその合唱に参加できないということは、子供たちには残念なことだったにちがいありません。草地の合唱に参加できない、ニンゲンはなんて音痴ないきものなんだろうと思うのです。
ただ、ニンゲンが作った楽器の音は草地のいきものたちにも聞こえるようでした。あまり大きな音を立てない、笛や鈴を鳴らしていても彼らはあまりおどろきません。そのことを知った子供たちは時折、小さな楽器を持ってきては草地の合唱でない合奏に参加させてもらうのです。
きょ、きょ、きょ
つん、つん、つん
りい、りい、りい
日のあたる小さな草地に、いきものたちの音色がひびいていました。人はことばをなくしてしまいましたが、もしかしたら歌はまだなくしていないのかもしれません。
風に流れる葉ずれの音に乗って、笛の音が草地を抜けていきました。
おしまい