ある箱庭生活者の肖像


「我々は、自由という名の柵に囲われている」

 理性を重んじるハルモニアと感性を重んじるソーマ、そして衝動を尊しとするアゴー。三つの思想が対立するトリニティウォーの世界に於いて、三つの思想とそして協調と無関心とを合わせた五つの存在が世を形成していました。
 蛍雪荘という名の古い安普請は、かつてソーマの一人が自らの力によって結界を為し、モナディックと呼ばれる三つの勢力が持つあらゆる異形の力を封じ込める事で絶対の中立地帯と為していました。結界を為したその者は自らの術と思いを箱庭日記と名付けた一冊の本に綴り、厳重に封をすると自らを知る者の手にそれを託しました。対立する世界に於ける対立し得ない特殊な環境。その存在意義に疑問を呈したのは田中広樹という名の青年でした。

 中肉中背で黒髪黒目の広樹は理を重んじるハルモニアの者であり、他の者の手によって為された結界の成り立ちを調べていましたが、到達したのは結界そのものよりもそこに集う人々の思惑についてでした。結界という力に依った平和を安穏に享受する事が正しいのか、結界という力に依った特異な環境を見る者の思惑は何れを志向するのか。そして何より、そこに最も多く集う人々が自らを取りまく環境に疑問を呈していないという事実こそが、理を重んじる者の思考からすれば理解し難い事であったのでしょう。
 結界を囲う小さな力の干渉。人為的な力によって蛍雪荘の結界を封じる事に成功した広樹は、力に依る人々の精神に不逞な挑戦を企てました。そして無論、その挑戦の意図を了承した者はいっそ堂々とこれに対抗するだけの真実を自らの内に秘めている筈でした。それは、環境に対する自我という真実である筈でした。


 結界の力が失われた蛍雪荘。多くの人間が推察していたように、それはこれまで力と共に抑制されていたアゴーの人間が多く活動できる場となる筈でした。
 ウェーブのかかった長髪を揺らしながら、淵乃屋逆は蛍雪荘の古い廊下を歩き回っていました。結界という束縛を嫌っていた彼女は、今はその気になれば異形の力を以て衝動のままに振る舞う事が可能でしたが、敢えてそれを為す気にはなれずに、まさしく宛もなくさまよっていました。自らを縛る結界が破壊された事は彼女の理念に叶う筈でしたが、自らを縛る結界が破壊された後の彼女が何を為すべき存在であるか、彼女は今までその事を考えた事はありませんでした。束縛を嫌い自由になる事と、自由になった自分が何を為すかという事は全く別の事でありましたから。
 或いは彼女の中に生きているハイツマンの悪魔は、彼女に衝動の赴くままの破壊を要求していたかもしれません。では、それに従う事は自らが悪魔に縛られる事とどう異なるのか。その回答に行き詰まった時、彼女は虚ろう者となり自らの志向を見失ってしまったのです。ただ、それは彼女が自分自身で見つけるつもりであり、それまでの間だけ彼女は虚ろうつもりでした。

 源玲歌は黒衣に身を包み、光りの届かぬ闇に潜んで自らの歌を奏で続けていました。アゴーの中でも、彼女のようにその力の代償として光を浴びる事の出来ぬようになった者は、その力を以て常に自らを護る必要がありました。彼女の内に存在する、恐らくはその明確な目的があり、その為に彼女はただ歌い続けていましたが、光を隠す力が解放されてより始めて彼女は自らの歌をのみ奏でる事が出来るようになったのです。
 そして彼女の内にあるパラノイアとしての研ぎ澄まされた感覚は、歌の旋律にすら震える事の無い世界の響きを捕らえる事が出来ました。彼女のように見え過ぎてしまう者、聞こえ過ぎてしまう者にはそれを覆う闇が必要でした。例えそれが強い光や強い心でさえも覆い隠す闇であったとしても。

 メラリーザ・クライツは年齢より遥かに幼く見える繊細な容姿に空虚な笑みを浮かべながら、蛍雪荘の一室で無邪気に遊び回っていました。異形の力による創造は彼女の心の源泉である筈であり、それを封じる結界が破壊されたという事実こそが彼女にとっては重要な事でした。多くのアゴーの例に漏れず彼女もまた手段や過程よりも結果をこそ求める者であり、その執着心と強い想いがアゴーの真骨頂でした。誰が、何のために結界を破壊したのかは彼女にとって些細な事でしかありませんでした。

