ぱられるわーるど/ひなたで過ごす


 人に言えない宝箱。女の子のそれは誰かに見せることが恥ずかしいからではなくて、誰かに見せたところで女の子以外には分かるはずもない宝物がぎっしり入っているからでしょう。子供だった人たちのたいていが持っているにちがいない、そんな宝箱の中には何ということのない宝物にまつわる話がこめられているものです。子供のころの、小さな話。

 それは一枚のハンカチーフにまつわる話。女の子のそれは一見して何ということのない頑丈な白っぽい布でできていて、女の子のものとしても子供のものとしてもちょっと大きいハンカチでした。飾りも柄も模様も絵も何もない大きな布で、もしかしたらそれは単なる布きれを気に入った女の子がハンカチーフに使っていただけだったのかもしれません。
 男の子たちはそんなハンカチを持っていないことすらありますが、女の子はどこへ出かけるにも遊びに行くときにも何枚かあるそれを忘れたり手放したりすることはありませんでした。ですが何の飾りもないそんな布きれが女の子のハンカチーフらしく使われていたかといえば、たぶんそんなこともなかったでしょう。

「谷まで行こうよ。丸石ひろいたいな」
「いいけど食料ある?」
「今日のおやつもらってきたよ!」

 甘くて安っぽいクッキーをくるんできた女の子のハンカチーフが、帰り道には白っぽくて丸い石ころをくるんで持ち帰ることになるのでしょう。子供たちがずいぶん小さかったころの話。泥だんごでもザリガニでもチョコレートでも、そのままポケットに入れたらやわらかくなったり潰れたりしますから女の子はたいてい何でもハンカチにくるむようにしていました。
 もちろん汚れたハンカチを持って帰るたびに怒られたりしかられたりすることもありましたけれど、そのままポケットに入れるよりは欲しいものがずいぶん壊れにくくなるものです。ザリガニなんてくるんでからよく濡らしておけば、ずいぶん元気なままで家に持ち帰ることだってできました。さすがにトンボをつかまえたときに、くるんで持って帰ってもくてんとして元気でいるというわけにはいきませんでしたけれど。

「あー、それいいなあ」
「やんないぞ。貝殻はめずらしいんだ」

 山の向こうにある、水が枯れて流れていない谷間にはきれいな石や色々なものが転がっていることがありますが、古い貝殻とか模様が入った岩のかけらとかめったに見つからないものだって隠れています。男の子たちにクッキーをふるまった、女の子のハンカチーフはそんな貝殻や石ころをみがいてきれいにしたらくるんで持ち帰るのに使っていましたが、暑くてたまらない日によく濡らしてから首にまいたり頭の上にのせてみたり、何にでもべんりに使っていたことも思い出すことができました。たいていは、一枚ではなく二枚とか三枚とか持っていくようにしていました。
 何にでも使われていた、そんなハンカチーフはたぶんきれいでも女の子らしい道具でもなかったのかもしれません。それでも女の子のハンカチはいつだってべんりで役に立ちましたし、女の子はいつでもそれを持っていて忘れたり手放したりすることはありませんでした。

「ちょっと、そっちあぶないよ!」
「え、あれ?わあっ!」

 ときには男の子が急な坂から石ころだらけの上に落っこちたりして、ひざに大きな穴があいてしまったときに女の子がハンカチを巻いてあげたこともありました。子供というものにとって、けがをしたら負けですから男の子はさんざんばかにされましたが、とりあえずハンカチでしばってからずいぶんかかってようやく見つけた蛇口の水でひたすら洗って男の子のシャツでぐるぐる巻いてしまいます。ものすごく水がしみて、男の子は足を押さえながら文句を言っていましたが負けた子の言うことなんて知ったことではありません。
 そのときは足が取れちまうのではないかとも思いましたし、しばらくお風呂に入るのがたいへんだったみたいですが、何日かしたら男の子もまた遊びにくるようになったし足が取れてもいませんでしたからたぶん大丈夫だったのでしょう。そのときのハンカチはもちろん男の子が持って帰ってそれきりになってしまいましたが、ぼろぼろで捨てられてもそれはしかたがないかと思います。

 そんなことやこんなことで、何枚かあったはずの女の子のハンカチーフは捨てられたり使ってしまったり、気がつけば一枚ずつなくなっていきました。女の子もだんだん大きくなって、かわりに買ってもらった新しいハンカチに女の子らしい柄や飾りや模様が入るようになってくると、気がついたらもうハンカチーフにトンボやザリガニがくるまれることはなくなっていましたし、女の子もトンボやザリガニをつかまえに山や川に行くことが少なくなっていきました。
 古くなって捨てられたりどこかにいってしまった、子供のころのハンカチーフ。それは何枚も何枚もあったにちがいありませんが、今も女の子の宝箱に押しこめられているのは何の柄も飾りも模様もない、あのころの最後の一枚が残っているきりです。おかしなことに、その一枚だけはかくべつきれいでどこも汚れたりくたびれたようには見えませんでした。


おしまい

                                      

を閉じる