ある箱庭生活者の肖像


 トリニティウォーの研究が最も進んでいるのはハルモニアでした。研究という概念はもともとハルモニアに所属するものであるのですから、それは仕方のない事であったのかもしれません。かつてイタリアのヘルメス主義者が語った言葉に曰く、叡智は直観と理性と快楽によって得られるというものがあります。その後に彼自身の思想として真理は第三の非理性的体験によって近づくという語が続くのですが、世界を占める思想を巡る三つの勢力の争いにおいて、これは古くから続いている思想の潮流が既に現在の世界の様相を覗かせるものではありました。尤も、後代になれば人は過去に現在への必然を求めようとはするものでありますが。
 蛍雪荘と呼ばれる古びたその安普請は、三者の思想による力の影響が及ばない極小さな中立地帯として知られていました。そして力の影響が及ばないという事は反面最も力の在らざるを認識できるという事であり、そこに集う者は思想の違いを気にしない者と、或いは過度に気にする者との双方でした。

 大友興一は考えていました。祖父からこの館を引き継いだ人間として、この館の実質である結界による中立地帯の存在意義を思わずにはいられませんでした。中肉中背、黒髪の青年田中広樹はこの中立地帯を中立地帯であるが故に他者の目から透明では有り得ないと言っていましたが、長くこの蛍雪荘で他勢力の人間との共生を続け、それを極自然なものとしていた興一にとっては広樹の言葉は意外で不吉なものでもありました。ここでの生活に耐えられず、退散するに至った人間を彼は『押し潰された者』として感じていました。それは一面の真理を捕らえていたのかもしれません。
 では、押し潰されなかった人達は共生が出来るのでしょうか。そう考えた時、興一には必ずしもそうだとは思えなくなっていました。親しい隣人は彼にとって本当に親しい隣人であるのか、そう思た自分に気付いて興一は慄然としました。それは彼自身の考えにでは無く、ソーマとして感覚を崇拝する筈の彼が、自分の感覚を疑ったという事実に対してでした。

「…そうやって理を広める戦いもあるという事さ」

 既にそこにいる事が当たり前になっている書庫の中で、そう話しているのは当の田中広樹でした。話を聞いていた水天宮碧瀬もまた感覚を重んじる者、ソーマの人間でしたがそれ故に感覚に依らない理を感じる事に興味をもったのかもしれません。この蛍雪荘の存在する最大の理由は恐らく自分の属していない思想を体現できる事にあるのでしょうが、碧瀬はソーマの人間らしくそうしたいと思ったからこそそうしているだけだったのでしょう。
 銃を撃ち放し、剣を振り回し、拳を打ちつける戦いはハルモニアの操るトリニティウォーでの力の断片として広く知られていましたが、思想を広げる為の戦いはその組織によって最も熾烈に行われている反面、最も知られていない戦いでした。

「私の職場はそういう所だからね。やってる事は単なる広告屋だよ」
「ぞっとしないですね…」

 物書きをしている碧瀬にとっては、思想が社会に与えている影響を思うと心寒いものがありました。彼女の作品もこの世界では、ハルモニアとアゴーの者には受け入れられ難いという事実があり、個人の活動が世界の枠の中で縛られる閉塞感に息苦しさを覚えずにはいられませんでした。思想を押しつけ合う世界では、個人の思想が制限される事が当然のものであり、どれだけ広くとも枠は枠でした。理を重んじるハルモニアのみならず、感性に従うソーマにも自由を尊重するアゴーの中にすらも厳重な枠は存在していました。

「感性を理性で測る事がハルモニアの目的なんだけど、感性で理性の及ばない真理に到達すればそれはソーマの目的に叶う。そこでお願いがあるんだけど…」
「?」

 広樹が碧瀬に渡した紙には、簡潔な数字が記されていました。

 蛍雪荘の廊下でふと天井を見上げた時、深守咲螺はそこにある染みに淀んだ時間の意味を見たような気がしました。幻視者と呼ばれる特異な能力を持った者たちは古い歴史においては異端者として時には謂れのない、或いは謂れのある迫害をされてきましたが、彼もまたそうして家を出た者の一人でありました。尤も、咲螺の場合は多分に自らの意思によって家を出た感が強かった感は否めません。元来ソーマの人間として感性を重んじるべき組織に属していながら、理屈と理論とに傾倒する嗜好を持つ彼はソーマの勢力においてもまた異端者であったのでしょうか。
 知的好奇心の欲求の赴くまま、その特異性に惹かれて蛍雪荘を訪れた彼が見かけたのは、一片の紙に記された数字に何かを書き込んでいる碧瀬の姿でした。それには1から9までの数字が記されており、紙の下には簡潔に一言、「その形を述べよ」とだけ記されていました。碧瀬が言うには、それは心理テストだと言われて広樹に渡されたものでした。

「それで何をテストするっていうんだ?」
「さあ。あんまり良くは分からなかったんですけど」

 漠然とした不安と好奇心とを感じながら、碧瀬が広樹の奇妙な依頼を受けたのは彼女がハルモニアの持つ思想について興味を抱いたからであったかもしれません。ソーマの者としてソーマにない思想を感じる事は恐らく彼女個人にとっても彼女の属する勢力にとっても有用な事でした。