 彼女達は今その場所で自由でしたが、それが他人の手によってもたらされた自由である事には無論気が付いていませんでした。アゴーが原因では無く結果をこそ求めるアゴーである限り、今が自由であれば何故自由であるかを考える事はアゴーの思考法を持つ者には不可能だったのです。理を重んじるハルモニアが環境と組織の象徴であるならば、アゴーは最強の個人である代わりに環境の原因に対しては全く無力だったのです。


 蛍雪荘の結界を作り上げた人物を祖父に持つ大友興一は、若さよりもまだ幼さが見える表情に思索の波を浮かべていました。広樹の結界と蛍雪荘に対する挑戦を正面から受けなければいけない立場に彼はいましたが、「must be」という立場は本来彼が望む事ではありませんでした。
 興一の持つ異形の能力は式神と禁術と破魔法、彼の祖父も有していた力であり、結界を自ら生み出す為の素養でした。彼が結界の真実が記された箱庭日記という書の存在を知ったのはつい最近の事であり、それは祖父と面識のあったシェリル・目白という名のハルモニアの女性に託されていました。彼女から箱庭日記を受け取り、その内実を知れば興一は自ら結界を生みだし、広樹の挑戦に対抗できるだけの力を得る筈でした。

「でも、それに意義があるんだろうか」

 為さなければ結界は広樹の手に落ち、祖父の建てた蛍雪荘の存在意義は彼の手に移る事になり、祖父が作った結界の持っていた意味が消えてしまう事になるでしょう。しかし、心の思うままに力を求め行使するのは衝動を尊しとするアゴーであって、感性により自らを律するソーマではありませんでした。でも僕は広樹さんに勝たなければならない、と思う自らに嫌悪しつつ、興一は自らを囲う壁の前でまだ立ち止まっていました。


 艶やかな容姿をした女性が水天宮碧瀬の元を訪れたのはそんな一日の事です。近江小夜子に取っては広樹の行動もその結果も敢えて問う必要が無いものでしたが、この状況で知人の多い蛍雪荘からハルモニア以外の人間が生き残らなかったとしたら、それは決して後味の良いものにはならなかったでしょう。

「蛍雪荘を自らの属するハルモニアが占拠する事で取るに足りない存在にする、或いは蛍雪荘を他と同じ普通の場所にする事で取るに足りない存在にする。どちらかが実現できればここが余計な監視や調査の目を受ける事は無くなるし、安心して書庫で文字に没頭していられる。たぶん彼ならそう考えるでしょうね」

 蛍雪荘の結界を無力化する事。それも物理的にではなく政治的にであり、それが存在する事で他の者から忌避されないようにする為には、暗室に一度光と風を流し込めば良いだけの事でした。広樹の思惑を正確に読みとっていた小夜子は自らの好む方向に彼の意思を修正すればよく、それにはハルモニア以外の人間を選ぶ必要がありました。
 広樹の実験は彼の用意した装置、即ちハルモニアの力が主導で行われており、結界がハルモニアという組織の手に落ちれば、他勢力の者が弾き出される可能性は低くはなかったでしょう。そして、結界を封じる方法を得た広樹が結界を生み出す方法を記した箱庭日記を得た時、この場所に於いて彼は無敵となる筈でした。

「何故、そんな重要な事を私に…?」

 小夜子の話を聞いた碧瀬は、自分に示された導に戦慄を覚えました。誰かが力を使うという事と、誰かが力を自制するという事を考えた時、彼女の中ではもともと結界の存在は重要な意義を有してはおらず、それこそ小夜子が彼女に事の次第を話した理由であったのかもしれません。
 モナディックは所詮目的ではなくて手段であり、結界の有無に関わらず争うつもりなら包丁の一本でも、拳銃の一丁でも、そして拳の一つでも用意すればいい筈でした。蛍雪荘に集う各勢力の人々が争いを起こさないでいたという事は、本来結界の有無とは何の繋がりもなかったのではないか。であれば結界は何のためにあるのか。その目的が勢力を問わぬ人と人との繋がりにこそあるというのなら、碧瀬の思いは知る事と感じる事、そして人間の奥底に潜むものに向かい合う事でもある筈でした。

 広樹が箱庭日記を制するか。興一が結界を自らのものとするか。何れにしてもこのままではアゴーの者が犠牲になる事は免れず、その考えに到達する者はハルモニアに傾倒する広樹では無く、結界に依る興一でも無く、環境に干渉し得ないアゴーの者でもなくこの場では碧瀬一人であったのかもしれません。

(私は、広樹さんや興一さんと戦わなければいけないというの?)

