ぱられるわーるど−たんぽぽに支配された世界の芽−


 世はおしなべてたんぽぽ。この世はたんぽぽに覆われた世界。種と花粉だけではなく、自ら株分けして増える究極の植物、西洋たんぽぽに地表を覆い尽くされたこの世界では、春をすぎると一面がまっしろな綿毛に包まれる。綿毛にのって飛んでいく大量の種はやがて地表におりたち、根づいて、それから。

 こんにちは、わたし、田中いずみ。たんぽぽに支配された世界に住むオンナノコ。滅びに瀕したこの世界、ちょっと違う、滅びに瀕したニンゲンの世界では、既に大地の四割以上が西洋たんぽぽに覆い尽くされている。今から二十年前、わたしの生まれる何年か前にこの国に輸入された西洋たんぽぽは、国産のたんぽぽを含むそれまでの生態系を駆逐して、繁殖して、その後十年くらいでこの国を完全に支配してしまった。
 同じくらいの時期に輸入された西洋ザリガニや大口鱒や黒コガネムシが、やっぱり国産の同系の生き物を駆逐した例もあってニュースになったんだけど、そんな中でもこの国の風土に最も適合して爆発的に増えたのが西洋たんぽぽだった。何しろ、たんぽぽたちは他の木々や植物でさえも席捲し、アスファルトを破り水道管に穴を開け建物を崩して、今では水の上とかなりの高地を除いては、どこでもたんぽぽが生息している。そしてこの国で繁殖したたんぽぽは、既に輸入される以前のたんぽぽとは異なる変異種になっていて、ここ数年の間に季節風に乗って大陸に渡り、今ではお隣の大陸もほとんど全てたんぽぽの世界。さすがに山脈や砂漠越えはたいへんみたいで、その辺りにまではまだたんぽぽの生息域は及んでいないけれど。

 で、どういうことになったかというと、卑小なニンゲンは未だたんぽぽが到達していない国に移住して、あとは僅かに建造された水上都市と、残された高地に逃げてひっそりと暮らしている。滑走路はほとんど使えないし、頑丈に作られた旧式の線路を除いては電車もぜんぜん動かないから、交通も輸送も不便になって、この国の文化は百年は後退してしまったとさえ言われている。もちろん、一部の無線通信とか水上交通は、今まで以上に奇形的に発達したんだけど、その辺は情報管理学と交通管理学を専攻している友人の方がずっとくわしい。
 西暦1992年、文部省が提示した教育科目の専門化と選択制度の導入は、今ではこの国になくてはならない制度になっている。たんぽぽの侵食による影響から社会システムを守るためとしていろんな分野から知識が集められることになって、特に通信網と交通網の確保はとても重要なものらしいので、わたしより五歳年上くらいの人が光磁気式の無線通信網の開発とかにたずさわっていたりする。極点に向かう地磁気と平行に幹線としての磁気をすべらせるとかいう方法なんだけど、目に見えないモノを理解するのはどうも苦手。今は新聞なんて届けられないしとっくの昔に廃れてしまったから、こういったニュースを得るのにだって無線通信の存在は欠かせない。実際は無線といってもわりと頑丈な地下の経路は有線で、そこに建てた頑丈な基地局からは無線通信を使っているらしいんだけど。

 たんぽぽは今も広がっている。わたしの家も塀とか物置とかはとっくに崩れてなくなってるし、補修はしてるけど勝手口とお風呂場の近辺にはもうたんぽぽが家の中まで侵入している。西洋たんぽぽの苦みを取る方法が発見されたおかげで、毎晩たんぽぽのおひたしには事欠かない。ちなみにこれを発見した人は、わたしの母と同年の普通の主婦らしい。やっぱり生活してる人って偉大だと思う。

 たんぽぽは今も広がっている。広がってはいるんだけど、そろそろたんぽぽの支配域も頭打ちになってきた。実のところ、たんぽぽが到達している生息域は全世界の陸地の六割に達しているんだけど、そもそもの発生源とされるこの国を中心に、場所によっては既にたんぽぽの数がまばらになりだしている。繁殖力の弱い品種との交配だとか、たんぽぽを食べる虫や動物の養殖だとか、ニンゲンの行ったいくつかの対策はほとんど効果を見せていないのに。
 自然淘汰、というものがある。チャールズ・ダーウィンの提起した進化論の一本の柱なんだけど、無作為の変異体のうちで環境に適合した個体が生き残ることで、結果として進化が行われるという理論。たんぽぽの世界に適応した一部の植物は、既にたんぽぽを押しのけて陽光を全身にあびる生活をはじめている。この国にいるてんとう虫と白いつめくさとは、二十年前の個体とはあきらかに違う生き物になっているんだけど、意外とその事は知られていなかったみたい。こないだわたしの自由研究がなんとかいう大学の先生に評価されたらしいけど、他にも旧来のこの国の生き物が今の環境に適合しつつある例が上げられていて、わたしの自由研究もその中の一つに取り上げてもらえることになった。

 たんぽぽの異常繁殖にともなって、逃げ出さなかった生物たちの多くは環境に適合して進化した個体が生き残りつつある。いや、そうじゃない。本来はニンゲンの異常繁殖にともなって、いちばん最初に環境に適合したのが西洋たんぽぽであったというだけ。他のいろんな生物たちも、遅ればせながら環境に適合しつつあってそれがこの国に広がりつつある。適合してないのは、ニンゲンだけ。だから、じきに自然淘汰されるのがニンゲンであるのはたぶん間違いない。ニンゲンの壊した世界でもきちんと生き残る生物たちは多く存在するんだけど、その中にニンゲンが入ることは今のところできそうにない。今すでに追い出されている現状を思うと。

 さしあたってはたんぽぽがこの世界を支配しつづけ、やがて他の生き物がその支配域を奪っていくことになるだろう。徐々に、わたしの家のまわりからもたんぽぽが減っていくにちがいない。それまでわたしの家が崩れずにすめばの話だけれど。
 でもわたしにとっての問題は、たんぽぽのおひたしを食べる機会がそのうち減るかもしれないことなんだ。


おしまい

                                      

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