 神足仄香は広樹に手渡された紙片に目をやると、おもむろに筆を取り上げ、外見に相応しい端麗な言葉を流れるように書き綴りました。恐らく数分にも満たない時間で書き上げる様子を見て、感心したように広樹が言いました。

「流石に書くのが早い」
「さっき碧瀬さんに聞きましたよ。真理テストだと言われましたからね」

 心理テストならぬ真理テスト。ソーマの感性が正しいのであれば、特定の物事について感じたままの真理は常に、共に近しい物である筈です。例えば日常に極普通に存在する数字が何を現しているか、その存在は普遍の物である筈でした。広樹の依頼はソーマの者に対する挑戦であると同時に、理性で測る事の出来ない感性が真理に最も近づく可能性を探る為のものでした。
 共感覚、という言葉があります。ある特定の事象に対して、聴覚、視覚、嗅覚、触角、味覚の五感を知得する事が出来る感性を指していう言葉であり、ハルモニアの人間がソーマの研究をする時に最も重視される要素でした。例えばある人間の中には、1という数字に対して特定の音や形や臭い、そして味までをも感じる事が出来るのです。

「共感覚の例証はまだ少ないんだけど、理の人間がソーマを理解するにはこれが一番いい方法じゃないかな。アイオーンの叡智とか呼ばれてたりもするんだけど、真理に辿り着く為の手段としては今ソーマが最も近いとも言われているからね」

 或いはトリニティウォーとは、手段を競い合っているだけの愚劣な競争に過ぎないのかもしれません。しかし、その競争によって真理に近づく事もまたあり得たのですから、ソーマの手法によって近づいた真理に至る道程をハルモニアが調べ、自らの手法に置き換える考えは珍しいものではありません。戦いにおける情報の獲得はどこの勢力でも行っている事であり、それを最も重視するハルモニアであれば尚更の事でした。
 1は鋭く硬いもの。2は平たく三角形をしたもの。3は先の尖った切片。4は…仄香の回答は広樹が幾人かに頼んだ者たちのうちで最も書き記すのが早く、そして最も他の者たちと同じ内容を多く含んでいるものでした。それはソーマとして、最も普遍的な感性による存在の認識であったのかもしれません。ある一つの真理へと至る門、普遍言語或いは完全言語を見つける為の啓示を見つける為のソーマ的な手法であり、このような手段を取る限りにおいてハルモニアはソーマに及ぶものではありませんでした。

「それを理によって分析するという訳ですね…」

 トリニティウォーにおいて、各勢力間の差が大きな視点では決して開いてはいない理由を仄香は垣間みたような気がしました。逆説的に三者が競う事で各々が歩みを進めている、その手段が争いである事に救い難い愚かさを感じながら、改めて世界と思想と組織と個人との関係について思いを馳せずにはいられませんでした。

「広樹さんはそれを柏木グループに報告しているのですか?」
「残念ながら答えはYesだ。サラリーマンの厳しい所でね」

 元々広樹に与えられた指示は蛍雪荘に集まる人間に接触し、その情報を収集するというものでしたし彼自身の趣味と興味とによってその情報収集と分析の手法は優れたものが用いられていたに違いありません。彼の上司がその任務に彼を選んだ必然性があるのならば、彼は頻繁に本社にいる必要のない人間であるか、積極的に蛍雪荘に送りこまれる理由のある人間であるかのどちらかでした。

「普遍言語とは興味深い内容だな」

 広樹と仄香のいる書庫に足を踏み入れた咲螺は静かな視線を向けて話しかけました。彼の求めているものに名をつけるのであれば、それは正しくアイオーンの叡智である筈でした。そしてそれ以上に自ら求めるものを見た思いがしたのは後ろにいた碧瀬でした。他者に伝わる普遍的なことばの存在は、物書きである彼女にとって正しく真理を現すものでありました。言語と文化圏に関わらず感情を表現する手段の多くが等しく共通するという事実は、人の内に存在する普遍性の存在を思わせるものでしたから。
 しかし理がそれを手にする事は即ち感性が理性によって管理される事を意味してもいます。ただ技法によってのみ物語を読む人間の感性が支配されてしまう事は碧瀬には耐え難い事であり、それに対抗するには彼女の物語はソーマの思想を手段ではなく目的として使用する必要がありました。感性によって書き綴るのではなく、感性を届ける為に書き綴ること。その為の手法として定形の文体とそれを破る非定形の構成を用いる事は結果としてあらゆる思想を協調させる事ではないのでしょうか。広樹の目的が理とは異なる手法によって理の思想を推し進める事であるのなら、碧瀬は広樹に協力する事で彼に対抗できる思想を推し進める事ができる事になります。

「…蛍雪荘ってもしかしてとても危険な所なんですね」

 協調と対抗のバランス。それを管理する力は存在しませんが、それは確かにそこにありました。そして、それに気付く事を恐れる存在がこの蛍雪荘を訪れるのも、決して遠い未来の出来事ではなかったのでしょう。
 三者の思想が相争う事が正しかった時、或いは協力し合う事が正しかった時にその個人と組織とはどのような立場を取るべきか、明確に定める事の出来る者は未だいませんでした。

おしまい

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