進化論について。チャールズ・ダーウィンの提唱した進化論は無作為の変化と自然淘汰の二本の柱によってなりたっている。ニンゲンが異常繁殖したこの世界で、様々な生物の変異体が誕生した。そのうち、樹脂とアスファルトとコンクリートに覆われた環境でも生き延びることのできる個体が残り、他の個体は自然淘汰されていく。そして、特殊な環境で生き延びることのできる特殊な個体は世界を席巻し、他のいきものを追い出してしまった。こうして、たんぽぽたちは世界を席巻した。
西洋たんぽぽ。種だけによらず、自分で株分けしても増える究極の植物。樹脂とアスファルトとコンクリートで覆われた環境に適合したのは、強靭で長い根と強い生命力と繁殖力とを持つこの植物たちだった。彼等はアスファルトを割り、水道管を破り、建物を崩して世界を自分たちのものにしてしまった。たんぽぽの異常繁殖はニンゲンの脆弱な文化と文明とをうちくずして、追い出してしまった。
こんにちは。わたし、田中いずみ。たんぽぽに覆われた世界がそろそろたんぽぽに覆われなくなってきた世界に住んでいる、ごく普通のたんぽぽ娘。最近、ちょっと気が重い。ニンゲンの建てた環境を破壊して、世界に根を下ろしたたんぽぽたちは全世界の陸地の六割にまでに生息域をひろげて、完全に生態系をめたくたにしてしまった。
違う。
根を張った植物は風によって土壌が飛ばされるのを防ぎ、葉をつたう朝つゆは土壌に水分をもたらし、そして植物自体が地面から熱が奪われるのをふせぐ。ニンゲンがめたくたにしてしまった生態系に適合して繁殖したたんぽぽたちは、彼等が植物であるという理由だけでめたくたになった土壌を回復させてしまった。
いきものは、土にいきるものである。回復した土壌にいろんないきものが帰ってきて、それは樹脂とアスファルトとコンクリートに覆われた世界には適合できなくても、たんぽぽに覆われた世界にはかんたんに適合してしまった。小さなてんとう虫や白いつめくさが、そしてそれを追って鳥や野ねずみが帰ってきた。都会の裏路地の排水溝を走り回っていたねずみたちは、あっという間に草の陰を走る野ねずみになってしまった。今では、地面のすぐ下にはもぐらやみみずが動きまわっている。
そんな中で、たんぽぽたちの優位性は失われてしまった。たんぽぽに支配された世界、もうこの世界は樹脂やアスファルトやコンクリートには覆われていないのだから。たんぽぽが増えなくなってきて、かろうじて生き延びることが決まったわたしの家はもう、20年前の人たちにはとんでもない田舎の家にしか見えないだろう。古い日本家屋はたんぽぽが浸食した世界の中でもほとんど崩れなかったそうで、柱や梁の建て方なんかが最近は見なおされているらしい。今日も、わたしはたんぽぽのおひたしを食べる。
何だか、気が重い。
こないだ、朝から列車に乗って一日学校をさぼった。わたしももうじき卒業だし、単位は足りているし、進路も決まってしまったからやることもない。わたしの進路はわたしがいつもやっているたんぽぽの自由研究からきたものだったから、やらなければいけないことというのはいつものことしかない。いつものことをまじめにやるのはとてもたいせつなことだとは思う。
列車の終点。そこはまだ一面がたんぽぽに覆われた世界。丘の連なりに見渡すかぎりのたんぽぽ。わたしはそこに転がって、たんぽぽの暖かさに触れながらまどろむ。この季節、葉っぱだけになったたんぽぽは短いお日さまの光と熱とをためこんで、地面がとてもあたたかい。
そこは夢の中。世界を覆い尽くした一面のたんぽぽ。そこにはたんぽぽ以外のいきものは存在しない。たんぽぽを襲って食べてしまういきものもいなくて、彼等はただ一日お日さまの光をあびて、風にあたり、時には雨に洗われ、時をすごす。それがたんぽぽの願い。たったそれだけがたんぽぽの願い。
それはいきものにとってあたりまえのこと。
いきものは、自分たちだけが生き延びることを前提に生きているものたちなんだ。たまたまそのバランスがとれているおかげで、生態系はまわっているだけ。たんぽぽのささやかな望みが決して叶えられないものであることを、わたしは知っている。わたしはその願いが決して叶わないことを君たちに教えられたニンゲンだから。だから、気が重い。
わたしはニンゲンだから、ニンゲンに覆い尽くされた世界を望んでいる。それは叶わない願い。そしてわたしはたんぽぽと一緒に生きていきたいと思いながら、今日もたんぽぽのおひたしを食べている。それは悪いことだとは思わない。ただ、気が重い。
ここしばらく、いろんなデータを集めてきた。既にたんぽぽはその生息域を狭めつつある。たんぽぽの生きる環境に適合したいきものたちがたんぽぽを襲い、そしてたんぽぽは自分たちの武器であった樹脂とアスファルトとコンクリートに覆われた世界を、自分たちの手で崩してしまった。もうすぐ、たんぽぽたちは席巻されてしまうだろう。わたしはそのたんぽぽたちと一緒に生きて、育ってきた。
これからも、わたしはたんぽぽたちと一緒に生きていきたいと思う。
彼等がこの世界の支配権を他のいきものにゆずってしまった、その後でも。
ニンゲンではなく、たんぽぽ娘の田中いずみとして。
おしまい