ある箱庭生活者の肖像


 蛍雪荘と呼ばれるその安普請。イタリアのヘルメス主義者の曰く、直感と理性と快楽の各々の手段によって叡知を求める、その主導権を握るための戦いはトリニティウォーを呼ばれ、それは今も続いていました。三つの勢力はそれぞれソーマ、ハルモニア、そしてアゴーと称し、手段の何れかを明確に選んだ者たちは幻視者と呼ばれ、手段に対して強い傾倒を示している彼等は自らの優位性を保つ為の強い力を持つ反面で、他者の優位性に対応する為の力を持つことに困難を覚えていました。
 数々の政治的、或いは物理的な理由と目的によって存在する幾つかの中立地帯の存在はトリニティウォーに於ける貴重な情報と実験の為の基盤であり、物理的な要件で三つの勢力の力が大きく制限を受けている蛍雪荘などは、互いの優位性を持たない状態での争いに於ける情報を得る為の場所として、各々の「勢力」からは認識されていました。無論、そこに住む者たち個人の意思が組織と勢力には無視される類のものであることは自明でしたが、或いは住人である彼等が争いに於ける情報のみならず、協力するための情報を得ようとその安普請に在る可能性もありました。それはまた、三つの勢力に対する四つ目の勢力という捉え方をすることも可能であり、より範囲の大きい人間の集団を中心に考える人々の目に映る映像は透明ではあり得ませんでした。

 端麗な容姿をした小柄な女性の水天宮碧瀬は、直感を重んじる幻視者の一人として勢力に属する一方で、作家として自らの思想をより多くの人間に伝えることを生業とする者でした。その生業の故か、或いはこの蛍雪荘の一画を訪れることで知り得たことであったのか、自らの思想を自らの属する勢力のみならずアゴーやハルモニアに伝える手段について意識せずにはいられませんでした。数カ月前より、この安普請で知り合った人間の曰くトリニティウォーには五つの勢力が存在していました。

(即ち、直感と理性と快楽そして協力と無関心…)

 我々がいずれに属しているか、と碧瀬がメモ書きにペンを走らせながら考えたとき、彼女はまず直感に属するものとして他者の思惑を知る必要があるということと、そしてその言葉を彼女に語った人は協力と無関心を含む何れに本来属しているのであろうかと思いました。


 中立地帯の中で理性に傾くハルモニアと、直感に依るソーマが共生することは決して困難ではありませんでした。快楽を目的とするアゴーはまた別であり、彼等は孤独の中に自らの思想を忠実に再現する少数派と、同一の快楽を求めて集団を作る多数派とに分かれることが多く、何れにしろ他勢力との共生は常に困難とされていました。それは彼等の強く支配する地域では彼等が表立った存在であるのに対し、支配の弱い地域では彼等が常にアンダーグラウンドな存在であることからも明らかでした。快楽主義者は最も自由を表現する者たちであると自認する一方で、他者からは自由ということばの定義に最も縛り付けられた不自由な存在である、と逆説的に表現されることもままありました。

「最初に彼があられたときは紳士の姿をし、黒犬を一頭つれていました。そしてわたしに、おまえはなぜそんなに驚き悲しんでいるのか、と訊きました。おまえがもしこのインクで、私の子となるむねの契約書をすすんでしたためるならば、その苦しみを除いてやろう、いかなる方法によってもお前を助け、役に立とう、と」

 ウェーブのかかった細い長髪が印象的な淵乃屋逆が、アゴーに傾倒したときの様子を尋ねられたとき彼女はそのように答えました。彼女は自由を求める者である一方で、自由の定義について常に懐疑的であり、その虚いが他者との共生を可能にする一本の糸となっていました。
 蛍雪荘の一室、隔離された談話室で白衣を着た酒木みどりは逆の言葉を受けながら、それを書き記していました。一緒に砂糖菓子を囲んでいる近江小夜子が投げかける言葉に、返答を返す逆の言葉にある彼の姿は悪魔の契約を求める者の姿であり、同時に導きを与える父性の象徴でもありました。

「次に彼があらわれたときはおぞましい姿をし、血を用いて契約書を認めるよる強制し、わたしは恐怖の余り彼に同意しました。彼は呪法と黒魔術の知識が詰まった書物をわたしに見せ、これを使って大いに楽しみ、憂いを吹き飛ばしてしまえ、とわたしに告げました」

 彼が要求しているものは一片の契約書以外には存在せず、それにより契約を為した者は彼の守護を受けることが叶いました。悪意の象徴である彼は何等の悪徳も彼女に示してはおらず、彼女は自らが彼の守護に従うことに悪徳を感じていました。やがて彼女は契約を破棄することを望み、彼の書物を燃やし彼から示された金貨の袋を受け取ることを拒むようになりましたが、彼はまた彼女の前にあらわれました。

