ぱられるわーるど/ひなたで過ごす


 男の子の家には石の土台と土壁と、かわらの屋根でできた大きな蔵がありました。そこがふだんは鍵をかけられた、隠された宝の山であるということを子供たちは知っています。男の子はその蔵の鍵を貸してもらっていましたけれど、天井裏と床についている小さな戸の鍵だけは貸してもらうことができませんでした。それはもしかしたら、その鍵がとても昔に失われてしまっているせいかもしれません。男の子がもっと小さかった頃は、この蔵に入ることだって許してはもらえませんでした。今でも天井裏にも床下にも行くことはできませんが、大きな古い蔵の中だって子供たちはまだ探検し終わってはいないのです。
 男の子が蔵の鍵を貸してもらえるようになったとき、いっしょにもらったのは男の子のための大きな道具箱でした。それは木でできたただの大きな箱でしたけれど、自分の道具は自分の場所にきちんとしまうべきだと、いろいろな工具や道具といっしょにその箱をもらったのです。男の子の祖父や父親はもちろん自分のための道具箱を持っていて、それは見てもいいけれど中身に触ってはいけないときつく言われていました。中には鉈やかなづちといった大きな道具が入っていて、その気になれば子供の腕なんて竹のように切ってしまえるのだ、と大人たちは驚かしたものです。男の子は自分のために小さな小刀やのこぎりのような道具をもらっていて、それがきちんと使えるようになったら新しい道具をもらえる筈でした。一度女の子がそれを手に取ろうとして、たいへんなけんかになったことがありましたが、その時だけは男の子もゆずりませんでした。

 その女の子ともう一人の男の子を連れて、三人は蔵の中で掘り出し物を探したり、ふしぎな材料を組み上げてはなにかおもしろい物を作ることがありました。だいたい子供というものは工作が好きだったりするものですが、それは男の子でも女の子でも変わりません。それに、大きな工具をもらえないことが多い女の子にとっては大きな道具箱が立派な宝の箱のようにも見えるのです。
 その日は木の板や、そこらで見つけたがらくたを集めてきて子供たちは好きな物を作っていました。日がな一日かかったような、もっと何日も蔵に通っていたような気もしますが、女の子が彫刻刀で器用に魚を彫ってみせたり、それをつるつるになるまで磨いていたりしましたからけっこうな時間はたっていたのかもしれません。

「あれ?どこに・・・」

 何を落としたのだったか、男の子が蔵の隅っこを探していると、その手にふれたのは大きなバネでした。くすんだ銀色をした、かなり頑丈でかたいバネを手にした男の子はそれが何だか分かったとたんに、他の二人を呼びました。女の子と男の子は自分の手に持っている物も忘れたように、この珍しくて魅力的な部品に子供たちの想像力をすべて奪われてしまいます。たちまち、彼らは彼らの設計図にだけ書かれている物を作るべく、ありったけの工具や道具を持ち出しては他の部品を探しはじめました。

「これを引っかけたら使えないかな?」
「板を合わせたら強くなるんだ」
「かたーいっ!」

 大きなバネをしっかりつないで、それを取っ手でぐいと引っ張る。力の弱い女の子でも使えるように、取っ手はハンドルとかレバーのようにぐるりとまわして、それを引っかけるようにする。できあがったそれは頑丈でかたいバネに取っ手をつけて引っ張り、それをぱちんと止めることができるというだけの道具でした。
 その道具がどんな意味を持っているか、大人には分からないかもしれませんが、子供にとって人力でなくても動く動力機関というものは夢の道具にも等しいのです。動力があれば宇宙船だって飛ばすことができるし、ロボットの心臓にだってなるかもしれないではありませんか!

「さーて、何に使うかな?」

 子供たちが最初に思いついたのは、荷はこび用の小さな台車に結んでこれを走らせることでした。輪にしたひもを車の軸に通して、それをぐるぐるときつく巻いてからバネを止めます。取っ手をはずすとバネの勢いで引っ張られたひもはすごい勢いで車をまわし、台車は弾かれたように庭の端から端まで飛んでいって生け垣にがさりと突っ込みました。

「やったー!」

 大成功に気をよくした子供たちは、その台車に自分で乗ってゆっくり走らせてみたりいろんな実験をしてみます。子供たちが使ってもいい道具や部品で作った物ですから、これは使っていい物に違いありません。子供たちの頑丈でかたいバネは小さな船に乗せたり、お皿をつけて石ころを飛ばしてみたり何でもできるすばらしい道具でした。もちろん石ころを飛ばすときには物がある方に向けたりはせずに、大きな池まで持っていってどこまで飛ばせるかを実験するのです。
 石ころをお皿に乗せて、バネの力で勢いよく飛ばす砲台に大きな筒をつけてまっすぐ飛ぶようにしてみよう、それを思いついたのが誰だったのかは三人とも思い出すことができません。それまで山なりに飛んでいた石がまっすぐ飛んで、がつんと蔵の壁にぶつかると、大きな石ころはかんたんに二つに割れてしまいました。これは子供たちが使ってもいい道具や部品で作った物ですから、きっとこれも使っていい物のように思えるのですがちょっと自信がありません。
 でももちろん子供たちにだって子供なりの分別というものがありますから、積み上げた藁たばを丸石で貫通できるかとか、裏山の土に石を打ち込んでみるとか、そんな実験にしか使わない筈だったのです。

 だから今でも、どうして三人ともあれほど怒られるようなことになったのかはちょっと分からないでいるのです。


おしまい

                                      

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