 それが碧瀬の感じた戦慄の正体でした。彼女が自ら掲げる協調の意思を貫き通す為には、自らの回答によって『敵』に対抗する必要があったのです。
 碧瀬の様子を見ていた深守咲螺もまたソーマの中で異端に属する者でした。彼にとって大切なのはまず知る事ではなく、知ろうとする事であってそれは感性を第一とするソーマよりも寧ろ理性と知性を象徴とするハルモニアに相応しい思想でした。碧瀬は彼女の友人と戦う事になるかもしれない、それもソーマの彼女がアゴーを救う為にトリニティウォーそのもので。いっそ血を流して殴り合えれば幸福であるかも知れず、思想の対立が取り返しのつかない力の対立に発展した幾つもの例を彼は知っていました。

「こんな事を言うとまたソーマの中で白眼視されてしまうんだけどね」

 咲螺は碧瀬への協力を約束して、蛍雪荘の地下へと向かっていきました。箱庭日記を護る者が自らその入り口を開いたのは、無論この時が訪れる事を予期していたからに違いありません。


 シェリル・目白と片桐和史。それは箱庭日記を守る二つの門として碧瀬と咲螺の前に立ちはだかっていました。地下に更に隠された古い書庫と、小さな円卓に仰々しく載せられた一冊の本を見た碧瀬は、自らも物書きとして広樹がこの場所を欲する気持ちを理解できたような気がしました。

「ようこそ、古い知識を求める者よ…なんてね。正直ここには興一が祖父を継ぐ為にくるだけかと思ってたんだけど」

 シェリルの言葉は大友興一がまだ幼かった頃よりこの蛍雪荘にいて彼の祖父にこの本を託された者としては気さくなものでありましたが、その目に潜む理性と知性の光は彼女を称して言うハルモニアの女性としての力に満ちていました。シェリルの隣りに静かに立つ和史が語りかけるように話します。

「我々の問いは二つ。まず貴女は如何にしてこれを手にするか」
「それからもう一つ。何故貴女はこれを手にするのか、OK?」

 箱庭日記という名の本。大友興一の祖父が記した、結界の作り方以上に何故それを作ったかが記された書。形式張った和史とシェリルの質問の意図は不明でしたが、数秒の間考えた後、或いはその数秒の間自らの心を感じた後、碧瀬は明確に答えました。

「私はそれを手にするつもりはありません。また、それが誰かの手に渡る事も望みません。そして文字を生業とする者として、それが失われる事も望みません」

 いずれの勢力にも依らない、力を追求しない者としての誇りが碧瀬にはありました。箱庭日記を手にする事で得られる力は少なくとも彼女には不要なものであり、ハルモニアの人間と違って知る為の義務は彼女にはありませんでした。そして、無論誰かがこの場所の力を得る事も、知識としての書物が失われる事も彼女は望んでいなかったのです。

 興一の祖父が築いた結界は人を集める事に成功した。その孫は自らの力でいずれその力に到るであろうし、理によりそれに対抗する力を得た青年は集めた人々に問いを投げかけた。結界が力を抑える事で衝動を抑える事実が暴かれ、例えば逆は自由を得た事により自由を見失い、束縛について考えるようになり、玲歌は大きな光を隠す代わりに小さな光を見る力を持っている。メラリーザのように不信や逃亡を抑圧から逃れ解放を手にする為の手段としての創造に転化させる者もいる。
 単一の意味による統制、という条件さえ取り払えば、全てはそれで問題がない筈でした。今の状況を留め、維持する力のバランスがあるかどうかがトリニティウォーが起こる原因だったのではないか。

「だから、私はこの本がここにただ在り続ける事を望みます」
「それは理想よ」
「理想を語らないで人は何を目的にするっていうんですか!」

 碧瀬の叫び。一拍の間を置いて、シェリルの表情が穏やかなものに変わりました。

「・・・お見事」
「え?」
「回答は何でもよかったの。大切なのは、貴女が明確な回答を出せるかどうかという事だから」

 あらゆる力に善悪は無い。シェリルが託されたのは明確な意思を持つものに力を託す事、ただそれだけでした。寧ろ力の善悪を問う資格があるとすればそれは力の前に辿り着いたものに対してであり、譲り受けたシェリルや和史はそれを持っていない事を知っていました。碧瀬が今の箱庭日記の状態を是とするのであれば、その状態を維持する事が本を託されたシェリルや和史が取るべき導でした。やや唖然とする碧瀬とその傍らに立つ咲螺に視線をやると、和史はシェリルに低音のバスで呟きました。

「され、これで真実は見えた訳ですな」
「興一と広樹はどんな回答を示すか、賭けてみる?」
「確率の見えない賭けは理性を崩す恐れがあります」

 地下室の円卓に安置された本はその日、遂に開かれる事はありませんでした。

おしまい

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