子供というものはいろんなところを歩くものです。子供にとって、道というものは新しく見つける道のことも道というのですから。家を出ると目の前に広がっている道、大人に連れられていった道、車が入っていく道、壁をこえたり塀のすきまを抜けたら見つかった道、そして踏みわけた林や茂み、川原や水を渡る石の上だって道のひとつになっています。
木々の間や草のかげを通っている、土がむきだしになった細い道を歩くときは子供たちは横にひろがって歩くことができません。行進するのに横にひろがったりしたら、どんな罠にかかるか分からないからです。先頭の子供が道を選んで、他の子たちがそれに続いていくためには子供たちは一列になって歩くのが当然でした。人数が多いときでも、並んで歩くことができなければ危険な冒険に出ることができないことを、子供たちは大人よりもよく知っているのです。
「そこの石は踏んだらだめだぞ」
「わかってるよ、そんなこと」
頭の上に張り出した枝が、色の薄まった緑の影をつくっていて子供たちの足元にまだら模様を描いています。転がっている石にはごつごつして踏んでもいい石と、平たくて濡れたらすべる石、とがっていて踏んだら危ない石と、いろんな石があって特にとがった石はうっかり踏んでしまうと、石が傾いて転びやすいので気をつけなければいけません。
土と石の道には細い葉っぱがせりだして、子供たちの足をかさかさとこすっています。夏になって草が元気なころには葉っぱで足を切ってしまうこともありますし、雨つゆでぬれているときは石も土もすべりやすくて、草のしずくが足にくっつくので気持ちのよいものではありません。ぬれた靴には砂や土がついて、すぐに泥だらけになってしまいます。乾いて黄色くなるまでの間、重くなった靴は子供たちの足に重しをつけるようなものでしたから、ときどきこつこつと石に靴をぶつけて泥を落としたりしないといけませんでした。
冬のさなかであれば土と石の道をおおっている葉っぱはもっと短くてやわらかく、たいていは土も草もかわいていました。枝のあいだを抜けて差し込んでくるお日さまの光を吸った、あたたかい道を歩いたり走ったりするこの季節の感触を、子供たちの足は覚えていることでしょう。
ただ、冬であっても舞いあがった砂や土は子供たちの足を黄色い煙につつんでしまいますから、そんな道を歩く子供たちの靴がやっぱり砂や土におおわれてしまうのはしかたがありません。晴れた日に、川にも池にも行っていない子供たちが泥だらけになってしまう、どうしてそんな当たり前のことが大人には分からないのか、子供たちは不思議に思いました。
「今日はどこまで歩こうか」
子供たちがよく歩く、一本の土の道があります。そこは木々のあいだを通っている道で、頭の上に張り出した枝が緑色の影をつくって足元にまだら模様を描くような、そんな道でしたが冬の今ごろには葉っぱの屋根も薄くなっていましたし、足元の草も短くて歩きやすい道でした。ところどころには、ひらけて屋根がまったくない場所もあってお日さまが地面をあたためていましたから、平たい石や岩がある場所を選んで子供たちは腰をおろしたり食料をひろげることだってできるのです。
「あー、そのパンもってきたんだ」
「全部はあげないよ」
あまりお日さまが差し込んで草が多く茂っていたら歩きにくくなりますし、暗くて道が細いばかりでは休むことだってできませんから、その道は子供たちが歩くのにとても歩きやすい道の一つでした。その道を歩くこと、それ自体が子供たちにとって冒険になるような、そんな土と草の道があるものです。
そんな道で、どさり、という音を子供たちは聞くことがあります。それは子供たちが休んでいるときだったり、歩いているときでも前や後ろの少し離れた草のかげから、何か大きなものが落ちたような音がするとそのまま通りすぎてどこかへ行ってしまうのです。
いきなり、目の前の茂みがゆれて大きなものが落ちてくると、女の子はとても驚くので嫌いでしたが男の子は後ろに落ちてくるほうが姿が見えないのでよほど嫌いでした。ときおり見えたときは、シマヘビだったり野ねずみだったりするようですが何しろあっという間ですから、それが何であったかそう分かるものではありません。たいてい、同じ場所で会うことが多かったので、そこがその生き物たちの道になっていたことを子供たちは知っていました。自分たちだって歩いている道なのですから、ヘビやねずみが歩いたところで文句を言うわけにはいかないのです。子供たちの道と、どさりとしたものの道がそこでは一緒になっていました。
「あれ、こんなところに柵ができたんだ」
それはいつごろのことだったでしょうか。土と石でできた子供たちのその道は、雨がふるとすべったりぬかるんだりして危ないので大人たちがところどころに石や木を敷いて階段をつくり、柵を立ててもう少しきちんとした道に変えてしまいました。道は歩くのに便利になりましたし、それでも坂や階段ばかりの細い道ですからたびたび人が通るようなこともなく、子供たちが困ることは何もありませんでした。
頭の上に張り出した枝は同じように緑色の影をつくっていましたし、足元に敷かれた石や木の上にだって細い草がせりだしていて、子供たちの足をかさかさとこすっています。子供たちは雨あがりにもその道を歩きやすくなって、とがった石を踏んで転ぶことも少なくなって、平たい石や岩の上で休むことだって今までと同じようにできました。
ただその道で、子供たちがどさりという音を聞くことだけはずいぶん少なくなったのです。一本の道が少しだけ歩きやすくなって、そこに通っていた別の道がどうにも歩きにくくなってしまったらしいことを、知っていたのはたぶん子供たちだけだったでしょう。
「今日はどこまで歩く?」
「そうだねえ」
子供たちはそれを少しだけ残念に思っていましたけれど、子供たちが歩く道といきものたちが通る道が一緒ではどうにも具合が悪いことは、子供たちだって知っています。何か大きなものがどさりとあらわれて、子供たちが驚くのであればそのいきものだって一緒に驚いていたのですから。
その日の子供たちはもう少しだけ遠くに歩いて、そこでまたどさりとしたものを驚かせてしまうことでしょう。子供たちはどこに行けばまたそのどさりというものに会うことができるのか、それをきちんと知っていました。
おしまい