「次にあらわれたときの彼は唾棄すべき姿をし、彼の書物をわたしが燃やしてしまったことをなじりました。そして彼はやがてわたしが彼と談話せざるを得なくなろうが、実はおまえがそれを欲していたのだとわたしを説得しました」

 彼の存在を欲して彼を出現させたのは彼女自身であり、彼女は契約と悪徳の狭間で揺れることになりました。そして最後に彼は恐るべき龍の姿であらわれ、契約書を最下位の窓に放るとそれは業火に焼かれました。それ以来、彼女は虚う者となりながら虚いそのものに対して自問するようになりました。

 それはアゴーに見られる最も顕著な例であり、古来ハイツマンの悪魔より認められている自由と快楽を求める者たちの心理のあらわれでした。悪魔である「彼」に契約し、考えることを止めた者は集団に於いて自由に束縛される者と堕して行きましたが、彼との契約に疑問を持つ者は即ち彼のもたらす自由の意味について思い悩む者でもありました。その回答を見つけた者は自らの意思により、自らの示す道を歩む少数の者となりました。

「アゴーの中にも正負があるとすれば、逆さんはそのいずれにもまだ属していない。だからこんな所で私たちと共に居られるのかもしれないわね」

 魅惑的な口元にティーカップを運びながら、そう語る小夜子やみどりの思惑が思想と勢力の共生にあるのか否かはわかりませんでしたが、彼女たちハルモニアにとってのアゴーとの接点は重要である筈でした。理性により感性を図ること、感性により快楽を理解することはこれまで幾度も思索されてきましたが、特に快楽と理性の両立を図ることはこれまででも最も困難なこととされてきました。


 逆が碧瀬の書いた短い文章に興味を指し示したのは興味深いことでした。それは彼女がアゴーを知るために調べていた、チャールズ・ドイルの配偶者を象徴する妖精に対する恐怖心に関する文献にその基幹を依存して書いてみたものでしたが、調べることから感じることへの流れを記すことは本来直感に依るソーマの発想だけでは到らないものである筈でした。

『精神病棟に在るその男が描いた妖精の絵が与えた衝撃は、我々にとって非常に大きなものであった。それは単なる創作絵本では有り得なかった。男の精神にある妻への恐れが妖精の姿をとって発現した絵は、寧ろパラノイア症に陥った男の内面を映すリアルな映像であったからだ。
 男の描く妖精の姿は、背景に潜みながら彼自身を見つめる視線の具現化だった。彼の生涯の軌跡を追ってみれば、パラノイア症に陥った彼がその原因であると同時に、それ故に尚拡大された彼の配偶者の視線に耐え難い恐怖心を抱いていたことが分かる。

 だが同時に、彼が自身の感性の基調を表現するために用いた手段の具現化である妖精の存在に、我々は興味を抱かない訳にはいかない。妻が背景に溶け込んで男を見張る視線を持っていたのであれば、男は事象では無く背景にその視線を向けることの出来る人間であったということである。
 図と地とを逆転して見ることの出来る人間であればこそ、男の視線は妻の視線と合うことが無かったのであろうか。或いはそのような男の視線に合う人間というものが既に稀少であるのかもしれない。何れにしろ、彼自身を除くあらゆる視点から見て彼を支持する者がいないのは事実であり、それが今回の不幸の原因であった…』

 碧瀬が意識したのは文章による思想の橋渡しにありました。彼女の本来の文章はこれほど堅苦しいものではありませんでしたが、彼女が感性のままに綴る詩文に関して、その基調に理性を保ちその伝搬に快楽を伴うだけの感性を記すことができれば、それが彼女にとってのトリニティウォーになるかもしれませんでした。直感と理性と快楽、そして協力と無関心。これら全てに届く言葉は、組織や勢力ではなく個人の内にある筈でした。
 彼女がその事に気付きうるのは蛍雪荘という中立地帯で、自分と異なる思想に触れているからに他ならず、組織に依らず個人の思想に到る環境が組織と勢力から監視されている最大の理由だったでしょう。碧瀬の書いた文章は小夜子とみどりが理において解析するかもしれず、逆が自らの求める導とするかもしれませんでしたが、より以上に彼女達自身の属する勢力にとって貴重か、或いは危険な思想となるかもしれませんでした。

 この場所で我々が何れに属しているかは問題ではありませんでした。
 私が如何なる思想を有しているか、それが考えるべきことでありました。

おしまい

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